「あしたのまち・くらしづくり2009」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞

長続きの原動力は楽しさ
茨城県取手市 NPO法人取手ぶるく
 千葉県との県境にある茨城県南の小さな街、取手市には、もう40年以上前に途絶えてしまった縁日「お大師様」がありました。
 駅から至近距離に位置したお寺の札所にちなんだ縁日で、今の縁日のような、食べ物中心のような露天ではなく、農作業に従事する人が買い求めにやって来るような、もんぺや、麦わら帽子、鎌や、包丁といった、生活に密着しているような商品がたくさん売られていました。
 集まる人たちも、お寺にお参りすると同時に、縁日を楽しむことで、少ない娯楽を満喫していた時代だったのかもしれません。新相馬八十八カ所の1番、5番、88番と、三つの札所を持つこのお寺の参道も、「大師通り」と名付けられて、活気のある駅前地区でした。
 どの商店でも後継者に悩み、高齢による廃業を余儀なくされ、商店の数も瞬く間に少なくなり、駐車場に利用されたり、ビルが立ち並んだりと、きれいに整理された街作りであっても、人が集まる賑わいのある街作りからは、かけ離れていき、当然のように「お大師様」も、途絶えてしまったのです。
 愚痴を言っていただけの私たちに、一人の青年から「僕一人でもやってみます」との無謀とも思える言葉が飛び出し、忸怩たる想いを抱いていた数名が直ぐに賛同し、甘酒を売る人、自慢のお赤飯をパックに詰めて売る人、焼きそばを作る人、創ったビーズのアクセサリーを売る人と、本当に小さな小さな縁日が開催されました。平成16年2月21日のことでした。
 それから5年が経った現在、少しずつですが、縁日に参加して手作り品を売る人が増え、お気に入りを目当てに、「お大師様」を楽しみに待っていてくれる人が増えてきています。

 この縁日が開催される場所の、中心とも言えるあたりに、靴屋を営んでいた方が高齢のために廃業されて、2年程空き店舗となっている建物がありました。築60年というかなり老朽化していた建物でした。
 「お大師様」の開催と同時に、私たちはこの空き店舗を、駄菓子屋に出来ないものかと、考えていました。半世紀も前の子どもたちの頃は、どこの地区でも子どもの足で5分と歩かずに、駄菓子屋があったものです。店のおばちゃんから買う時のマナーを習ったり、小さな悩みを聞いてもらったりと、現在はスーパーやコンビニでも駄菓子は売られていますが、レジの人とは会話すら成り立ちません。
 子どもの社交場ともいうべき、駄菓子屋が出来ないものかと、身近な人に相談したところ、寄付をしてくれる人、大工さん、外の壁を塗ってくれた会社、電気屋さん、テント屋さんまでが無償で参加してくれて、何と4か月という短期間で、「お大師様」が初めて開催されたその年の6月21日、駄菓子屋「よいこ」として、開店にこぎ着けたのです。子どもたち相手ですから、一人あたりの単価は容易に想像のつくもので、仕入れ原価も安くはなく、家賃と必要経費を差し引くと、人件費は到底捻出出来ません。
 日曜日を定休日とし、毎日午後1時から6時まで10数名の女性が交代で、ボランティアで店番をしています。
 全くの素人集団で、駄菓子について詳しい事が何も判らずに始めましたが、最近では子どもたちの好みや、飽きた頃を見計らって商品を入れ替える等、少しずつながら肩の力が抜けて来たように感じられます。
 「駄菓子屋のおばちゃん」をフルに発揮して、ゴミを散らかしたり、いじめっ子を見かけると、遠慮なく叱り、いつもの下校時間の前にもかかわらず、来店した子どもには、「今日はどうして早いの?」と必ず声を掛けます。
 毎日変わる店番なので、気になる子どもは連絡帳をフル活用し、月に一度店番全員が集合する会議で、話題に載せるようにしています。店内に入る際には、キチンと挨拶を交わすようにしたり、お金の使い過ぎに一言添える等、毅然とした態度を取るように心がけているのです。
 また、月に一度、第4土曜日には、この駄菓子屋の店舗前で、ベーゴマ教室を開いているのですが、小さな子どもたちに、根気よく教えることはもちろん、勝敗だけにとらわれることなく、マナーや挨拶などに、気を配りながら続けています。

