「あしたのまち・くらしづくり2007」掲載
<まち・くらしづくり活動部門>あしたのまち・くらしづくり活動賞 主催者賞

“ミニ自治”の夢へ一歩!
秋田県湯沢市 湯沢市岩崎地区町内協議会
“政争のまち”に終止符を!―「対話の土俵づくり」に挑戦

 昭和45年秋――当時岩崎地区は、八つある町内会が二つに分かれて“紛糾”していました。公民館改築をめぐる移転場所の争いです。話し合いを始めてからもう3年近くなります。代表者による会議で決めても、決めたことにならなかったのです。会議の採決で反対した町内会が市に陳情書を出すという「陳情合戦」を繰り返していたからでした。
 公民館問題は結局、地区内で一致した結論を得ることができず、市にゲタを預ける形で「第3の場所」に昭和46年建設され、決着しました。「岩崎は昔から政争のまちで…」と年配の人たちが話すのを、以前からよく耳にしていました。小学校建設地争いや県立商業高校新築の敷地確保問題などなど、過去の「もめごと」が私たちの記憶にも残っています。
 このような地域では…と、自分たちの将来を心配した青年会OBの仲間15人が、“紛糾”ヤマ場の昭和45年9月、千年(ちとせ)友和会を立ち上げ、紛糾している原因を分析しました。
 その結果、この地区に全地域の立場で住民同士話し合えるテーブルがないことが、いちばんの原因。このまま何もしないと俺たちも同じ道を歩むことに…と、千年友和会はその後「住民の合意形成」を基本理念に、「対話の土俵づくり」に努めてきました。
 町内会ごとに“御用聞き”懇談会、全住民対象の「住民のつどい」、「市長との対話集会」をほぼ毎年開催し、地域課題や生活課題の解決運動を続けているのです。
 それから既に35年――。この間、従来の岩崎地区ではたぶんすんなり決まらなかったような大きな事業が二つありました。市立岩崎小学校グラウンド造成・校舎移転改築(平成2~4年)と、合併全域市民対象の市民活動拠点施設(地区公民館併設)建設(平成18~19年)です。
 その建設場所をめぐって意見の相違はあったものの、市にゲタを預けることなく、地区内の話し合いは順調に進みました。「対話の土俵づくり」35年の月日が「政争のまち」の汚名をすっかり流してくれた――地域住民にとって何よりの成果でした。


「地域課題・行政課題」解決運動

 対話活動を始めて35年――。振り返ってみると、当初の約15年間は行政への要望がほとんどでした。道路・側溝・除雪・交通安全施設からグラウンド・保育所建設、小学校移転改築…と、年間約90件の要望でした。統計上の解決率は87%で、行政も誠実に向き合った結果を表しています。
 湯沢市は昭和55年、「広報公聴に関する市民意識調査(アンケート)」を行ないました。
 「市民の意思が市政に反映されていると思いますか」の設問では、「十分反映+ある程度反映」が市平均50%。全8地区中、平均を上回ったのは3地区で、岩崎地区73%、B地区57%、C地区53%でした。この設問は行政と市民の信頼関係を表す数字ですから、たぶん岩崎地区は相当低い数字が出るだろうと予想していたのです。理由はいくつかあります。
○対話活動を始めてまだ10年。行政要望の未解決事項が多く残っていたこと。
○住民の多くは、市の施策全体からみて岩崎は恵まれていない地域と思っていたこと。
○住民の一部は「岩崎は市の最北端。地理的に不利」という先入観をもっていたこと。
 結果は、予想とは逆に行政への信頼度73%という、ダントツの数字を示しました。
 この「73%」は、住民主体の地域づくり運動が市政への参加意識を高め、行政との信頼関係を深める結果を生んだ――と、当時のリーダーたちに大きな自信を持たせました。


失った「地域個性」を再生しよう!

