「あしたのまち・くらしづくり2009」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞

地域から広域に向って―ボランティアだからこそ、できる!!―
奈良県平群町 うぶすな編集部
まず一歩を踏み出すこと

 私が嫁いだのは奈良の古い農家の長男でした。当然、新婚旅行から帰るとすぐ田植を手伝いましたが、2児の母になり子どもの手が離れると肉体労働だけでは物足りなさを感じていました。それで長女の小学校のPTA広報部に入り、卒業後は地元のミニコミ紙のボランティア記者になり、ふと気がつくと17年も地元の方々にお話を聞いて記事に起こしていたのです。次第に隣町の気になる情報もわが町に伝えたくなり、反対にこちらの文化活動をもっと先の町まで知らせる必要を感じで、思い切って周辺7ヶ町に広報できる、また手元一点に情報が集まる広報母体として、当時大学生だった長女のパソコン技術を頼りに平成14年6月に2人で「うぶすな編集部」を立ち上げたのです。
 「うぶすな(産土)」とは出生地や骨を埋める地を意味しています。豊饒の大地の女神なので、太っ腹なお母ちゃんをイメージして非営利のタウン誌に「うぶすな」と名付け、編集長、編集員の母娘2人でも無理なく発行できるように紙面は読者からの投稿型にしました。
 紙が誌なのはすぐ「冊子」になる予定だったのですが、寄り道が多くてなかなか…。
 新聞を出し始めて3か月後に地元FM局からメディアミックスの申し出があり、投稿者に自分の声で情報を発信してもらうゲスト番組を作りましたが、次第に出演者や他の投稿者を引き合わせたくなって「文化のお見合い」と称した交流会を隔月に開催しました。
 当時は、新聞の配布地域でありFM可聴地区になる広域7ヶ町に合併話が持ち上がり、住民投票の結果合併が流れると、文化人の集まりである交流会なのに次第に険悪になって互いに出身の町村を問うようになりました。これではいけない、文化は政治を越えなくてはと、自主映画を作っているお寺の若院主や、地元劇団、資金を出しそうな会員に声をかけて平成16年には「みんなで映画をつくる会」を発足し、「私たちの文化遺産を映像で残そう」と、広域7町から駅前開発で様変わりする町並みや、広域農道で開発予定の小道、壊滅寸前の伝統産業「灯心引き」など素材を集めて家族愛の映画を作ったのです。
 企業や行政に頼らずに7町の住民約200人が協力して役者を泊めたり、女優の着替えや風呂を資したり電源をもらうなど撮影に協力しました。見慣れた景色も映像を通すととても美しく、すでに消えてしまった場所も懐かしく映し出されて、世代を超えてふるさとの映画を何度も観て頂くために、無料から500円までで現在も上映しています。
 今度はその力を借りて地元で雅楽の文化を咲かすために、新聞とラジオとネットで呼びかけて全国から海外から(アメリカのハワイ大学、ドイツのケルン大学の雅楽研究会など)、何台もの観光バスを仕立てて参加者が集い、斑鳩町で「第1回国際雅楽フェスタ」を朝から午後まで丸2日間も無料開催しました。次年からは斑鳩町がこの企画を引き継いで今年3年目の開催になります。学んでも発表の機会があるということで斑鳩町では小学校に子ども雅楽クラブを作り、成人には斑鳩ホールで雅楽講座が開かれて、私たちが遊び心で企画した雅楽フェスタは開催地の斑鳩町にしっかり根付かせることに成功しました。


