「あしたのまち・くらしづくり2008」掲載
<まち・くらしづくり活動部門>あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞

住み慣れたまちに住み続けるために
滋賀県大津市 NPO法人日吉台の福祉を語る会・あじさいくらぶ
大津市日吉台というところ

 私たちの住む大津市日吉台学区は、約30年前JR湖西線の開通に伴い、1600軒、5000人が住む新興住宅地として開発されました。琵琶湖と比叡山に挟まれた自然豊かなこの土地に若い世代の家族がつぎつぎと移り住み、子どもの声が沸き立っていました。
 30年経た2008年7月1日現在、1688世帯、人口4322人と、世帯数は増加、人口は減少、高齢世代の1人暮らし、夫婦2人暮らし、世帯は別の同居家族が増加、子どもの数は極端に減少、逆に70歳以上が約700人と、大津市の他の新興住宅地に先駆けて高齢化が進んでいる地域です。


「あじさいくらぶ」はどのように結成されたか

 18年前、子どもたちが大学進学や就職で親から離れ、夫婦2人暮らしとなると、親の在宅介護あるいは遠距離介護の問題を抱えるようになりました。「高齢になったとき私たちの福祉はどうなるの?」、「日吉台で住み続けることはできるだろうか?」、そんな主婦の井戸端会議の中から、同じ思いを持つものが集まり「元気なときも、病気のときも、障害があっても、1人になったときも、困ったときも、この住みなれたまちで暮らし続けられる地域づくりをめざす」を目標に、1992年2月、「日吉台の福祉を語る会<あじさいくらぶ>」が公民館の自主的サークルとして誕生しました。


活動の開始

 公民館や集会所をお借りして様々なプログラムに取り組みました。一日ゆっくり過ごせる「あじさいさろん」(1994年~、現在のお誕生会)、アコーディオンの伴奏でなつかしの歌、思い出の歌を歌う「歌う会」(1995年~、現在のうたごえ広場)、介護福祉士の有資格者のメンバーによる「ケアルーム」(1999年~現在まで)など定期的に開催しました。
 会の発足から8年、「介護保険制度」も始まり、高齢化問題は社会のメインテーマになり、ボランティアに対する理解も深まりました。


「あじさいの家」の開設

 2001年、大津市の高齢者を支える支援事業「おおつげんきくらぶ」に応募しました。
 この助成は経費項目の制約が少なく、自由に発想できるのが特徴です。「家を一軒借りて、思い立ったらいつでも地域の人と気軽に交流できる常設の場所を作りたい」という日頃の思いを事業として申請し、採択されました。古い空き家を借用し、住民ボランティアの手でリフォーム、2002年「あじさいの家」がオープンしました。
 毎週火・金、気軽に立寄って地域の人と交流できる「喫茶室」では、週2回にもかかわらず、1年で延べ約3000人の人が交流しました。さらに男性ボランティアによるゆっくりペースのITカフェや、高齢者が先生となる子ども囲碁・将棋教室など、世代を越えたふれあいも広がりました。
 週2回「あじさいの家」に通うことで生活のリズムをつかみ、人との出会いが大きな力となって徐々に鬱から立ち直っていく人、足腰に自信がもてなかった人が、自分の足で通い、地域の人と楽しく交流するうちにすっかり元気になっていくなどの例を目の当たりにし、人が人を癒す効果を実感しました。
 「あじさいの家」は閉じこもりがちな人の社会参加のきっかけとなる場所、親の介護に行き詰まった人の相談場所、また育児に疲れた若いお母さんのリラックスできる場所、いつでも気軽に立寄って交流できる家として地域に根付いていきました。


法人化への道

 「おおつげんきくらぶ」の助成は3年間が限度です。その間に将来NPOとして自立していくための準備として、会計処理の方法、組織運営のノウハウ、助成金申請書の書き方など、専門家の助言を受けられる講座が市によって用意されていました。
 2004年3月で助成期間が終了しましたが、今までの成果から、この活動を継続することは十分意味があると判断しました。しかし、今後の経済的基盤をいかにするか岐路に立たされていました。バザーの収益と喫茶の利用料等だけでは現在の活動は継続できません。そこで、学区の1600戸に対し経済的に活動を支援してくれる賛助会員を募集しました。予想もしない大きな反響があり、瞬く間に1年分の家賃にあたる額の賛助金が集り、住民のエールを強く感じました。
 多数の住民から善意のお金をいただいて運営する以上、いつまでも無責任な任意の集団であってならないと思いました。広く情報を公開してより多くの方々の参加のもとでさらに一層地域に根ざした活動を続けていきたいと考え、NPO法人として県に登録する道を選びました。
 2004年9月16日NPO法人として滋賀県の承認を得ました。若い世代の会員の入会もあり、以前以上に利用者が増えました。法人化により社会的信用も増し、市の介護予防事業(高齢者の社会参加と食改善)の委託を受けて、調査に協力しました。


