「あしたのまち・くらしづくり2009」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞

やかましい程に活気あふれる里山に・・・
岩手県遠野市 里山クラブやかまし村
 里山クラブやかまし村は、「やかましい程に活気あふれる里山に・・・」を合い言葉に、岩手県遠野市宮代地区の住民有志が集まって設立した、いわゆる草の根グループである。

 遠野市宮代地区は、JR遠野駅から北西に約6㎞の位置にあり、北西の高清水高原(標高798メートル)から東の猿が石川までの緩斜面に展開する総戸数53戸・住民数およそ200人の小さな集落である。全国の農村地域の多くがそうであるように、後継者不足と高齢化の問題を抱えている。
 宮代という地名からも分かる通り、現在の遠野八幡宮を遷宮した江戸時代初期(1661年)まで、遠野を災禍から守る八幡神社(現在の元八幡神社)があった地区である。


里山クラブやかまし村を設立するまでの経緯

 元八幡神社の例大祭は、集落の旦那衆だけが集まって神事の後に社殿の広間で会食するという形式であったが、14年前、壮年有志たちが自治会に働き掛けて、子どもたちや老人も参加できる出店や神楽も含めた「村祭り」を開始した。その村祭りは現在も続いており、一度は消滅した習慣だった女性たちだけのお祭り「宵宮」を前夜祭として復活させると共に、村の将来を担う子どもたちのために、普段は身近に接することができない芸術性の高いプログラムの「宵宮コンサート」を開催している。
 近隣都市や首都圏の大学生に呼びかけ、伝統技術である茅葺きを手伝ってもらい、集落のゴミ置き場を茅葺き小屋にした。この試みは行政区全体に影響をおよぼし、現在では合計7か所の茅葺き小屋建設と行政区内の名所・旧跡を繋いだ「茅葺き街道計画」へと発展している。
 8年前には、首都圏の大学の講座と共同で、「農村集落の活性化」をテーマに現地調査プロジェクトを開始した。毎年9月の例大祭の前に40名ほどの学生が宮代に入り、公民館や民家に宿泊しながら農作業体験と現地調査を行なった。この5か年計画の現地調査プロジェクトは平成19年3月に最終報告会を行なって終結し、多くの学ぶべき点と考えるべき事柄を残してくれた。


里山クラブやかまし村の設立について

 前文の「経緯」に記した様々な活動には、『自分たちが生まれ育ちそして老いて行くこの里山を、誰をも差別しない健康で心豊かな暮らしができる場所にしたい』という願いが根底にある。しかしながら、それぞれの活動や試みには必ずしも有機的な繋がりが確保されていたわけではなく、互いにリンクしながらより大きな効果を生む・・・体系的な進め方という点で十分ではなかった。
 そこで、平成19年の現地調査プロジェクトの終結を期に、グリーンツーリズム、ワーキングホリデー、里山と自然環境の保全、都市農山村交流の様々なプロジェクトを有機的に繋ぎながら「やかましい程に活気あふれる里山」を目指そうと、14年前に村祭りを立ち上げた壮年有志たちが中心となって里山クラブ“やかまし村”を設立した。


里山クラブやかまし村の活動について

 経済効果や収益だけを追求するのではなく、昔から神様の教えや戒めとして伝わっている伝統や習慣を守りながら、山や川を守って四季と共に暮らして来たのが日本の里山である。里山クラブやかまし村は、そういった里山の暮らしを特長として集落外部に発信し、その発信をきっかけに様々な交流が生まれ、そのことで皆が健康で心豊かな生活を送ることができるようになり、ひいては後継者問題・高齢化問題・・・限界集落という不安を乗り越えて集落全体の将来を明るくできると考えている。
 やかまし村は草の根グループなので、十分な資金を持っていない。だからこそ、自分たちが本当にやりたいことは何なのかをよく考え、常に過剰な投資や資金の無駄遣いをしない合理的なやり方を模索している。

●設立の年にはピザ用の土窯を作った。土台に使う石は近くの河原から拾い集め、窯本体を作る土は工事現場から粘度の高い残土を運び込み、50個ほどの耐火煉瓦を市内の瓦工場からもらい受け、メンバーが土日毎に集まって石積や土練りを行ないながら完成させた。土窯作りの計画を聞きつけて知識と経験を提供しに駆けつけてくれた人、職場から重機を無償で借り受けてくれた人、廃材を利用して窯の蓋やパーレなどの道具類を作ってくれた人、様々な人たちが「面白そうなことをやっているね!」と、自分たちの特技や知恵を持ち寄って窯製作をバックアップしてくれた。そういう人たちが新たなメンバーとしてやかまし村に加わり、窯でピザを焼き、それを肴に酒を酌み交わし、次にやってみたいことや夢のことを夜が更けるまで語り合う・・・。
 土窯を「やかまし窯」と名付け、メンバー以外の人たちにも広くピザ焼き体験などを楽しんでもらう。修学旅行や農業体験でやかまし村を訪れる子どもたち、子ども会や地域のグループ、視察に訪れる人たちに、材料費と薪代を頂いてピザの生地延ばし・トッピングを体験、そして自分で焼いたピザを堪能してもらう。
 毎月第3日曜日には、誰でも自由に参加できるピザ焼き体験会を開催している。窯を稼働させる前日には村の入口に黄色い旗を掲揚して知らせるので、遠くから旗を見てパン生地やグラタンを準備してくる人たちもある。

