「アース・地球環境」31号掲載
主催者あいさつ

地球環境と資源エネルギーを大切にする国民運動全国会議 議長 根本二郎
 ただいまご紹介いただきました根本でございます。今日は第8回目の集会になる訳ですが、いろいろ話を聞いてみますと、この運動が始まってもう30年ぐらい経っているわけですね。そういう意味では非常に意義のある集会だと思うわけであります。
 政府からは内閣官房副長官の的場さんをはじめ関係の皆様、また、各地から多くの方々に参加していただきまして、心から感謝申し上げます。この集会を開くに当たっては、財団法人省エネルギーセンターの専務理事の河野さんほか事務局の方々にもご協力いただきました。本席を借りてお礼申し上げます。
 今日は、日本の「つつむ」文化について討論をしていただく訳ですが、この問題について私が平素感じておりますことを2、3ご披露したいと思います。
 第一に、日本はご案内のとおり、地政学的には大きなユーラシア大陸の東の端にある言わば一種のターミナルアイランドでございます。そしてこの日本列島には、数万年前から既に人間が住んでおり、この人達が、例えば山川草木皆悉く成仏とか、生きとし生けるもの皆平等と言った様に、かなり自然に傾斜した、人間と自然との共生の色濃い文化を育み、それが伝統になってきた訳でございます。
 その日本に、西の方、すなわち、中国を始め韓国或いはインド、それから更にペルシャ、メソポタミア、或いはギリシャ等から、色々な風が吹いて来まして、その西の風と我々が古来持ってまいりました日本の文化、東の特性と言いますか、そういうものをうまく融合させて今日に至っているというのが日本文化の特性だと思います。これを見ますと、いわゆる異物を排除するという考え方ではなくて、大きく包み込むという一種の包摂の論理と言いますか、そういうものを日本人は大事にしてきたのではないかと思います。
 このフィロソフィーは、現代においても非常に大事なフィロソフィーです。典型的な例で言えば、日本においては、神社の隣にお寺があると言ったような神仏習合の文化が、現在まで受け継がれている訳です。そして、私共が意識すると意識しないとにかかわらず、私共の精神の古層に、一種の通奏低音、音楽の言葉で言えばパッソオスティナートの様に繰り返されているのが、この物事を大きく包むという包摂のフィロソフィーではないかという風に私は思っております。このフィロソフィーというものが大事だということを先ず最初に申し上げたいと思います。
 ところで、今日私はここに風呂敷を持ってまいりました。鞄を持つよりよほど簡便であるという理由で、私しょっちゅうこれを持っておりますが、何と申しましてもこの風呂敷というものは、日本古来のもので非常に簡便である、それからいろいろなものを包み込むことができるということで、将に、ものを大事にする心に繋がるのではないでしょうか。言うなれば例のもったいないという考え方でございます。それと同時に、この風呂敷には鶴が飛んでおりますけれども、こういったものを染め抜いて、中に入っているものから離れた美的感覚を日本人は持ってきたのではないかと思います。つまり簡便であること、物事を大切にすること、そして更に美しく、という様な日本文化の将に典型的なものが、この風呂敷ではないかと思っております。この頃は使い捨てのものが大分多くなっておりますけれども、我々はこの風呂敷の心に帰るベきではないかと思う訳でございます。
 2004年にノーベル賞を受賞したアフリカのマータイ女史などは、この日本の心に非常に感銘して、もったいない運動を展開して、アフリカの各地に何百万本という植樹をやっておられる訳ですね。
 先日終わりましたが、スイスのダボスでは毎年世界経済フオーラムが行われておりまして、そこで今年の最大の関心事は、環境問題、特に温暖化の問題に関わる論議でございました。環境や温暖化に関する17の分科会があり、どの分科会も超満員であったということでございます。この様な国際的なうねりが滔々として出てまいりましたが、日本は、1970年代の2度にわたるオイルショック以来、30年にわたつてこの環境問題に真剣に取り組んできた訳です。そして、官民の努力によって日本のエネルギー効率は世界最高になつております。こういった努力を世界に発信しながら、我々の運動を更にレベルアツプしていくべきではないかと思う訳で、そのためには、本日ご列席なされた皆様方のより一層のご尽力が必要だと感じている次第でございます。