「あしたのまち・くらしづくり2010」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞

人・地域を動かす―蛍を通した地域経営戦略―
兵庫県多可町 八千代蛍の宿路の会
活動の目的

 多可町八千代区俵田地区における「都市農村交流」は、中山間地域における「地域と連携」を基軸にボランティア、生きがいづくり、経済循環の創出、あわせて県内外の都市との交流を通して、蛍の生態と養成、環境保全の大切さを訴え、「八千代の良さ」の呼びかけや観光のスポットづくり、地域ぐるみで取り組む体制作りなど「蛍・自然・環境」を基本としたエコツーリズムの実現に向けて「八千代蛍の宿路の会」を始め、地域ぐるみで取り組んでいる。


活動記録・成果

 俵田地区は、中山間地域に位置し、毎年、緑豊かな夏に向けて、濃く、深く、色づいていく6月、自然豊かな北播磨地域には、毎年、あちこちで幻想的に舞う蛍の観賞会が開かれている。
 当地区においても、野間川沿いに1・3㎞にわたって設けた「蛍の宿路」もそのひとつ、平成元年に野間川上流にゴルフ場ができることになり、「芝生管理するための農薬が川に流れると子や孫の代まで大きな影響を及ぼす」といったことから、同級生3人で話し合った結果、「反対したり、責め立てたりするよりも行動で示そう」水のきれいなところでは、蛍が棲むという「蛍の里」をアピールすることが大切だ!」として、それを実践する組織として「八千代蛍の宿路の会」を5人ほどの若者が中心になり結成した。
 昭和30年代後半、歩くだけでも顔にぶつかるくらい、たくさんいた蛍も、少なくなっていたため、まずは、原因探しから始めようと河川掃除を始めたところ、河川には空き缶や空き瓶、ビニール袋、ドラム缶、紙オムツ等大量のごみが投棄され、自分たちの生活用水が汚染されていることに気づき、昔から多く見られた「蛍」が、これが原因で少なくなっていることが判明した。
 そこで、地元の中学校の先生から「蛍の生態や習性」を基礎から学び、環境浄化のバロメーターである「蛍」を通して新たなる「地域づくり」の創造を「蛍の宿路の会」から始めることにした。
 まず、河川掃除を2ヶ月間にわたって行なった。次に集落にカワニナの養成を協力要請し、ガーゼに蛍の卵を産ませたものを各家庭に配布し、2㎜くらいまで成長した幼虫を毎年6万匹ほど集落役員と共に放流をするようにした。
 幼虫を飼育する水槽も水盤利用や発泡スチロールの手作りで考えるなど独自に工夫し、蛍の卵が住み着きやすい環境作りも毎年8月以降継続して実施している。
 当初は、先生からは、「蛍の成育は難しい上、増やしても乱獲されるかもしれないから止めとけ」と言われたが、蛍の宿路の会では、乱獲を防止し、寝ずに番をしようと、それから1ヶ月間毎晩、川に通い訪問者の乱獲に目を光らせながら、無我夢中で取り組んだ。
 時には、困難にぶつかり、つらい気持ちの時もあったがそれでも蛍の観賞に来た人々から「感動した」「すごくきれいやねえ!」との声を聞くたびに「より多くの人に見てもらい、環境を見直そう」「1年1年が勝負だ」と言って励ましあった。
 3年目からは、河川掃除もしながら、河川に沿う陰伐地の手入れにも「蛍が生息しやすいようにそして、水分補給がしやすいように」ということで、柳の木やセキショウの木が育ちやすい土壌づくりを中心に1・3㎞間を手入れし、その上に一帯に植林されている檜、杉の人工林の間伐作業や10㎝以下の小径木の除去などの手入れも「宿路の会」が中心になり行なうようになった。
 こうした環境を考えた間伐や小径木の手入れなどは、他集落の役員の目に入り、「行動を起こす見本例」として感動を与え、その輪が広がりを見せ、蛍の生息を大切に思う他集落でもこうした作業展開がなされるようになった。
 こうした緻密な活動が集落民を動かすようになり、4年目からは、蛍の宿路の会をはじめ、俵田集落の「定例出役活動」として位置づけられ、今日まで年3回は自主的に行なうようになった。
 平成5年から7年にかけて俵田集落、蛍の宿路の会では、町が公募により決める滞在型市民農園(フロイデン八千代)の候補地、経営管理の募集に対して応募した。
 7地区からの応募の中から、見事選定されたため「自主的に、集落ぐるみ」で取り組むことを条件に「グリーンツーリズム・エコツーリズムの推進」に取り組むことになった。
