「あしたのまち・くらしづくり2010」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞

「駄菓子屋」が紡ぐ子どもと地域のコミュニティ
群馬県前橋市 弁天通青年会
はじめに

 「弁天通青年会」の活動の舞台・前橋弁天通商店街は、県都・前橋の中心市街地、9つの商店街の連なる通称「Qのまち」の北端に位置し、子育て呑龍を祭る浄土宗・大蓮寺の門前町として栄えた商店街です。弁天通商店街も各地の中心商店街衰退のご多分に洩れず、交通手段の多様化や郊外店の進出で街から人は離れ、顧客の減少や後継者問題から老舗店舗すら店を閉めてしまう状況です。駅から離れている立地や一時期の駐車場不足からか残念ながら日本一のシャッター街という不名誉な称号を頂いてしまっております。今回は平成18年から「弁天通青年会」の仕掛けで、「駄菓子」をキーワードに子どもたち、地元の商店主との結びつき、コミュニティの醸成、賑わいづくりの活動についてご紹介させていただきます。


活動のきっかけ

 それまでも「弁天通青年会」では地元の詩人である「萩原朔太郎」を題材にした商店街との共同企画展や、地域の若者で商店街や地域のことを話し合う公開討論会などを企画してきましたが、同年代を対象とした今までの企画では商店主世代になかなか浸透しないこと、また一過性のイベントでは一時的な集客にとどまってしまい商店街を潤すような長期的・継続的な集客ができないことなど、問題点も浮き上がってきていました。
 そんな折、地元FM局と中心商店街の共済で行なわれるイベントに「弁天通青年会」として参加することになり、もっと多世代を巻き込める企画を・・・と考えた時に、ちょうど当時通りにあったスポーツ用品店の名物オヤジが思い起こされたのです。学校指定の運動着などを50年もの間、市内の小中学校へ訪問販売していた名物オヤジが声をかけると、下校途中の小学生たちも当たり前のように挨拶を返します。オヤジが子どもの表情を見て毎日違う声をかけ、子どもも面白がりながらそれに応えます。昔ならば当たり前にあったはずなのに、ここ最近はめっきり見なくなったその光景は、この弁天通商店街の特色であり文化ではないかと考え、元々が子育て呑龍さまへ子どもの無事成長を祈願しに来た親子連れで賑った弁天通発祥の歴史にもかけて、子どもとお年寄りが一緒に遊べる昔遊びの教室をやってみようという企画をつくることとなったのです。
 そして実際に大蓮寺を舞台に、住職にもベーゴマの先生として参加していただいた昔遊び教室は、市外からも申し込みがあったほどの大好評で、地元の商店主やその孫世代も覗きに来て、一緒に楽しみました。一過性で終わらせるにはもったいないけど、定期的に継続するには集客的要素が弱いので、イベントではなく商店街に子どもが集まれるスペースを開くことで、この商店街近隣の多世代間交流が続いていけばと思い、子どもが集まるために何が必要かを考えたところ、最終的にレトロな弁天通商店街であれば、雰囲気にもマッチする駄菓子屋がよいということになりました。


子どもが集まり子どもが広げる子どもの輪

 商店街協同組合からもらってきたテーブルやイス、中古の木製すべり台と幼児用ブランコ程度の備品とほんの少しの駄菓子を置いただけで始まった駄菓子屋・・・というよりも子どものフリースペースは、最初の頃は弁天通商店街の孫世代が一人二人来るだけだったのですが、お祭りや偶然通りかかった子どもたちの噂によって次第に認知度が上がってきました。ちょうど中央小学校、桃井小学校、敷島小学校、若宮小学校、城東小学校、中川小学校という6つの小学校の学区の狭間にあり、また近くには群馬大学附属小学校もあることで、違う学校の子どもたちが自分達の意思で集まってくるようになりました。はじめは見ず知らず学校も違う子どもたちも駄菓子や玩具で遊ぶ内に、すぐ仲良くなって名前で呼び合うような仲になります。放課後ともなれば、こぞって駄菓子屋に駆けつけ、学校では会えない学区の違う仲間たちと情報交換をしたり楽しく遊んだりします。足りない玩具は持っている子どもが持ってきて、親の目から離れ、自分の手持ちの小遣いでやりくりしながら、楽しく遊ぶ。退屈になったらちょっと足を伸ばして、秘密の隠れ家を見つけたり、騒ぎすぎて近所のオヤジさんに怒られたり。それは僕らの頃には当たり前の光景だったはずなのに、最近めっきり見なくなってしまった光景でした。


