「あしたのまち・くらしづくり2007」掲載
<食育推進活動部門>あしたのまち・くらしづくり活動賞 内閣総理大臣賞

農山村の素晴らしさまるごと発信
岡山県岡山市 山ゆりの会
 私たちのグループ「山ゆりの会」は岡山県岡山市建部町長尾地区にあります。市の中心部から36キロ離れた北端で、標高400メートル余りの山間地です。豊かな自然に恵まれ、山菜や野草、果樹などの食材が豊富で豊かな食生活を楽しんでいました。しかし、以前は35戸あった世帯数も年々若い世代が山を下り、過疎化、高齢化が進み、発足当時は23戸、現在20戸ほどになり、子どもといえば小学生が4名、青年会もなく寂しい限りでした。畦草刈りなどの農作業も高齢者がなんとかがんばっている状況の中、荒廃地では狸やいのししに恐怖を感じながら草取りをしている女性たちもいました。田畑は荒廃し、行事も縮小せざるを得ない状況に追い込まれ、地区の貴重な足であるバスも1日に2回となり生活の不便さに加えて、子どもの声の聞こえないことに住民の気持ちも沈み、言葉では言い表せないくらい寂しさを実感していました。
 そんな折、「昼間は働きに行ってここにいない男性にかわって、何とか女性の力で地区を活性化しなければ」「このままではいけない」と私たち女性が立ち上がり、平成2年4月「山ゆりの会」を18名の女性で結成しました。まず、私たちは自分たちが得意とする地域の食材の利活用等の食育活動を通してこの地区の活性化に取り組むこととしました。結成した当時は、農地を有効に活用して家庭菜園を充実させようと栽培講習会や、野菜や山菜を使った加工研究会などを行ない、住民の学習意欲を高め、まだまだやるべきことがあることを地区住民に分かってもらえるよう努めました。他地区での各種の農産加工研修会にも積極的に参加し、私たちの地区が山菜や野草など食資源の宝庫であることを実感し、「過疎の村から加工品を開発して、農山村の素晴らしさをまるごと発信しよう」と申し合わせました。とはいっても活動の拠点となる施設が皆無で、地区内で何度も相談しました。しかし「そんなことをしても無駄」などの陰口や、封建的、保守的な意見が多く悩みましたが、「今地域を元気にするにはこれしかない」との強い思いから設置への検討を重ね、地元や役場も説得し事業導入が決まり、ようやく願いが叶ったのは、それから2年後の平成4年でした。「高齢者若者活性化事業」の導入で立派な加工施設ができ、心から喜びました。農作業、家事、地域行事の合間を縫って加工技術の研究を続けました。地域の特産品を活用した加工活動が基本ですから突飛なものはできませんが、貴重な地場産の「手づくりこんにゃく」、地区の酪農家の搾りたての牛乳と有機無農薬栽培野菜の人参、小松菜を使った「野菜パン」や「米こうじ味噌」「柚子味噌」「豆腐」などを研究、開発し、味噌製造業、豆腐製造業、惣菜製造業、菓子製造業を次々に取得し、販売を開始しました。加工品づくりに取り組むことにより、こんにゃく芋の栽培面積の激減を食い止めることができ、野菜作りへの関心を高め、農産加工品づくりのための計画的な作付けができるようにしました。地元直売所で販売したところ、山ゆりの会の加工品の愛用者が増え、大変好評をいただくようになり、過疎の村の活動としては市内でも先進的な存在になってきました。一方、過疎化が進む中、地区に活性化を取り戻そうと地区内の他組織と相談し、平成3年からは毎年お盆に「三世代交流会」を開催することを企画しました。都市部に生活する若い世代が帰省するお盆の一日を地域全体のふれあいの日として、世代を越えた交流をしています。若い世代は楽しそうに焼きそばやバーベキューを準備し、親世代はおにぎりやいろいろな漬け物を持ち寄ります。集会所広場に約100名が一堂に会し、地区全体が一つの家族のように子どもの頃に食べた懐かしい食事を囲み、歓談したりゲームをして楽しみます。この時ばかりは地区全体が長い眠りから覚め、お祭りのように賑やかになり、明るい笑顔が溢れます。継続こそ大事と16年間延べ約1600名が参加しています。今では帰省する若い世代で「桑の実会」を結成し、和田神社の神楽と獅子舞などの郷土芸能の伝承活動も活発に行なわれ、他の地区からも羨ましがられています。また5月の連休には帰省して農作業に汗する若い世代も見かけ、地区全体が若い世代を温かく迎え入れる空気に溢れ、若者たちも都会の喧噪を忘れ、心身ともにリフレッシュできる場となってきたことを本当に嬉しく思っています。
 また私たちは平成8年、9年の2か年、県の事業である「女性による地域活性化促進事業」を導入し、地元の営農集団と協力して活動しました。今では「食育」を知る方々も多くなりましたが、今から10年ほど前には「何かメリットがあるのか」という声が多く、とりあえず理解者を増やすことが先決と判断し、他の団体と積極的に連携し、活動の波及効果が高まるよう心がけていました。