 全国に先駆けた取り組みを行なうため、60戸の別荘の入居者との交流活動、数々の農業体験、林業体験などを都市住民のアイデアと企画力、地域住民の永年、培ってきた経験や体験力を活かして行なうようになり、そんな中から生まれたた蛍祭り、レンゲまつり、収穫祭など多くのイベントには企画、準備から後片付けまで都市住民と共に取り組む体制が出来上がり年々充実し、こうした積み重ねが、他に類を見ない交流により人間関係が構築され、協働精神が養われてきた。
 そんな中、都市住民の中にも蛍に対する関心を抱く人が多く「蛍の勉強会」が実践を通して開催されるようになってきた。
 毎年7月10日には、俵田住民と都市住民120人程が家庭の中で育てた蛍の幼虫を河川に放流する慣例が出来上がり義務づけられたのも大きい。
 自分たちが育て上げた蛍の幼虫が、毎年5月下旬から6月25日までの長期間飛び交い、「感動」を与える「蛍の里」として役割を果たすようになってきた。
 当初は2000人ほどの観賞者が平成17年には10万人を超える入り込みへと増大していった。
 平成8年には、「八千代蛍の宿路の会」が中心になり、「ふるさと水と土保全モデル事業」の採択を受け、国、県、町などの指導を受けながら「蛍の名所」として地域全体の環境を向上させ、蛍の生息する美しい自然を守り育てる運動の展開や日常の維持管理活動にも集落ぐるみの展開を促進させていった。
 計画水路は、自然志向、自然回帰的方向性で、天然の石、土を利用した生物の生息がしやすい環境を作ることや蛍の生息だけに拘らず、多様な生態の場として水路の日常の清掃、維持管理がしやすいように護岸の勾配を緩やかに配慮することなども訴えた。
 700mに及ぶ水路(魚道)には、蛍の餌になるカワニナの繁殖を促すと共に「蛍の繁殖施設」も建設し、「蛍の一生を描いた」生育図や模型図も展示し、蛍の生育状況が一目で解かるように掲示する。
 また、訪れる人々の住所録や添書帳を備えることによって、京阪神から訪れるファンの確保を積極的に行ない、多くの要望にもきめ細かく対処していった。
 その数も10年で約4万5000人を超え、蛍についての関心度を高めると共に「心の新しいふるさとづくりの里」としての役割を担うことになった。
 また、同年から、八千代の3小学校から「社会科」時間帯に「蛍の一生についての生態学」の授業を受け持ってほしいとの要望を受け、人の前でしゃべる機会のない者同士が必死で子どもたちの立場に立って教壇に立つことになった。
 さらに、平成11年から地域では、EM菌の普及をはかり、農用地への活用を始め、各家庭で、朝の米のとぎ汁を用水路に放流したりすることによって河川の浄化を説き、川上の役割を果そうと参加者を募り、その輪を広げていった。
 水の浄化調査を積極的に行なうため、EM菌の発酵液の河川投入やセラミックス、蒔き炭等を大きな布団籠に詰め、河川に敷き詰めて、河川直下の水質調査と浄化状況を年3回調査することにより、蛍の餌であるカワニナの生育状況と整合性を検分して蛍の増大を図ってきた。
 また、こんな状況を知り得た地元の中学生の中にも「蛍の委員会」を立ち上げ、蛍の観察、飼育、放流の研究等を学生と地域とが一体となって進めてきた。
 こうした蛍の研究が進むにつれ、尼崎市からの尼崎市北公園内に蛍が飛び交うように指導してほしい旨の要請を受け、1年がかりで公園地に属している自治会の指導を受け持つことで、その役割を果たすことが出来た。
 今では、その縁で尼崎市との経済活動の輪が広がり、尼崎市商工会議所との間でアンテナショップの出店の方向性が検討されてきた。
 また、近隣の町からも、下水道の浄化施設の下流に「蛍を飛ばしたい」という要望があり、会と集落が協力しリーダーを派遣することによってその市町との交流が生まれ、市町独自のイベントヘの参加要請を受けることによって、交流の輪から経済活動へと発展してきている。(尼崎市、加古川市、加西市、加東市、千葉県、茨城県など)
 都市住民と地域住民の協働化で、蛍の遊歩道1300m間の散歩やジョキングには、ごみ袋の持参を呼びかけ、滞在型施設や地域から出る生ごみは、町から、ゴミを通した堆肥作りの指定を受けたことにより、生ごみ処理機の導入を図り、その活用を広く呼びかけ、「ゴミの無い地域づくり」をアピールしていった。

