「あしたのまち・くらしづくり2007」掲載
<まち・くらしづくり活動部門>あしたのまち・くらしづくり活動賞 内閣総理大臣賞

行政に頼らない「むら」おこし
鹿児島県鹿屋市 柳谷自治公民館
 平成8年3月、柳谷公民館の総会で、55歳の私が公民館長に選出された。いつもは65歳前後の1年輪番制で役員選出に苦慮していた時期の就任であった。


柳谷集落を変えてみせる

 行政に「おんぶにだっこ」では人も集落も育たない。約130戸、300人が共存するわが柳谷自治公民館の活性化こそ、町の発展にも寄与すること大であり、ひいては国づくりに貢献する。楽しく快い社会が、地域づくりと人づくりの基本である。地域づくりで一番むずかしいのが「人集め」であり、人を動かすことである。人を動かすには感動しかない。組織上で人を動かすには感動が感謝となって自然発生的に、朗らかで躍動感あふれる自主総参加型のポリシーのある集落づくりがスタートしたのである。
 行政に頼らないというのは、集落でできる最低限のことは集落独自で汗することであり、決して行政を否定しているのではない。行政はパートナーである。
 生きた福祉と感動の地域おこしを提言して12年目に入った。10年後は47%の高齢者率を推測するときに、集落活動が急務であり、次世代へ蓄財し、誇りに満ちた、真の地域活動に突入したのである。


集って、笑って、わくわく運動遊園

 活動拠点を集落民手作りで町有地20アールを借地して平成9年に完成。今ではこの遊園地内に、土着菌センター、土着菌堆肥センター、お宝歴史館、手打ちソバ処未来館、土着菌足浴場、噴水と「アズマ家」等が併設され、夢の楽園として活用されている。


自主財源確保のために集落営農

 遊休地を活用したサツマイモ生産活動が平成10年に35アールからスタート。生産に対する高齢者の尊い経験や技術を畑に求め、コミュニケーションの場に転じさせたのである。子どもが動けば必ず大人は動く。飛行機に乗って東京へ。ホテルに泊まってオリックスのイチロー選手の野球を観に行こうと柳谷高校生クラブが結成され、その資金稼ぎのためにサツマイモ栽培がスタートしたのである。年を重ねるごとに拡大され、2002年には1ヘクタールの栽培面積に到達し、その収益金80万円は大切な自主財源となっているのである。一度に100人の集落民が参加し、植え付け作業に3時間、収穫作業に4時間、その光景は、まさに柳谷ならではの、躍動する畑での風物詩である。


家畜の環境改善に土着菌

 2000年から集落内の家畜の排便悪臭撲滅の目的で、土着菌製造を開始。土着菌は、山に生息する好気性の微生物の糸状菌に、米ヌカ、水、黒砂糖を混ぜて撹拌作業を約3週間続けて完成する。この土着菌を家畜に給餌すると、ふんの悪臭が消え、ハエが発生しない。また、地力回復剤として活用され、自然農業に威力を発揮している。1年間、2000キロの土着菌撹拌作業は毎朝5時30分から約1時間の苦労に感謝である。
 サツマイモの収益金で、2002年には、土着菌センター(124平方メートル)を手造りで完成させた。重機のオペレーター操作によって、機械での撹拌が可能になり住民は大助かりである。もちろん重機購入代金60万円もサツマイモ収益金から充当された。
 土着菌は年間約3万キロ製造販売され、約200万円の売り上げとなり、自主財源となる。
 また、土着菌で栽培されたコガネセンガンのサツマイモを原料とした焼酎“やねだん”が集落のプライベート・ブランド商品として2004年度に誕生、大好評販売中である。


手打ちソバ処「未来館」

 ここ数年視察団の来訪が多く、年間約3000人を超える状況にある。来訪者のもてなしに食事処「未来館」をオープン。スタッフは主婦や老人の皆さんで、実に楽しそうである。


お宝歴史館

 集落内に埋もれていた貴重なお宝、例えば昔懐かしい農機具や民俗資料など約300点が保存、展示してある「お宝歴史館」も集落民総出の手造りの館である。


生きた福祉

 集落ぐるみの生産活動の収益金は、生きた福祉にも還元している。
 まさかのときの「緊急警報装置」設置。孤独死対策の一環として、万が一の場合には枕元のスイッチをONすると、集落のメーン通りに設置された赤色灯が回転し、ベルが鳴って緊急事態を知り介護に駆けつける。1か所の設置費は約5万円。当事者負担ゼロで、集落の財源から充当される。現在16か所に設置されている。他には煙感知器や防犯ベル設置の完備で大変喜ばれているのである。


