「あしたのまち・くらしづくり2011」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 主催者賞

開拓の結束の中から生まれた麓郷振興会
北海道富良野市 麓郷振興会
 大正11年、北海道富良野市の十勝岳連峰の南麓、美しくも厳しい富良野の大地を開拓する住民の結束の中から、麓郷振興会(自治会)は生まれました。東京大学演習林の設置とともに、開拓が国策で進められ、開拓住民は手つかずの森林を切り開き、荒れ野を一鍬一鍬耕し、今年、麓郷振興会は誕生90年。ヨーロッパの風景を思わせる、曲線の連なる田園風景は住民の汗と涙の結晶であり、子々孫々に伝えていきたい誇りでもあります。その美しい風土はテレビドラマ「北の国から」の舞台ともなりました。
 今年、東日本を突然襲った大震災。大きな衝撃を受けたのは、この麓郷も例外ではありません。被害を目の当たりにし、何とか被災者の希望につながればとの思いから、6月現在で2家族6人を受け入れています。麓郷振興会は、東西12キロメートル、南北8キロメートルという広大な土地に496人164世帯が住み、人口は昭和30年代のピーク時の2000人から激減、現在は小学生16人、中学生が12人を数えるだけとなり、過疎高齢化が進んでいるのは全国の農山村と変わりません。麓郷振興会を構成する10の町内会のうち1町内会は統計上、準限界集落に数えられます。しかし、麓郷振興会役員会では「何か自分たちの役に立てることがあるはずだ」と満場一致で、少しずつ持てる力を出し合い、被災者の支援に取り組んでいくことを決めました。
 これらの活動の原動力になっているのは、開拓以来はぐくんできた助け合いの心が今も脈々と受け継がれているからと言って他ならないでしょう。その活動の一端を次にご紹介したいと思います。

@東日本大震災の被災者の受け入れ
A地域を挙げて市道や農道の整備
B住民で支える地域唯一の生鮮雑貨店
C麓郷と他地域を結ぶ山麓地域の連携
D世代を超えたクロスカントリースキー大会の運営

@東日本大震災被災者の受け入れ
 東日本大震災の発生を受けて、麓郷振興会が住民に協力を呼びかけたところ、空き家や物資の提供など次々に支援の輪が広がりました。
 「北の国から」の脚本家倉本聰先生の提唱する「被災学童集団疎開受け入れプロジェクト」に協力する形で、6月現在2家族6人が福島県の原発被害から逃れて麓郷に数ヶ月間住むことになりました。最終的には、夏休み期間中の短期から半年程度の中期まで含めて20〜30人を麓郷振興会で受け入れる予定です。
 ランドセルを背負って麓郷小に通う子どもたちの間からは「マスク無しで遊べてうれしい」との声が早くも挙がっています。
 受け入れにあたって、住民が被災者の住む空き家の掃除をしたり、炊事洗濯の面倒を見たり、10の町内会ごとに協力を進めています。また、地域に早く馴染んでもらおうと、ソフトボール大会やパークゴルフ大会を開催し、交流を深め、歓迎の気持ちを表しています。麓郷振興会の目黒英治会長は「倉本先生の弟子たちも空き家の清掃に参加してくれた。地域全体で被災者の生活をフォローし、住民同士、また、住民と被災者及び被災地と将来にわたって助け合いと連携の心が生まれていけばうれしい」と話しています。

A地域を挙げて市道や農道の整備
 300本、約5キロメートルにわたって続く麓郷街道の桜並木があります。下草刈りや河川、道路の清掃など、住民の手で育て上げて北海道有数の桜並木に成長。春は見事な花を咲かせてくれます。
 毎年夏、行なわれる草刈りには、世代を超えて住民が集い、富良野市内のJA職員も応援に駆けつけ総勢100人を超える参加者を数えるほどです。この他、美しい田園風景を保っていくための水路や農道の補修整備も、全て住民がボランティアで進めています。