 この駄菓子屋の運営が始まった2年後、隣で営業していた八百屋さんが、突然のように廃業してしまいました。
 丁度その頃、東京芸大OBの青年たちと知り合った際、彼たちから現役の学生時代に抱いていた想いを聴く機会がありました。市内の人たちと親しくなりたいと願っても、そんな場所もなく、市民である私たちにしても、取手に東京芸大取手キャンパスが出来て15年経っていたその当時も、学生の人たちと、親しく会話することもなかったのです。
 そこで、靴屋に続いて空き店舗となってしまったこの八百屋のあとを借り受け、学生の作品や、市民の手作りアート作品を展示する、ギャラリーを創ろうと動き出しました。八百屋を廃業された方は、かなり体調が悪かったとみえ、営業していた状態のまま、店を閉めてしまったので、後片付けから始め、店内の改装費用にもかなりの金額を要しましたが、本当にたくさんの人からの寄附で、あーと屋「えまる」として、平成18年10月1日に開店の運びとなったのです。
 このアート屋は、学生と市民がともにゆっくり過ごすことができる空間として、「美術」を通した相互交流ができる場となることを目的としました。
 学生が授業の行き帰りに、経済的にも時間的にも負担少なくして立ち寄ることができ、自分の芸術作品を展示・発表したり、また市民も学生の作品に触れることで日常的に芸術作品に親しめる場所です。
 30センチ四方の棚を作ったり、壁を区切る等して、このスペースを1か月、一般には1500円、学生は1000円で借りてもらいます。
 ここに展示された作品は、作者の希望に添って、売ることも良し、ただ展示だけで自分の創った作品を多くの人に観てもらうも良しと、自由に使ってもらうのですが、店番はボランティアで、私たちNPO法人のメンバーと、東京芸大のOBの青年たちが所属する「第ゼロ研究室」の共同運営としています。
 このレンタル料の収入で、家賃や必要経費をまかなっているので、売れた作品に対しての手数料は、一切受け取っていません。
 やはり日曜日を定休日とする、月曜から土曜日の毎日、午後1時から6時までの営業ですが、土曜日の午前中には、現役芸大生を講師として、デッサン教室を開設するなど、当初の目的とする、学生と市民の集いの場所として、動き出しています。

 毎日のように継続している、これらの活動の他に、私たちが4年前から手掛けているイベントがあります。
 取手には、「取手アートプロジェクト」という団体があるのですが、隔年に開催され、全国的な公募により開催される「公募展」において、7年前にとても興味を引かれた「取手蛍輪」という作品がありました。
 これは多くの自転車についている発電機(ダイナモ発電)を使って、輝き仮装をさせた自転車レースでした。
 主催をした団体の開催趣旨により、同じ作品の発表は一度しか行なわないため「また観たい」、「今度はエントリーしてみたい」という市民の声に応えるべく、この楽しいイベントを取手名物にしたいと、2年後に私たちの手で開催をしました。名前の由来ともなった、取手競輪場のバンク内を会場とし、初めは80名、翌年200名、昨年は500名と、毎年観覧者を伸ばし、今年も9月26日を開催予定として、準備しています。この作品の作者であるアーティストの小山田徹氏も、必ず京都から駆け付けてくれていることも、大きな心の励みでもあるのです。
 とかく、ネガティブな印象を市民に植え付けている競輪場ですが、こうしたイベントで初めて施設に足を踏み入れ、綺麗な場内を見直す市民もたくさんいました。

 このように、衰退を余儀なくされている取手の街を、少しでも楽しく、活気のある街に出来ればと、動いていますが、ボランティア等という大それたことではなく、何よりも自分たちが楽しいと感じてやっていることに、大きな意義があると思っています。