「あしたのまち・くらしづくり2006」掲載
<まち・くらしづくり活動部門>あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞

自治会員が手づくり温泉をつくる
岩手県一関市 第十区自治会
温故知新

 小梨・畑の沢地区には、海田茂さん所有の鉱泉(通称・たまご湯、明治20年代に発見)から、いつのころからかお正月をはじめ盆行事・土用の丑の日、家の慶事等のときに、水を汲み風呂をわかすしきたりがありました。


夢の模索

 平成11年4月、当時の自治会長の遠藤孝志さんは、初孫の高史君が小学校に入学する前夜、古い習わしにより、『たまご湯』より水を汲み自宅の風呂に祝の湯をわかしました。
 3人の孫が風呂に入ろうとしたところ孫たちは「じいちゃん、温泉のにおいがする」と大喜びする姿にヒントを得、「この鉱泉が地域おこしの起爆剤になるのではないか」また「地域の人々が楽しく集える場になるのではないか」と考えました。
 このことを、鉱泉の持ち主、海田茂さんに、「たまご湯が、自治会の地域おこしになるのではないか」と相談したところ海田茂さんは、快く承諾をしてくれました。


夢づくり

 自治会長就任1期目が終わる平成11年秋、「湯場(温泉)を作ることは無理にしても、鉱泉水の宅配ぐらいはできるだろう」ということで、区長の菅原實さん提供の、1000リットル入りのプラスチックタンクに水を貯め宅配することが決まりました。
 10月末、タンク設置の工事が始まり、有志数名で工事に取りかかりました。建築基礎工事専門の遠藤敏男さん(現会長)所有のユンボでパイプとタンクを埋設する溝を掘り、配管工事専門の尾形勝さんがパイプの接続等を行ないました
 この1000リットルタンク埋設により、300リットル入りのタンクを軽トラックに乗せての鉱泉水の宅配が始まりました。
 宅配は最初、地区内の宅配を考えていましたが、区内の人々から「くちコミ」で、他の地区・町内・郡内と広まり、遠くは一関や気仙沼までの宅配となりました。地区内の宅配であれば、たいして問題がなかったのですが、他の市町村までとなると、ほぼ半日がかりの作業になるので、何とかならないかということで、湯場建設の話が本格的に始まりました。


夢が動く

 平成13年秋、会員の情報より、気仙沼市の猪股利夫さんの提供によりプレハブ住宅(2間×5間)と、付属する建物をもらい受け、2日がかりで解体移送を行ないました。この解体移送には、会員延べ70名が作業に協力しました。
 同時に湯場建設場所を、海田富子さん所有の桑畑を候補地に選び相談したところ、「自治会の地域おこしのお役にたてるのであれば」ということで、海田茂さん同様快く承諾をいただきました。
 何年も桑畑として使っていなかったので、木の伐採・草刈りと作業は難行を極めました。整地作業は、遠藤康夫さん所有のバックホーを借用し整地作業に取り掛かりました。
 この作業も難行を極め、遠藤孝志会長自ら、多忙な農作業の合間を都合し、2週間以上もかかりながら整地作業を終えました。
 平成14年3月、湯場の休息所はじめ浴槽小屋・物置等の建物の復元建築が始まりました。この時も、まる3日がかりで工事をし、自治会会員延べ50名ほどが建設工事に協力してくれました。
 工事の指導は、現在自治会副会長の建築業を営む伊藤清一さんはじめ、伊藤茂三さん菅原光雄さん藤野清志さん等があたりました。
 工事が終了し、完成祝いには、遠藤孝志会長が、嬉しさのあまり、餅まきをしたいということで、餅米2斗を提供、ふるさとのしきたりに従い、餅まきをし、その後はあん餅で完成を祝い、労をねぎらいました。
 また、ボイラーは、室根村折壁の斎藤正喜さん(中島園芸)が園芸用にパイプハウスで使用していた物を、「使わなくなったから、よかったら使ってほしい」ということで、無料提供していただきました。
 5500リットル入りの貯水タンクは遠藤孝志会長が知人より購入、自治会・畑の沢鉱泉に寄贈するというかたちをとりました。このことからも、遠藤孝志会長が鉱泉開発に寄せる意気込みがいかに大きかったかが感じられます。
 物は、集まったものの、温泉開設のノウハウや運営の仕方については、いまだ勉強不足で、どのようにして事業を行なったらよいか先行きが不透明という状態が続きました。
 そこで平成13年9月、同じような泉質(冷泉)をもつ、秋田市にある『大滝山温泉・神の湯』また12月には、気仙沼市八瀬にある早稲谷温泉も視察研修をしました。
 これでも、温泉事業のノウハウ、運営の方法、機械設備の方法がわからなく、平成15年9月、会員の情報から福島県北塩原村にある地域おこしグループ『檜原塾』(会長・佐藤善博さん)を、町民研修事業の補助事業を得て視察研修しました。視察研修の成果は、まさに『目からうろこ』で、「なるほど、あのような方法であれば、やれるのか」と、研修参加者一同、感心したり感動しながら帰ってきました。
 何と、檜原塾の温泉は、建物がなくビニールハウスの温泉だったのです。また、自分たちが楽しむ温泉であれば、公的な申請とか許可がいらなかったのです。