 昭和60年に開催した第13回住民のつどい――「岩崎の地域には、失ったものがたくさんある。新しいものを求めるより、まず失ったものを再びつくりだすことに力を入れたほうがよい。千年公園のフジの復活など…」。つどいに参加した年配者の発言でした。
「戦前までは、岩崎町民はもちろん近隣町村の人たちもたくさん、フジの花見に来たものだ」
「公園の3か所にフジ棚があった。茶屋も設けられていた」
「岩崎の町章や中学校の校章にまで、フジがデザインされたほどです」
 年配の人たちはそのころを懐かしむように、よく話します。
「戦中、戦後、そして町村合併(昭和29年)後もその管理、保護を怠ったため絶えた」とも。岩崎地域は自然に恵まれ、民俗的文化資源も多く、誇れる歴史もあります。城址千年(ちとせ)公園、道祖神・世界一の鹿島様、秋田三大伝説・能恵姫(のえひめ)物語、初丑(はつうし)(裸)まつり、天ヶ台山、岩崎八景、岩崎盆踊り、玉子井戸…。
「これらを一つ一つ、地域のために生かそう」というのです。
 まず千年公園のフジを復活することにしました。
 この年(昭和60年)「住民のつどい」を終えた2か月後の11月、「千年公園に藤を甦らせる会」を発足し、61年から3年計画でフジ棚を3基作製。材料は電柱の古材を探しました。各町内から5、6人のボランティアと全世帯から3年間寄付金をお願いして、計画どおり事業を終えました。その後行政にもお願いして、フジ棚は現在7基に増えました。
 平成5年、最初に造ったフジ棚に花芽がつき、翌6年、半世紀ぶりに「藤まつり」を復活。年配の人たちはフジ花のライトアップに50数年前の思いを重ねているようでした。
 今年(平成19年)14回目を数えた「藤まつり」は、地域の一大イベントとして定着し、市内外からも数千人の花見客が訪れるようになりました。
【岩崎地区の特徴的な事業】
○対話活動(住民合意形成)(昭和46年~)――町内懇談会、住民のつどい
○伝統行事継承――藤まつり、岩崎盆踊り大会、初丑まつり、鹿島まつり
○生活簡素化運動(昭和52年~)――お返し廃止運動、仏事祭壇共同利用事業(昭和61年~)
○川をきれいにする運動(平成7年~)――川のごみ上げ運動(各町内会が5~8月まで毎日実施。「住民合意」を得て実施に移すまで19年要しました)
○地域伝承事業――情報活動、伝承本発刊、創作太鼓演奏活動、(秋田三大伝説にちなむ)能恵姫像建立、郷土伝承かるた作成・標木設置、岩崎八景標木設置。
○ポイント制ボランティア事業(平成13年~)――公園の除草活動「10点貯めて食事券!」
○まちづくり啓蒙運動(平成17年~)――地域づくり出前講話(地区内のほか、県内どこへでも)
 これらの事業はほとんど「対話集会」の中で出された住民の声がきっかけでした。いずれも対話活動を始めて約15年経過後の「住民のつどい」の声です。


合併全地区市民対象の「活動拠点施設」今年度実現へ

 平成の合併で1市2町1村が合併して平成17年3月、人口5万6000人の「新湯沢市」が誕生しました。当市は秋田県の南の玄関口に位置し、岩崎地区は市の最北端―県都秋田市に最も近く、国道13号に沿った人口1900人の地域です。
 この小さな地域に今年度、地区センター(旧公民館)機能を併設する形で、湯沢市の市民活動・NPO活動拠点施設「(仮称)ふるさとふれあいセンター」が建設されることになりました。合併前の平成9年、「公民館改築推進協議会」を立ち上げて運動を進めてから、10年目の実現です。人口比率(3.4%)も低く、市の最北端に位置する岩崎地区に、新湯沢市全域対象の市民活動拠点施設が建設されることに、「長年のコミュニティ活動が認められた」と、地区住民は誇りを感じています。
 岩崎地区は現在、今後10年間を想定した「ふるさと再生プラン」の作成に取り組んでいます。テーマは<福祉でまちづくり>。昨年末にアンケート調査を実施、平成19年度中に成案を作成する計画です。<福祉>の柱は“人材バンク”――「お隣同士・地域全体で支え合うまちづくり」を目指しています。
 更に新たな目標を一つ加えました。新設される市民活動拠点施設の管理運営を当地域が指定管理者として、市と契約することです。指定管理者として管理運営することが、地区センターとして、また市民活動拠点施設として市民ニーズにこたえる機能をより発揮でき、さらには、地域住民の自治意識の向上につながることが期待できるからです。
 “もう一つの役場”の任を実践しながら、追い求めている大きな夢――「ミニ自治の創造」に一歩でも近づきたいと、まちづくり活動への思いを膨らませています。