学ぶ寺子屋

 小学校の基礎学力の徹底チェックで学ぶ入口発見の寺子屋である。小学4年生以上中学生までが対象で、謝金はすべて財源から補助。子どもたちには未完成の魅力があり、可能性が宝である。だから地域の子どもたちは、地域で責任を持って育てたいのである。


異郷からのメッセージ放送

 1985年に設置された有線放送は集落唯一の広報手段である。柳谷で育った子どもたちからのメッセージを1997年に結成された柳谷高校生クラブ員たちが代読し続けて11年経過した。母の日、父の日、敬老の日の早朝、集落民は自宅のスピーカーに釘づけである。聞くも涙、語るも涙、感動の一齣放送はこれからも続けられる。


サンセットウォーキング大会

 「三つ子の魂百まで」を合い言葉にしたこのウォーキング大会は、3歳児を中心に5キロのウォーキングに挑戦である。高校生クラブ員が疲れ果てた3歳児を肩車して歩く威風堂々たる雄姿に大拍手である。


全世帯にボーナス1万円(平成18年)

 集落生産活動益金の余剰金が500万円に達し、当時の全世帯122戸に1万円ボーナスを支給。汗と涙の協働の成果に大喜びである。このとき、忘れてならないのが、この10年間に他界された貴重な18人の方々である。苦労をともにし地域再生の努力に心から感謝し、一軒一軒訪往してボーナスを御霊にも捧げたのである。
 そして17年度には余剰金400万円に達したので自治公民館費年7000円を4000円に減額したところである。


空き家を迎賓館に

 高齢化が進み、空き家が15軒と増加、荒れ放題の庭園など環境整備が急務である。防犯対策の必要性からも空き家を活用して芸術家たちを集落の文化向上にと迎賓館と名付けて全国から陶芸家、画家、写真家、ガラス工芸師6人が入居。閉店のスーパーは作品展示や活動拠点とし、「ギャラリーやねだん」が大盛況である。
 柳谷の公民館活動は単なる自主財源づくりだけではない。生産活動自体が集落民の交流の場であって、その交流の中で、自分の存在感を認め合う絶好の感動と感謝の人づくりであり、住民総参加型の地域づくり活動の付録が収益である。集落民一人ひとりにやる気の希望を与え、より健康で元気にする真の主役は傑出したリーダーではない。お互いが共生し、協働する中で感動も生まれる。命令なしの自主参加の慣習がいつの間にか意識のレベルを底上げし、やがて貴重な財産となり、内容高き柳谷自治公民館の歴史を作り上げていくのである。


納税と人口増

 18年度は約40万円を所得納税し、社会にもまた貢献したのである(みなし法人税)。
 そしてUターンを含めてすでに3家族が新築移住し、7月までには21人(うち子ども11人)が柳谷に転入し、柳谷に住みたい希望者がますます増加することを念じてやまない。


意識改革と後継者育成

 誰もが自分の日常生活で手一杯な中での集落活動である。ボランティアだけでの地域づくりも限界がある。だからこそ「意識改革」が不可欠なのである。高齢化が進む中、自治会活動の継続的な活性化は実にむずかしく、維持することさえ危ぶまれる。集落が自主財源を確保し、自ら「旬」のボランティア活動をつくることで「生涯現役」という高齢者に出番があるような企画や、高齢化しても不安のない暮らしができるようなシステムを集落みんなの力を合わせてつくっていくことが、それを解決する最大の要素の一つである。ここ11年間の「自作自演活動」の実績は柳谷自治公民館の誇りである。
 今、過去の歴史を重んじ、現在進行中の活動に満足することなく、未来の展望についてのポリシーを自ら創出することのできる後継者を育成することが、最大の夢であり責任である。羅針盤的な役目の人材が、地域には絶対に不可欠であり、その人が自ら楽しみながら役目を果たすその情熱的な姿に、周囲は納得し、賛同するのである。
 リーダーは、ときに苦しく、孤独な人生を覚悟しなければならない。そして忘れてならない大切なこと。それは、「心理的限界」に挑戦する気概を持つことである。