建設工事の苦労

 『目からうろこ』の成果を得て、平成15年11月、入浴施設の建設(貯水タンク・ボイラー等の設置・風呂場はじめ付帯設備)の工事が始まりました。
 工事には、自治会長で建設促進委員長の遠藤孝志さん、農家組合長でやはり建設促進委員の菅原彰さん、自治会副会長で建設促進委員の遠藤隆さん、元自治会副会長の菅原秀蔵さん、建築技術の知識と技能を持つ伊藤茂三さん・菅原光雄さん土木技術の知識と技能を持つ伊藤清明さん・遠藤敬一さんたちがあたりました。
 設計図のない工事で、寒風吹きすさぶ中、たき火を囲みながら、それぞれの経験と知恵を出し合いながら話し合いをし、工事を進めました。経験があるといいながらも、このような工事は誰もが初挑戦でした。
 飲み水用やシャワーの水も必要なので井戸掘りにも挑戦しました。この井戸掘りには遠藤孝志さん、菅原彰さん、伊藤清明さんがあたりました。
 畑の沢鉱泉の心臓部の風呂の基礎工事は、当時副会長で現在自治会長の建築基礎工事専門の遠藤敏男さんがあたりました。
 平成16年2月末、ようやく大方の工事は終了し、29日には、地域の人々へのお披露目会が行なわれ、できたばかりの風呂に入りながら完成を祝い、これからの地域づくりを話し合いました。
 建設資金は、岩手県の地域活性化補助事業の補助金を申請しましたが、平成14年度・15年度と3年連続の却下で、補助事業はあてにならないということでいわい東農協より借入れました。


思わぬ誤算と方向転換

 平成16年3月1日より、区内の人々が利用できるようになりましたが、町広報や岩手日々新聞に、畑の沢鉱泉の記事が掲載されたり、利用した人々からの「くちコミ」で、区外の人々も利用させてほしいと大勢の人々が訪れるようになり一般開放という形を取らざるをえなくなりました。
 当初、鉱泉は地元の人々の共同浴場という形をとっていましたが、4月になり区外の人々の利用が多くなり、このままでは事故が起きたりしては困るということで、保健所の職員を招いて公衆浴場の許可を得るための指導を受け、許可をとり、本格的な営業を始めることができました。


新しい地域づくりへ

 はかがりに、お風呂に入って一杯やって帰るつもりで、話が始まり、設計図のない計画で始まった『たまご湯』ですが今や地域にとってはなくてはならないものになってしまいました。地域の人々はもとより、町内外はじめ宮城県の方からも多くの入浴客が来るようになり、平成17年度の利用客は1万人を超え、『たまご湯は』、ふるさとの宝となりました。たまご湯の管理当番は、自治会の役員は日中仕事を持っていてできないため、老人クラブ天寿会のお年寄り方に当番をお願いしています。
 夢の構想から建設まで6年、予想もしなかった利用客の多さから、嬉しい方向転換を迫られて2年、住民手づくりのたまご湯は、地域のお年寄り方の憩いの場、交流の場として利用されています。今後この施設を使って、介護予防の事業等が取り入れられる予定となっています。
 これからの発展が期待されます。