「あしたのまち・くらしづくり2008」掲載
<まち・くらしづくり活動部門>あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞

海・山・里・星 そして人が輝く町 そんな「まち」をつくりたい!
徳島県美波町 木岐まちづくり委員会“わいわいkiki”
わがまち「木岐」について

 徳島県の南東部に位置する旧由岐町は、平成18年3月31日に隣接する旧日和佐町と合併して美波町となり、「由岐地区」と呼ばれるようになった。
 由岐地区の沿岸域は、アカウミガメが産卵する多くの海浜があり、アワビやサザエなどの高級魚介類が漁獲される豊かな漁場に恵まれ、漁港を核とした小規模な漁村が、太平洋に面して陸続きの島のように六つ点在立地している。
 木岐地区は、旧町の中心部から3キロほど西に離れた位置に、西側を旧日和佐町に接して立地している世帯数300弱、人口700余人の点在集落の一つである。
 木岐の中心部は漁業と深くかかわる「木岐浦」であり、周辺部として「奥」、「白浜」と称される農業集落が存在しており、農山漁村として歴史を刻んできた。
 地区人口はピーク時の約4割まで減少し、高齢者比率は40%を超え、かつて1学年で50名を超えていた木岐小学校の児童数も全校児童30名程度まで減少、町議会などから統廃合の声が聞かれるようになってきている。


地域づくりと旧町の行政

 平成13年当時、合併の動きが進み役場が支所となっても地域住民が困らないような方策はないかを模索し、点在する個々の地域の地域力を向上し、地域の元気を町全体の元気につなげる新しいシステムとして、町内を八つに区分してまちづくり委員会を設け、それぞれの地区をサポートする「地域担当職員制度」を新設して、「住民と行政の協働」を推進することとなった。
 平成14年6月に地域振興課が創設され、平成15年4月には「地域づくり推進条例」が施行されたが、平成14年度はそうした行政内部での検討作業を進めていった年である一方、既存の町内会とは違った「実践的な地域自治の担い手」となる人材や組織を創出することも模索した年度であった。


『潮騒体感プロジェクトin木岐』の実施

 地域資源の再評価と人材の創出を模索した町は、「都市漁村交流対策事業」を取り入れることとし、平成14年5月、10町内会と6漁協に推薦を求めて実行委員会を組織、地区実行委員会を形成して地区事業に取り組むという方針を掲げた。
 しかし、地域等から推薦された実行委員は、自分たちだけでは木岐地区でモデル事業を実施することは難しいと感じ、他方、木岐地区でのまちづくり委員会設立を模索していた地域担当職員5名は、思案の末に「木岐まちづくり委員会」の委員公募作業を進めたが、応募者を核にするとしつつも具体的な「まちづくり委員会」の形成について明確な展望を持っているわけではなかった。
 上記のまちづくり委員公募の結果が、後に『わいわいkiki』の中心メンバーとなる女性4名のみであったことを受けて、同年7月4日以降、地域振興課、地域担当職員、実行委員会メンバー、応募女性4名が断続的に協議し、地域担当職員を連絡・調整役としつつ、それぞれの住民がまちづくり委員を推薦して初期の委員会を形成すると共に、地区実行委員会をまちづくり委員も一緒になって構成して、風呂が整備されていた木岐奥公民館を宿泊・滞在の拠点とする1泊2日の体験メニューを協議・決定していった。
 その後、徳島市内のNPO法人の意見も容れながらの「共発」的要素を持った取り組みとして、平成14年8月23日と24日の1泊2日、10数名が参加して潮騒体感プロジェクトin木岐「1泊2日親子漁師体験」が実施された。


『わいわいkiki』の誕生

 その後も日帰り漁業体験や料理教室等を受け入れながら、海、川、里、山という徳島県南部ならどこにでもあるものが資源として活用しうることを実感し、同時に、より一層の努力や工夫が必要であることを認識したメンバーたちは、あらためて「まちづくり委員会」としての会合を重ねはじめることとなった。
 しかし、「お金をもらって体験を売る」という試みに対して地域内外から向けられる視線は、羨望や誤解を含めて温かいものばかりではなく、徳島市内のNPO法人「新町川を守る会」の中村英雄会長の実践に裏打ちされた言葉がなければ、地域の持続と活性化を模索する「まちづくり委員会」としての『わいわいkiki』は、現存していなかったかもしれない。
 因みに、現在も毎月第1火曜日夜の定例会を含め、会議はいつも喧しく、話しは絶えず行きつ戻りつであり、当時からそのことを自覚していたメンバー自身が何度かの協議のうえで平成15年2月に決定したのが団体愛称の『わいわいkiki』である。