B住民で支える地域唯一の生鮮雑貨店
 交通手段を持たない高齢者が日々の買い物にも困る「買い物難民化」は、この麓郷でも問題となっています。これまで、長年にわたって経営を続けてきた富良野市山麓地域唯一の生鮮雑貨店「Aコープ藤林商店」が昨年、経営危機に陥りました。もし、商店がなくなれば10数キロメートル離れた市街地まで、車で買い物に行かなければなりません。「住民の大切なお店をなくしてはいけない」という声が次々に挙がり、麓郷振興会が中心となり、藤林商店を地域ぐるみで支援し、経営存続の道を模索していくことになりました。
 まず取り組んだのが、道の駅になぞらえた「森の駅」としてリニューアルオープンし、住民だけでなく、観光客をより多く呼び込むこと、また、地域のおじいさんおばあさんが丹精した野菜を販売したり、地域住民が開拓以来はぐくんできた技や味を披露するイベントを開いたり、地域の情報発信を行なうことで、地域の交流拠点にしていこうと考えました。
 「森の駅」の看板を設置したり、休憩所や情報発信コーナーを新設。目黒会長は「観光客が立ち寄り、住民と会話を交わす場面も多く見られるようになった。売り上げ増加と、地域住民がお店を支えていく関係の構築はこれからも続けなければ」と話します。また、住民同士の交流の場づくりへと、近隣のお年寄りを、藤林商店まで送迎するサービス試行も始まったばかりです。将来的には、ギャラリーやカフェを設置したり、地域内での購買を促す地域通貨を発行したり、クリスマスツリーを飾るアイデアも挙がっています。

C麓郷と他地域を結ぶ山麓地域の連携
 藤林商店を「森の駅」へとリニューアルする中で浮上したのが、麓郷地域と隣接する他の山麓地域との連携を深め、森の駅を農業者や観光客の交流拠点とする「富良野パノラマロード」構想の提唱です。
 富良野市では麓郷だけでなく、近隣の東山や西達布、老瀬布、平沢、布礼別、富丘、八幡丘に至る山麓を一体の生活圏、観光圏ととらえることができます。ここを一本の道「パノラマロード」が貫き、その中心部分に森の駅があります。「パノラマロード」とは、地域住民が自分たちの道路につけた愛称です。
 このパノラマロード周辺には、ヨーロッパを思わせる伸びやかな田園地帯が広がっています。特に老節布や平沢は既存の観光ルートからは外れていますが、景観はすばらしいです。
 観光客から見れば、パノラマロードは雄大な十勝岳連峰が目前に迫る道内屈指のドライブルートであるとともに、みどころも点在しています。
 一方で、畑に無断進入したり、大幅にスピード超過する車など一部のマナーの悪い観光客の存在が山麓の農業者の間で問題になってきました。しかし農業者は昨今、修学旅行生や定年退職者の農業体験、農村滞在などを通して、疲弊しつつある農村の活力に結び付けたいという思いを抱きつつあります。
 そこで、農村環境と観光の相互理解と共存共栄を目指す共有の公共財産として、山麓地域のドライブルートを「富良野パノラマロード」と命名し、麓郷振興会が中心となり、山麓地域の農業者や観光、商業者、住民の相互連携を呼びかけていきたいと考えています。また、「パノラマロード」は十勝と旭川方面を結ぶ、隠れた最短ルートでもあるのです。
 実際には、森の駅で山麓地域の物産展を開くことからスタートし、道産素材にこだわったプリンや有機農産物などが観光客から好評を得ました。

D世代を超えたクロスカントリースキー大会の運営
 麓郷の子どもたちは、クロスカントリースキーが大好きです。昭和47年から学校教育の中に取り入れられています。そんな中で毎年、住民手作りで進められている大会があります。3月に行なわれる麓郷ラングフラウ大会は、東京大学演習林内の美林を走る全道屈指のコース。3キロメートル、5キロメートル、10キロメートルに分かれて400人が参加します。この大会のために、枝払いやコース管理など年間を通じて進めているのです。ここにも、開拓と協力の心が生きています。