「アース・地球環境」30号掲載
らしんばん

地球環境行動会議(GEA)
元日本学術会議議長 NPO法人環境テクノロジーセンター会長 近藤次郎
GEAの創設

 ストックホルムから20年後の1992年6月にブラジルのリオで開かれた「環境と開発に関する国連特別総会(地球サミット)」に向けて、我が国でも産官学で国民的な会合を行い、これを地球環境行動会議(GEA:グローバル・エンバイロメンタル・アクション)と名付けて会議の成功に向けて行動しようということになった。故竹下登元総理、平岩外四元経団連会長、日本学術会議会長であった筆者ら30名近くの有志が集まって草案を作り、これを提出することになった。この組織は非政府組織NGOである。筆者は6月8日のジャパン・デーに参加し、UNCED事務局長のモーリス・ストロング氏に手渡した。地球サミット後もGEAの活動は続けられ、国連気候変動枠組条約第3回締約国会議(COP3)では大勢の会員が京都に行き、裏方として努力した。その後もCOPの会合などには常にGEAの代表者が参加している。
 さて国連環境計画(UNEP)では1987年よリグローバル500賞の顕賞を行うことを決めた。これは地球環境問題の解決に貢献した個人および団体を表彰し、受賞者の国際的なネットワークを通じてさらに政府間に民間協力を進めようという趣旨である。GEAは上に述べたような活動が認められて、2000年にグローバル500賞を受賞した。


500賞の個人受賞

 2001年、私が500賞を受けることになった。日本からは私よりも前に22の個人及び団体が受賞している。授賞式は毎年6月5日の環境デーに世界各地で行われる。今年はイタリアのトリノで開かれることになった。トリノはビトー・ボルテラも居たところであり、まだ訪れたことがないので是非行ってみたかったが、いかんせん受賞が内定してから授賞式までの期間が短く、その間に日本で主催しなければならないような会議などが先に決まってしまったので残念ながら参加を見送ることにした。
 確かに私は国立公害研究所に8年、中央環境審議会に12年勤めており、89歳の今日まで環境問題に専念してきたつもりである。もとより私1人の業績ではない。
 賞状には環境の保全と改善とに対する顕著な貢献を認めるという讃辞が書かれ、クラウス・テッパーUNEP長官の署名がある。


竹下元総理の思い出

 竹下元総理大臣は気配りの竹下と言われたほど、いろいろなことに注意される方であった。例えばGEAの会合の時に次のように言われた。“この間山中さん(初代環境庁長官)と中国へ出張した時に竹下君、北京も大分ppmが良くなってきたなと言われた。(ppmとはパーツ・パー・ミリオンの意味で、これは汚染物の比率が100万分の1ということである。)” それに続けて“政治家の環境の知識はこんな程度ですよ”と竹下さん得意のユーモアで皆を笑わせた。
 またCOP3の話をして、“COP3とは乾杯をするときにコップ3杯まではビールを飲んでも良いという意味ですよね?”と場内を爆笑の渦で満たした。 一人一人の会員にも細かい気配りをして下さった。まだ私よりも大分お若いのに亡くなられたのはGEAのためにもはなはだ惜しいことである。本年7月には北の丸の日本武道館で橋本龍太郎元総理の合同葬儀があった。1997年の京都議定書では苦や万をおかけした。


GEA主催国際集会

 ストックホルムやリオ・デ・ジャネイロのような国連の会議になると参加者が1000名を超え、日本の主張をゆっくり聴いて貰うことが難しい。
 そこで国際的なオピニオン・リーダー達を交えて討議しておいて意思の疎通を円滑にしておくのが望ましい。この目的でGEAでは毎年1回、日本で国際集会を開催してきた。最近では99年6月にグローバル・コモンズ世界環境会議を開き、2000年10月には地球環境専門家会合を開いた。
 我が国では里山というのが地方にあって、村民の共用の資源として利用され、環境保全にも役立っているが、熱帯雨林や北ヨーロッパ、北アメリカ、シベリア北部の寒冷地にある森林、タイガなど役割にも注目しようというのがグローバル・コモンズであった。また、温暖化対策が科学者の立場から討議され、国立環境研究所の環境シミュレーションの結果が注目を集めた。
 2001年10月には都内のホテルで警鐘会議というのを開催した。これは、2002年秋の南加連邦ヨハネスブルグで開催されたGEAは1992年に開催されたリオの会議から10年目にあたるという意味で開かれた会議である。
 ここでは、積極的にインターネットを利用してこれで国際的な地球環境保全のための国際基金を作ろうという提案があり、具体化することについて賛同を得た。またNGOの活動の重要性が認識された。国際的には会員35万人を擁するシェラクラブや、野生生物基金WWFなどがあるが、日本ではボランティア活動が弱く、最大の野鳥の会でも会員数は6万に過ぎない。