大ピンチは飛躍のチャンス

 借用家屋の契約更新が不可能になり、「あじさいの家」の移転という新たな事態が発生しました。最大のピンチです。幸い2005年1月商店街の店舗付住宅が売りに出され、その新しい家主から当法人がその住宅を10年契約で借り受ける話がまとまりました。
 「しがぎん福祉基金」の助成を受け、店舗部分を交流スペースとして改装しました。改装は地元のリフォーム工房に頼み、塗装など日曜大工でできそうなところはすべて住民ボランティアの手で行ない、工事費を極力削減しました。さらに、不用家具を靴棚や、収納庫、テーブル等に無料で作り変えてもらうなど、人のつながりから生まれる地域の力により、2005年5月<新あじさいの家>をオープンできました。
 バス道路に面したアーケード付の商店街に位置し、公民館からも近く、見通しがよく、以前より入りやすい雰囲気になり、知名度も上がりました。今まで見かけなかった人も立ち寄るようになりました。
 さらに、車椅子の人や、杖をつく高齢者にも安心して過ごしていただくためには、早急に交流スペースにバリアフリーのトイレを新設する必要がありました。2006年4月、日本財団福祉基金の助成金およびバザーと寄付で集めた自己資金でトイレを新設しました。
 しかし、公道からの進入路にも段差があり、歩行補助車を使用する身体の不自由な人、赤ちゃん連れの人にとって不便であり、特に車椅子の人は他人の手を借りなければ交流スペースへ入れず、遠慮される様子がうかがえました。
 2007年おうみNPO活動基金の「まち普請事業助成」に応募しました。「交流スペースへの進入路のバリアフリー化、送迎車の駐車スペースを確保すること、商店街アーケード側を明るく改修・整備して、寂れかかっている商店街を活気ある雰囲気のまち並みにしたい」と審査のプレゼンテーションで強調し、採択されました。
 木部の塗装、汚れ落とし等はすべてボランティアの手で行ない、費用を節約し、2008年3月車椅子でも自由に交流スペースに入れるようになり、誰でも希望のプログラムに自由に参加できる最低限の環境は整いました。
 また、アーケード側も希望通りの明るい雰囲気に出来上がりました。「あじさいの家」が商店街に引っ越して以来、閉まっていた店のシャッターがいくつか上がり、バイク屋さん、お弁当屋さん、たこやき屋さんが開店し、アーケード下の花壇も少しは華やかになりました。


“あじさい”はみんなが出会う交差点

 2008年7月1日現在、当法人の活動を支えている人は、メインスタッフの理事11人、その他ボランティアスタッフ80人、法人の運営に意見が反映できる正会員97人、資金を賛助してくれる会員145人となっています。
 2007年度「あじさいの家」で交流した人は延べ約4000人、当法人のすべてのプログラムを総合するとさらに多くの人が交流したことになります。
 「喫茶あじさい」に現れる人の出会いから、最近誕生した様々なカルチャー倶楽部(陶芸、リコーダー、ウクレレ、詩吟、囲碁、書道、マージャン等)も趣味を通しての新たな出会いの場となり、最近は退職世代の男性の参加が目立ってきました。
 あじさいの家に通う常連の最高齢者は100歳。介護保険でヘルパーさんの援助を受けながら元気に独り暮らしを続けています。喫茶をしながらボランティアさんと会話を楽しむことが生活のリズムになっているようです。
 「あじさいの家」では90歳以上のみ高貴高齢者として尊敬を受けますが、80歳代は「若い」とみなされます。理事の最高齢は84歳の女性です。今でも現役の軟式テニスのプレーヤーです。高齢者の話し相手など、私たちの活動にとって重要なスタッフであり、その前向きで柔軟な生き方は皆のお手本でもあります。
 住み慣れたまちで住み続けるためには公的制度の整備はもちろん、さらに地域がお互いに支えあう市民活動としてのまちづくりが大切な要素になっています。これからも住民交流の場と様々な楽しいプログラムを提供することで、住民を縦・横につなぎ、高齢になっても、障害をもっても、孤立しないで地域社会とのつながりを保ちながら安心して、心豊かに、住み慣れた地域で暮らし続けられるまちづくりを考えていきたいと思います。