「あしたのまち・くらしづくり2009」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞

独自の発想で全国初の障がい青年の学びの場を福祉制度で設置
和歌山県田辺市 紀南養護専攻科を考える会
 「うちの子、落第させてくれんかな~」娘の通うはまゆう支援学校高等部の、ある保護者がつぶやきました。それを聞いたとき、同じ考えを持つ保護者がいることに気付きました。私の次女みゆきはダウン症で、ほかの障がい児と同じで成長が遅く、高等部1年時でも日ごろのふるまいは幼稚園児のような感じでした。あと3年すればこの子も社会に出なければならない、長女は京都の大学に進学したのに、自分も妻も大学へ親に進ませてもらったのに、こんなに幼いみゆきは作業所等で就労するしかないのか、親として疑問を感じていたところでのことです。
 このころ、所属している障がい児親子のサークル「カンガとルー」でも、子どもたちの将来を、関わってくれているボランティアの方々も交えて真剣に議論していました。18歳のこの時期に、社会に出て就職してもつまずいてドロップアウトし、引きこもりになる障がい者の多いことも知りました。「もう少し自立への力を付けてから、就労させてやりたい。なんとかできんやろか」と考えているとき、「カンガとルー」のボランティアでもある、はまゆう支援学校進路担当のS先生からの教えで、都会には専攻科というものがあり、高卒後そこで大学生と同じように、楽しくのびのびと学んでいる仲間がたくさんいるということを、ここで初めて知らされ、教育法でも認められていることも知りました。そして「専攻科」を勉強することで、素晴らしさ、障がい者の青年期教育の重要性がわかり、みゆきも「専攻科」へ進学させてやりたいと思うようになりました。
 しかし、和歌山のド田舎、紀南の田辺市からは、はるかに遠い都会にしか専攻科はない、もちろん周辺にもない。寄宿舎生活も考えたが、親として幼いみゆきを手放す度胸もない、妻とみゆきだけ都会に引っ越すかとも考えたが、それも大変。でも進学させてやりたい。など、いろんなことを考えましたが、妙案は出ませんでした。そして、最後に至り着いたのは「それなら、和歌山のド田舎紀南に、専攻科を作ろう」という、超無謀な考えでした、なぜか反対もせず同調してくれたS先生と、この超無謀運動がスタートしました。
 まず、はまゆう支援学校の保護者を巻き込もうと、育友会(PTA)の会長であった私は、広報誌に専攻科のことをたくさん掲載し、育友会事業として、保護者アンケートや専攻科見学ツアー(やしま学園・ランドマーク・聖母の家学園)を精力的に企画し実行しました。ツアーに参加してくれた保護者も私も、実際に目で見て、肌に感じて、改めて専攻科の良さを実感し、青年期教育の大切さも実感しました。アンケートでは約7割の保護者が「高等部卒業後に進学の道があった方が良い」と答え、超無謀運動にエネルギーを与えてくれました。
 そして育友会が発起人となって、他の小中学校の特殊学級保護者も巻き込んだ「紀南養護専攻科を考える会」(2006.9)を結成しました。設立総会には、約70名もの同志保護者が集まり、大盛会でした。この会の一番の目標は「はまゆう支援高等部の上に専攻科を作る。」ですので、県教委の考えを伺いました。やはり、予想した回答で「緊縮財政のおり不可能」でした。この会には二番目の目標があります「福祉施策を使った専攻科のようなものを作ること」です、そこで培った実績・データを武器に、県教委に再度掛け合おうというものです。
 それからは、周辺の障がい者の福祉施設で、専攻科を説明し事業展開してくれそうなところを探し回りました。この地方は大企業が少ないのと、先輩保護者に元気な方が多かったので、作業所の質も量も充実しています。しかし、障害者自立支援法が施行される前年で、各作業所はてんやわんやの時で、それどころではない状態でした。そんな中、最も大きな組織の「ふたば福祉会」が、新しい作業所を立ち上げようとしているとのことで、興味を示してくれました。保護者の「ねがい」が、大きなうねりとなり、地域で認められたのです。多機能型施設で、自立支援法の自立訓練事業を使えばできる、とのことで前向きに進みだしました。そしてさらにありがたいことに、半ばあきらめかけていたみゆきの卒業にちょうど間に合いました。大英断を下していただいた「ふたば福祉会」の皆様には、心より感謝しています。
 市街地から車で10分程度の、山間の静かな森に、多機能型施設「たなかの杜」と名付けられた、木をふんだんに使ったおしゃれなでっかい建物が建てられました。土地は市からの無料貸与、建物は国県市の公的補助金での設立で、その中に自立訓練事業「学ぶ作業所 フォレスクール」が入りました。ただし、最低6名の利用者を集めなければ運営できないために、みゆき以外にあと5名を勧誘しなければなりません。当然みゆきの同級生がターゲットですから、ガイドパンフを作り、保護者への説明会や見学会も開催しました。また悲しいことに、例年卒業生は20名程度なのに、この年に限って12名。プレッシャーに潰されそうになりましたが、案ずるより生むがやすしで、結局はまゆう・南紀支援学校5人・東京の高校から1人・ふたば内から2人と計8人でのスタートになりました。中心となる支援員は、教員資格を持ったふたば福祉会の若くてやる気いっぱいの女性と男性で、専攻科のこともしっかり勉強してくれて、当会と二人三脚でスタートすることができました。
 試行錯誤しながら、でも順調に計画通りに1年が経過しました。8人の仲間たちは、1人も脱落することもなく、のびのびと自由に楽しくじっくりと学んでいます。「すごく楽しいよ、友だちといっしょやもん」というのが全員の一致した意見で、支援学校時代ではたまに休んでいたみゆきも、1年間1度も休まず皆勤でした。そして今年の4月、やはり同じニーズを持つ保護者が多く、なんと簡単に7名の新しい仲間が入所しました。はまゆう5人、南紀1人そして遠くは新宮市みくまの支援学校から1人、近くのグループホームに引っ越してまで通っています。指導員も1人増員され、仲間15名の大所帯になりましたが、楽しく仲良く和気あいあいで学んでいます。
 全国的に例のない、教育的な支援を福祉で行なう先駆的な事業なので、県内外の教師や作業所職員、保護者等から問い合わせや見学者が殺到し、また支援員と私は講演依頼を申し込まれて大忙しです。障害者教育を研究する教授・教師や関係者にとっては「新しいアイデアだ、ユニークだ」と驚き、保護者にとっては「私たちの近くにもほしい、作りたい」と積極的です。当会としても積極的に、この情報・ノウハウを発信しようと考えています。全国でこのうねりが大きくなり、あちこちで「フォレスクール」が立ち上がり、障害を持つ多くの青年が、楽しく幸せな青年期を過ごして、自身を持ってつまずくことなく、「自立した社会人」として羽ばたくことが、当会の一つのねがいです。