子どもが集まることで生まれるコミュニティ

 商店街にある駄菓子屋に集まるのは小学生だけではありません。商店街を通り抜けるだけだった若いお母さんたちの目にも、子どもたちが駆け回る光景は映ります。なかなか近所の公園にも人が集まらない中、近所のお母さんが子どもを遊ばせるのに、アーケード型で日中歩行者天国になる弁天通商店街は非常に適していました。一組の親子が遊んでいれば、また一組、また一組と遊ぶ親子連れが増えていきました。それで子どもが子どもたち同士で遊び始めれば親は暇になりますから、ちょっと近くの店を眺め始めて「そういえばこれが欲しかった」なんてニーズから購買行動が生まれたり、子どもの話で近くの商店主と会話が増えたりします。親子ともに商店街での対話によるコミュニケーションの機会が増えたのです。店主の顔を知っているか知らないかというのは、その店で買物をする際にとても重要な要素ですから、近隣の生活者と商店主が顔見知りになるというのはとても大切なことだと思います。
 また子どもが勝手に遊んでくれるということで、商店街を離れて生活している商店主の世継ぎ世代が実家に帰ってくる頻度が増えました。今まで会ったこともなかった商店主の孫同士も、幾度か顔を合わせるうちに仲良くなり、会うたびに遊ぶようになります。子ども同士が遊んでいれば、親同士も言葉を交わす機会が増え、商店街が地元のお母さんたちのコミュニティも次第に出来上がってきました。それがきっかけで世継ぎが店に戻ったという話こそまだ聞きませんが、いずれは出てくるのではないかと思います。


子どもをテーマにした商店街の活性化

 近所の公園が安心して遊べる場所ではなくなり、空き地や野山はその存在自体減り、昨今子どもが遊ぶ場所は実質的に少なくなっています。そんな中で常に店主が軒先を出入りする店が軒を連ね、アーケードがかかり、車の出入りが少ない歩行者天国の商店街は、街の協力や理解が得られれば、とても良い子どもの遊び場になります。もちろん多少商売の邪魔になってしまうこともあるかもしれませんが、子どもの話題をダシに、多くの人たちが自然にコミュニケーションをとれる場所をつくることは、長期的・継続的に人を集めるためには重要なことなのではないかと思います。お金をかけた一過性のイベントでは瞬間的には人が集められても、定着しない。しかしながらどうすれば人が定着するかというのは、なかなか答えの見付からない問題でもありますが、そんな中で前橋の中心商店街では商店街の活性化のために子どもとその親を呼ぶための企画が増えてきています。
 前橋青年会議所では商店街で子どもに職業体験プログラムが、前橋工科大学では中央公民館と協力して子ども実験教室が好評で、毎年規模を大きくしています。職業体験プログラムでも初回から参加し続けている当駄菓子屋を基点として、弁天通商店街からは当初2店舗の参加だったものが3回目の今年は6店舗と増え、また子ども実験教室に関しても当初公民館内でのみの開催だったものが、今年からは商店街全体も巻き込んだ形で行なわれるようになり、弁天通としてもザリガニ釣りを催すなど、弁天通商店街としても子ども絡みのイベントへの理解が増しています。
 また面白いことに、一昔前ならばありえなかった中心商店街への駄菓子屋出店も、前橋中心商店街全体にすでに3店舗と増え、街ぐるみで子どもで賑う商店街づくりを進める気運になっています。
 さらに近隣町内会の納涼祭なども今まで大人向けの内容だったものを子ども向けの企画を増やしたり、子ども向けのイベントを別で企画したりしていて、そんな際にも駄菓子の出店を依頼されたりと、商業地としても地域の自治会としても、子どもを呼ぶという方向性でまとまりつつあり、その一助を担えているというのはとても光栄なことです。


商店街の駄菓子屋さん

 商店街に昔同様の賑わいが戻り、土地としての価値が上がってしまえば、当然の如く存在し続けられないだろうお店ではありますが、元々駄菓子という商材は、懐かしさ、手軽さ、ワクワク感、その他子どもからお年寄りまでが楽しく過ごすためのいろいろなものを提供してくれます。商売としては利益率が低くすぎて、商店街に軒を連ねるような商売ではない駄菓子屋ですが、衰退しつつ良い意味でも昔の面影を残す商店街において、これほどマッチする店舗は他にないのではないかと思います。
 今後10年、20年後にこの街やこの商店街がどうなっているのかは分かりませんが、この地域に生まれ育った子どもたちが、将来もこの商店街や地域の友だちの記憶を忘れないように、そしてまた、今いる商店主はじめ商店街を歩くお年寄りが、地域の子どもの成長を感じながら、活力を得て日々の生活を送れるように、時代の許す限り、この活動を続けていきたいと思っています。