地域力を生かして

 営利ではこんな大きなことは出来ません。カンムリ付きなら途方もない経費が生じます。ボランティアだからこそ出来る仕掛けがあるのです。資金がなくても公益性があれば、楽しくて夢があって参加することに意義があれば地域ボランティアは結束します。誰かがヨタヨタと重い「錦の旗」を振れば、そこに賛同者が手弁当で集結するのです。
 これが、ここに生まれ育った、ここに移り住んだ者たちが持つ「地域力」なのです。
 その仲間が「奈良といえば古代史。その先入観で奈良の中・近世史はないがしろにされてる。編集長、石田三成の軍師、嶋左近を知ってますか」と聞かれてやっと地元平群谷の人だったことを思い出したのがきっかけで、「それなら地元の英雄を地元視点で顕彰しよう」と。中央から見た誰かの補佐である嶋左近ではなく地元の資料で、幻の中・近世と呼ばれる奈良県の地域史を掘り起こして、平群町やゆかりのある寺社仏閣に光を当てて新たな観光資源として、宿泊誘致に結び付ける起爆剤にしようではないか。
 今時ラジオドラマなど誰も聞いていないし、作るだけ無駄だとの声に、ではラジオの宣伝に原作を新聞連載にして、まず活字で嶋左近「大和の風」を広めるために奈良日日新聞に掛け合って平成20年4月から新聞連載を確保。それから無謀ともいえる30分52話のNHK並みの大河ラジオドラマに挑戦したのです。まず資料集めから原作、脚本、声優や編集スタッフなどみな手弁当でした。脚本家や主役が降板するなど何度も大きな山を越え、放送権を守るために放送スタジオを出るなど紆余曲折、七転び八起きしながら1年半かけて、わが家の土蔵にマイクを立てた土蔵スタジオで、嶋左近「大和の風」を完成させました。
 長期に渡る収録現場ですから現場が飽きないよう疲れないように、毎回の食事にも季節の物を用意して、時には各メディアの取材を入れながらやっとたどり着いたゴールでしたが、地元FM局と東京の奈良県の情報施設で館内放送をするため、平群町とも協力して「へぐり物産展」も東京で開催すべく、うぶすなの文化活動の本体である「タウン誌うぶすな編集部」とは別に平成20年8月「特定非営利活動法人うぶすな企画」を創立しました。
 ラジオ放送が順調に流れ始めた頃に、地元テレビ局が投稿放送枠を提供するという記事を見て、そうだ、ふるさとの歴史を伝えるのは子どもたちだ、それなら視覚で楽しめるようにラジオの4分の1にしてアニメ用に始めから作り直そう。相棒に相談しながら15分24話の静止画アニメにすることに決めました。うぶすなで作画班を募集して、音楽も地元の吹奏楽団に依頼して、現在「大和の風」のテレビアニメをボランティア170人で制作中です。


小回りが効くNPO法人

 インドネシアにゆかりの声優に託したラジオドラマが、バリ州の複数のFM局で流されていましたが、バリ州知事から「うぶすな」や監修した大和郡山市と平群町にも感謝状が授与されることになり、上田市長に報告に参りました。日本語教育に使われている総合孤児院へ大和郡山市長からお土産を預かり21年6月バリ国際芸術祭でにぎわうバリ州知事公室に表敬訪問して、文化交流賞と感謝伏を頂きました。また、芸術祭に参加した声優たちの忍者ショーがユドヨノ大統領の前で演じることが出来て、当日はテレビで長く放映されて翌日のバリポスト紙に一面トップ。ジャワポストなど4紙に掲載されました。
 ラジオが流れている公共施設などで忍者ショーを演じると、新聞のお蔭でどこでも「ニンジャ! サムライ!」と声がかかり、声優たちもスターになったようで大喜びでした。
 来年奈良は遷都1300年にあたり、平群町も広報でイベントボランティアを募集したので、交流会の人脈がお役に立てばと参加しましたが早速、作画班がポスターやチラシのデザインを受け持ち、雅楽仲間が時代行列の衣裳をほぼ捨て値で引き受けてくれて、声優たちが戦国行列に甲冑を持ち込みで参加することになりました。そしてインドネシアで好評を得たサムライショーをイベント広場で公演します。
 町の「へぐり時代祭り」は1年に1度ですが、私たち民間のNPO法人はこまめに文化協会さんの舞台や地域振興センターさんの祭りに、そして筒井の順慶祭り、大和高田の御坊祭り、大和郡山の桜まつり、高取町の城まつり、東吉野の天誅組まつりにも参加して、年に何度も「嶋左近の町へぐり」を発信することができます。またアニメが次々と完成しますが、放送地区が違って受信できない地域でも数話分を試写として発表していけば、生駒市KCNさんの市民投稿枠で1月放送開始まで、よい宣伝になると思います。
 母娘2人で始めたミニコミ紙は「地域から広域に向かって発信したい」の思いでしたが、ラジオ番組を持ち、活字と電波の交流会で自主映画をつくり、新聞連載小説、ラジオの大河ドラマ、テレビアニメの制作といつの間にかすべてのメディアに関わることが出来て、多くの仲間と協力者に支えられて、今ではどんな大きな企画でも、資金などなくても夢があれば、みんなでその夢を叶えることができるのだと、確信にいたりました。
 人の輪とは本当に素晴らしいものです。