「あしたのまち・くらしづくり2010」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞

子育て世代を中心としたメンバーによる震災からの心の復興
新潟県長岡市 NPO法人多世代交流館になニーナ
成り立ち

 2004年10月23日17時56分に発生した新潟県中越大震災が本団体の発足の転機となる。新潟県中越大震災は、マグニチュード6・8、最大震度7を記録し、被害状況は、死者68名、住宅被害約12万棟であった。ピーク時の避難者数は約10万人を超え、我が国では、1995年の阪神・淡路大震災以来の大きな地震災害であった。
 本団体のメンバーは、震災前から子育てをする母親のネットワークとしての「長岡子育てライン三尺玉ネット」を立ち上げており、子育て支援の活動を継続して行なっていた。震災直後は、このメンバーを中心に、避難所に避難する子育て世代の母親の支援活動に奔走している。とかく大規模災害においては、行政機関の避難所における被災者支援はマスを対象とした公平を旨とした支援となりがちである。そこで、災害時要援護者と呼ばれる被災者に対するきめ細やかな支援が課題となってくる。
 本団体のメンバーは、日頃からのネットワークを生かし避難をする子育て世代の母親のニーズを探り出し、全国のネットワークを生かすなかで、子育て世代の母親が必要とする物資の供給や、精神的なストレスから母乳が出ないなどといった母親の悩みに対する情報提供やケア活動といったきめ細かな支援活動をしていた。(この経験は、NPO法人多世代交流館になニーナにおいて母親のための防災テキスト「あんしんの種」としてまとめられ、全国に配布されるとともに、このテキストを使用した「子育て防災支援士」講座が開催されている)
 その後、この支援活動をきっかけに民間の復興支援団体の「中越復興市民会議」とつながり、応急仮設住宅、復興公営住宅に住む被災者支援にかかわることになる。阪神・淡路大震災では、この応急仮設住宅、復興公営住宅における被災者の孤独死が大きな課題となった。この孤独死の犠牲となった多くの被災者は、人と人とのつながりが希薄な高齢者であった。この教訓を生かすべく、本団体のメンバーは、応急仮設住宅・復興公営住宅に住む被災者が気軽に立ち寄れる憩いの場としての「多世代交流館になニーナ」を開設し、人と人とのつながりが希薄化しがちの被災者のつながりづくりを積極的に行なっていった。
 2008年8月のオープンより約半年で来館者人数は3500名を超え、その後も年間利用者9000名をコンスタントに記録し、多世代の交流を通した人と人とのつながりづくりに大いに寄与をしている。2009年11月には、この活動が評価され新潟県自治活動賞を受賞している。2010年7月現在では、被災者支援の役割を終え、日頃からの多世代・多文化の交流を通した地域社会における人と人とのつながりをつくる活動にシフトするなかで、NPO法人として活動を活発化している。
 本団体の活動は、高齢社会を迎えた我が国の災害時における被災者支援活動としても、日頃からの地域社会における人と人とのつながりづくりの支援活動としてもこれまでにない新たな支援のかたちをつくったことからして、そして、この活動を行なっていた主体が地域社会に住む普通の子育て世代の母親であったことからしても特筆すべき活動である。