●平成21年の里山クラブやかまし村は、やかまし窯の活用に加えて、次の二つのプロジェクトを中心に活動を展開している:

①渓流沿いの遊歩道整備
 里山の象徴とも言える渓流について、周辺の草刈りや清掃を行ない、村民が所有する渓流沿いの山林を間伐して池を掘った。池には近くの川で捕獲した鮒を放し、周辺に休憩所やツリーハウスを建設する。渓流沿いの遊歩道は約1キロで緩い上り坂。適度に人の手を入れた里山の遊歩道で、子どもたちは沢水と遊び、大人たちは山菜狩りや森林浴を楽しみ、老人たちも少しずつ集まるようになってきた。
 このプロジェクトはやかまし村のホームページで公開しており、新たなワーキングホリデーの形として、草刈りやツリーハウス作りに参加してくれる人を募集している。市外からの参加者はホストメンバーの自宅に実費程度で泊まり、心地よい汗を流した後には、遠野名物「ジンギスカン鍋」とビールで皆と楽しい時間を過ごす。参加者がやかまし村の新たな村民となり、新しいアイデアや意見を出してくれ、やかまし村はもっと色々なことができるようになってきた。

②聴覚障害児グループとの交流
 普段は農業体験や里山生活体験の機会に恵まれない聴覚障害者に、遠野・やかまし村を訪れてもらうプロジェクトを企画した。聴覚に障害を持つ首都圏の中・高校生が中心になって活発な活動を展開しているグループであり、その手話ライブの完成度は目を見張るレベルにある。健聴者・聴覚障害者の別を問わず、観る者に勇気と元気を与えてくれる。
 障害を持つ人たちの多くは、整備された観光地以外の、農業体験や自然体験の場所にはなかなか行き辛いと言う。障害者が自由に動くことのできるインフラが整備されていないことはもちろんだが、受け入れる側の心の準備や体制が大きなネックになっているようだ。
 遠野市は、もともと福祉に力を入れている都市であり、やかまし村は『誰をも差別しない健康で心豊かな暮らしができる場所』を目標にしているので、彼らを心から歓迎する下地が揃っている。また、子どもの頃から手話を使っているメンバーがおり、環境・意志・人材の全てがこのプロジェクトの実施に最適な資源として存在していた。
 子どもたちは、やかまし村の民家や農家に泊まって農作業や里山の生活を体験する一方、手話ライブを中心に地域周辺の障害者や福祉団体と交流する。一般的には引っ込み思案になりがちな聴覚障害者だが、遠野の障害者も首都圏の障害者も互いの生活環境や文化の違いをベースに好ましい形で影響し合ってくれれば良いと考えている。
 行政の福祉関連部署や県立聴覚支援学校との連携、市内の手話グループや大学の手話サークル、福祉ボランティアの支援も取り込み、新たな福祉の視点と受け入れ側ホスピタリティー改善のきっかけとして、各方面から大きな期待が寄せられている。
 やかまし村のホストメンバーは、聴覚障害の子どもたちを迎え入れる心構えの体現として、毎月2回のペースで手話勉強会を行なっている。


終わりに

 やかまし村に登録するメンバーを村民と呼び、顔写真入りの村民証を首から下げて様々なプロジェクトに参加する。現在、ホスト村民は20名。市内外(主に首都圏)のビジター村民は約100名であるが、中には毎年3~4回定期的にやかまし村を訪れる人たちや、村への移住を考えている人たちもある。
 2009年2月には、ホスト村民が東京に出かけ、首都圏のビジター村民との交流会を開いた。今後は、やかまし村を訪れてもらうだけではなく、こちらも出かけていく・・・双方向の交流も新たな方向性として活発に行なっていきたい。
 やかまし村の活動は、昨年12月10日の農業共済新聞全国版の第1面記事をはじめ、様々なメディアに取り上げられ、少しずつ全国的に知名度が上がってきた。
 今後も、やかまし村の設立趣旨を守りながら、メンバーの全てが平等に楽しめ・心豊かな暮らしができる「やかましい程に活気あふれる里山に・・・」して行く活動を着実に続けていきたい。