 その一つとして棚田での特別栽培米(あきたこまち)の生産に取り組む「長尾営農集団」と協力して、町内の(旧)吉備高原建部家族旅行村「たけべの森」(現)「たけべの森公園」を利用している大阪のスポーツクラブの小学生など約80名を招いて「田植え体験ツアー」を企画しました。これまで自分たちが培ってきた農業技術や加工技術を通じて本物の自然とふるさとの味を実感してもらえればと実施しました。営農集団は昔ながらの田植え(手植え)の指導を担当し、都会の子どもたちは泥んこになりながら初めての体験に大喜びしていました。田植えの後、今度は私たち「山ゆりの会」が、できたての手づくり野菜パン、かき餅、搾りたての牛乳などを用意し、子どもたちから「おいしい」という声があがり、何とも言えない幸せな感動を覚えました。
 そして、10月には初夏に田植えをした子どもたちを対象に稲刈り体験会を実施しました。子どもたちとの再会は嬉しく、もとより慣れない手つきで鎌をもって腰をかがめて稲を刈る姿や、精一杯背伸びしてハゼ干しする姿が何ともほほえましく、子どもたちの声が山にこだまする一日は、受け入れ側の私たちにとっても楽しみな一日でした。稲刈り後、子どもたちと営農集団のおじさんたちは餅つきをしてともに豊作を祝いました。その後この子どもたちから思いがけず可愛らしいお手紙や感謝状をいただいて、地区全体に感動が広がりました。
 その後このような会を5年間実施し、延べ約800名程度の子どもたちが参加し、関係者からは「農業、農村の素晴らしさを堪能できた」。住民の方からは「農業者としての誇りを実感でき、達成感を味わうことができた」などと感想を聞くことができました。この会を通じて、この地で生産された有機農産物や手づくり味噌などの注文があり、加工場も活気に溢れました。当時、県南においてこのような地区をあげた宿泊体験の受け入れは珍しく、その後多くの団体が取り組むきっかけになったように思います。
 そして、平成9年3月には地区の魅力を県下にPRするために、この地の伝統的な建物や行事を紹介する冊子「ふるさと歴史浪漫」を作成し、県下に配布しました。会員が古老から聞き伝えた謂われなどをマンガ風で楽しく紹介し、各方面から「読みやすい」「珍しい」と反響も大きく、グループ員が主体的に企画、編集したものとして貴重な冊子とされています。
 また、地区の活性化のためには増加する一人暮らしのお年寄りの支援について検討を重ねました。私たちが培ってきた料理や農産加工の技術を生かして、平成10年5月から毎月昼食会を実施することとしました。農作業や地域活動の合間を縫って、多忙な中で献立を検討し、お年寄りの交流の場づくりに努め「徒歩で動ける範囲で和むことができた、誕生日会がしてもらえた」などと多くのお年寄りから喜ばれ、併せて健康状態も知ることができ、この地区で年齢を重ねることの安心感を感じていただけたようでした。5年間継続し、各方面から感謝の言葉をいただき、活動への理解者が増えていくのを感じました。
 一方、平成13年には、岡山国体(平成17年開催)に向けて県外の選手団を迎えるため「食によるおもてなし」を研究する組織「食べんせぇ建部の会」を町内の旅館や飲食店、生活交流グループ等と立ち上げ、料理や接客のプロの方と郷土料理の研究を開始し、地元の生乳を使った「ヨーグルト入りマドレーヌ」を開発、商品化し、好評を博しています。私たちは平成2年からこれまでの17年間にわたりこの過疎の村から食育の大切さを様々な形で発信してまいりました。近年は小中学校の先生や生徒、また他の女性グループに地元産の食材でこんにゃくや豆腐、野菜パンの加工体験学習の指導もしています。私たちの技術が教育の場で活用される時代を迎え、感無量です。
 振り返れば、田舎特有の封建的で保守的な考え方があり、目先の利益が先行する中、どんな時も屈することなく、強い信念を持ち続けられたのはどんなときも、会員一人一人が深い郷土愛と活動への情熱を胸に秘めていたこと、そして多くの理解者が私たちを温かく見守ってくださったからだと思います。今年の4月には岡山県の食育推進計画が策定され「食べることを考える」を基礎にして、人づくり、地域づくり、健康づくりなどの施策が盛り込まれ、県民と行政が協働で食育に取り組むことが示されています。ようやく自分たちの活動が次代を担う子どもたちにとって重要と位置づけられたと心から喜んでいます。今後も地域の食材を生かした健康づくりと食文化の伝承に向け、培ってきた技術と経験を最大限生かしていきたいと思っています。