『わいわいkiki』の活動の現状

 上記のような経過の中で、平成14年度に女性を主体にメンバー30名程度で形成された『木岐まちづくり委員会“わいわいkiki”』であるが、今は50名余りに増加している。
 『わいわいkiki』は、平成15年2月に実施した「寒中ウォーク」を契機として取り組みを始め、今も黙々と継続している毎月1回の「地区内巡回清掃」や「花壇整備」などの地道な地域美化事業を行なっていると思えば、平成17年2月からの毎月第1日曜日、活動拠点のコミュニティホームや周辺で開催している産直と地域の賑わい創出を重ね合わせた「わいわい市場」のような派手な事業も行なっている。
 また、偶数土曜日(月2回)の独居高齢者宅への「配食サービス」を実施する拠点ともなっていたコミュニティホームでは、昨年11月から毎週水曜日に地域の食堂「わいわい亭」を開店、今年5月からはお好み焼き「わいわい」を奇数土曜日に開店営業し、午前10時半から午後2時までという短時間営業ながら、木岐地区唯一の飲食店として好評を得ている。
 年中行事的なものとしては、イボ取りの霊水井戸がある満石神社で毎年4月29日に開催されている例祭での「ぜんざい接待」、久しく途絶えていた「盆踊り大会」を8月14日の夜の恒例行事として平成15年度に復活させるなど、多くの人がその日を楽しみにしてくれている。
 別の恒例行事として、組織形成間際の年末・年始から実施している「街角イルミネーション」が挙げられるが、これは「住民自身の小さな力でも集めれば心豊かな空間を創り出せる」という地域住民に向けた「言葉にしないメッセージ」と言えるかもしれない。
 『わいわいkiki』は、このような地域コミュニティや地域内交流を発展させる活動に取り組む一方で、修学旅行生や都市部住民等に漁業や魚の捌き方を体験してもらう都市漁村交流対策事業の流れを汲んだ事業などの多彩な活動を展開しており、後述の『木岐まちづくり協議会』で現在検討されている「お試し田舎滞在」の企画でも、引き続き重要な役割を期待されている。


木岐地区内の地域づくりの現状

 ところで、地域の疲弊に危機感を感じた地域の住民グループは、平成15年頃から様々な取り組みを行なっている。
 例えば、『椿公園愛護会』は、満石神社を核にその周辺空間を椿公園として整備しつつ、2年に1回「椿自慢コンテスト」を開催し、不定期ながら「椿職人大募集」と題したワーキングホリディを行なっている。
 『八幡神社祭礼保存会』は、毎年9月中旬に行なわれる木岐八幡神社の祭礼を持続させるため、大人の御輿はもちろん、子ども御輿、薙刀、獅子舞、たたら音頭など伝承・復活・創造を意識した取り組みを続けており、近年はアマチュアカメラマンが大勢やってくるようになっている。
 農村エリヤである奥地区を主な活動フィールドとして平成8年頃から活動をスタートさせ、その後休眠状態となっていた『木岐奥次世代会議』は、平成17年に活動を再開し原風景づくり的取り組みと地域内交流に主眼を置きながら地道な活動を行なっている。
 趣が異なる動きとして『木岐夢ギャラリー』が挙げられるが、県西部からの移住者が古民家を借り受けて再生・活用、昨年5月からその古民家を会場に様々な催しを行なっており、今までに8回開催された作品展には2000人を優に超える観覧者があり、潮のにおいに満ちた木岐の中に、文化の香りを漂わせはじめている。
 『わいわいkiki』が存在していなければ、『椿公園愛護会』や『八幡神社祭礼保存会』が町への届け出「地域づくり団体」として形成されることも、『木岐奥次世代会議』が眠りから覚めることも、木岐地区内の殆どの団体が参加して今年3月末に創設した『木岐まちづくり協議会』もなかったかもしれない。
 『わいわいkiki』は、『木岐まちづくり協議会』の主要構成団体の一つとして、体制の整備・充実に取り組んでいるが、この組織は、「地域担当職員制度」が合併に伴い消滅後、地域全体のことを共に考え調整する「場」が失われてしまったことで、今後30年以内の発生確率が50%と言われる南海・東南海地震とその津波に備えつつ地域の持続と活性化を模索するという全地区的な取り組みが宙に浮いており、その停滞状況を打破し、地域住民自らが地域の持続可能性を高める取り組みを持続できる体制を整備しようと模索を行なっているものである。


今後の展望・期待など

 田舎で地域の活力を維持し持続可能性を高めるうえでは、交流人口の拡大やそれを契機とした移住者や交流居住者の増加は重要であり、来訪者と地域住民がふれあうことができる新たな滞在交流拠点を共発的な観点で整備することが期待されている。
 そして、その施設は、南海・東南海地震やその津波に対し、避難施設としても使えるように考えていくべきであろうと思われる。
 また、小学校の魅力の維持や向上も地域として考えていかなければならない大きな課題であり、地域の様々な情報を発信することも重要である。
 「合併により別の町となってしまった」という言葉が増えていく日々の中で、『わいわいkiki』が地域の主要構成メンバーの一つとして取り組みの継続と発展を模索していくことを通じて、団体紹介パンフレットに記された「海・山・里・星 そして人が輝く町 木岐」の実現につながることを期待する昨今である。