 毎年、行なう蛍観賞会も都市部の大手企業と連携し、毎年6月の第2週土曜日に定着化させ、平成17年には5月下旬から1ヶ月間に観光バス27台、普通乗用車3000台が訪れ、入込み客数も10万人まで膨らんできた。
 近畿で「蛍の里」としての名を馳せ、大きな広がりと共に蛍に対する問い合わせや視察者が毎年増え続けているのが現状である。
 こうした蛍を通した交流も兵庫県内外からの経済活動にまで膨らみ、地域住民と都市住民(フロイデン八千代の入居者)とが一体となった「自然と環境」を基本にした交流活動や経済活動は我が多可町の模範であり、その経済効果は、平成17年末では、約5000万円、間接波及効果は約6500万円にまで上がってきた。

 平成20年から21年度にかけては、都市住民の設計企画で、協働による水車小屋の建設や里山整備も次から次と手がけ、交流による大きな尊い財産を生むことになってきた。
 これを機会に、集落民の蛍観賞会も役員だけの活動から、集落民の当番制でボランティア活動として位置づけ、午後6時から11時まで駐車場の管理、蛍の乱獲防止、事故対応など1ヶ月間に渡って行なうようになり、最後の週には反省会を開催し次の活動へのステップアップを図っている。
 また、わずかな駐車料代わりに、蛍をデザインしたペンダントを配布し「蛍の里」をアピールすることによって大変好評を得ている。

 さらに、平成8年から続けてきた町内3小学校3年生の「蛍の学習会」も平成19年から学校に教えに行くことから、「フロイデン八千代のインドアホール」に来ていただき、映像や模型を使った授業へ、また、河川の状況や蛍に必要な花木、餌のカワニナの生息状況等をより実践を踏まえた現地指導を加えることによって「わかりやすい授業」に変貌し、大変好評を得ている。
 また、平成21年度から3年計画で、「蛍の宿路の会」では、柳の木、せきしょう、しょうぶ等を600m間植栽することを決め、蛍が棲みやすい環境作りを一層進めようとしている。

 最後に、多可町主催による「語り部講習会」には、蛍の宿路の会はもとより集落からも参加し、講習を受けると共に地元公民館で「語り部の講習会」を再三開催し、常に人材育成に心がけると共に、地元の歴史、文化、蛍の1年間の生態サイクル、環境問題の大切さ等語り部を担当する者が視察者に語ると共に蛍シーズンになると機会を得ては語り部となって当番制で出役し、ファン醸成を行なっている。

 こうして蛍を通して得た貴重な経験、体験をさらに活かしながら、「蛍、自然、環境」を軸に地域経営戦略として、人材育成に力を注ぐと共に地域性豊かな活力に満ちた地域、暮らしづくりに邁進していきたい。