活動の特徴

 本団体の活動の特徴は、弱者の力や役割を引き出す支援にあるといえる。弱者を弱者として支援対象に固定して支援をするのではなく、弱者の本来もつ力や役割を引き出すことによって弱者を支援される側から支援する側に変えていくことにある。
 2006年6月26日に本団体のメンバーを中心とした「教えて!おばあちゃん、長岡の郷土料理教室」というイベントが旧山古志村(現長岡市)東竹沢地区の被災者が住む応急仮設住宅にて開催された。このイベントは、子育て世代の母親が旧山古志村のおばあちゃんから郷土料理(ちまき・ふきのきんぴら)を教えてもらうというイベントであった。旧山古志村は、中越地震において大きな被害を受け全村避難を余議なくされた地域である。また、本イベントに参加された被災者の住む東竹沢地区は、震災による河道閉塞によって水没をした集落を含んだ地区であった。震災時の旧山古志村の高齢化率は34・6%と極めて高く、応急仮設住宅における高齢者の避難生活が大きな課題となっていた。
 本イベントの特徴は、普通であれば高齢の被災者を支援するために、支援者がまかないをつくり振る舞うかたちをとるところを、被災者より郷土料理を作ってもらい、支援者がその作り方を教えてもらうかたちをとったところにある。このイベントのなかで、震災以来ずっと誰かに支援され続けた高齢の被災者は、郷土料理をつくり、教える、つまり誰かを支援する側になることにより、自らの力と役割を感じるなかで本来の自分を取り戻していたし、過疎高齢化によって日頃から接することが少なくなっていた子どもたちにふれることにより笑顔を取り戻していた。また、支援者である子育て世代の母親は、日頃学ぶ機会が少ない郷土料理を教えてもらい、人生の先輩であるおばあちゃんから日頃の子育ての悩みを聞いてもらうことによって、支援をすることで得られる満足感とは違う満足感を感じていた。
 とかく、被災者や生活弱者は、誰かに支援され続けることによって「支援を受ける顔」や「可哀そうな顔」が唯一の自分の顔になってしまいがちである。本来ならば、人間は、「料理が得意な顔」「子どもに優しく接する顔」「音楽が好きな顔」等といったいくつもの顔をもっているはずなのに、被災者や生活弱者となることで本来もっているいろんな顔を忘れてしまうようである。その意味では、この「支援を受ける顔」や「可哀そうな顔」でしか生きることのできない存在を作り出しているのは心ない支援者であるともいえる。本イベントは、被災者と支後者の顔に着目し、被災者の忘れかけていた「郷土料理の得意な顔」や「子どもに優しく接する顔」と支援者の核家族化等による「子育ての悩みをかかえる顔」を結び付けることによって被災者と支後者の関係を変え、両者の力や役割を引き出すことによって課題解決をはかったといえる。
 このイベントをきかっけに、本団体は、子育て支援だけではなく多世代の交流を通した人と人のつながりに着目するなかで多世代交流館になニーナを開設し、現在では、この考え方のもと、多様な世代が交流する場を地域内に定着させることを通じて、より多くの市民がつながることで安心な地域づくりを目指すことを目的に、高齢者、子育て世代に留まらず、障がい者、外国人、若者(ひきこもり・未就業者)などの支援活動を行なっている。


活動概要

①居場所作り事業
日常開館・・・常設の交流サロンを中心としたい様々な人々の居場所と交流の機会の提供
手仕事カフェ・・・手芸を基本とした交流の場の提供
子育てサロン・・・子育て世代を中心とした交流の場の提供(長岡子育てライン「三尺玉ネット」に年間委託)
健康お茶会・・・身体を動かし健康について学び、交流できる場の提供
②育成事業
施設の貸しスペース・・・市民団体・個人・行政・企業などへの活動場所の提供および備品の貸し出し
人材育成・・・研修の受け入れやボランティアの受け入れ
担い手スタッフの人材育成・・・子育て世代の新しい社会参画、ワークシェアの模索、社会に適応が難しい人たちも関われる場
③つなげる事業
 中山間地とまち場、高齢者と子育て世代や学生、市民団体と企業や行政など地域や年齢、性別、国籍、職種などに限らず人と人が繋がっていくことで元気になり、安心して暮らせる地域をみんなで創り上げていく
④広がり事業
 広く視察の受け入れ、復興への活動を啓発するための広報活動、情報発信、ネットワーク形成
⑤相談事業
 個々の健康相談や市民団体への情報提供をはじめとする相談、企業への企画アドバイス、行政への相談対応などに応じる
⑥防災事業
 中越大震災の経験を生かし、子育ての視点を生かした防災冊子の作成、子育て防災支援士の養成、他地域へ向けた子育て防災講座の実施など
⑦その他事業