「あしたのまち・くらしづくり2012」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 主催者賞

ぐるっと元気にしなやかに! 世代を超えて役割と居場所を
大阪府大阪市住吉区 NPO法人長居公園元気ネット
 当法人がコーディネートするフリースペース・オシテルヤでは、様々なグループが活動をしています。そのなかで、高齢者、子どもたち、若者たちがそれぞれの役割りと居場所を派生的に生み出しており、地域社会の空洞化による孤独死や子育て世帯の孤立、若者の社会参加機会の喪失といった社会課題に対して、ゆたかな人間性を軸にしたより良い地域社会の創出に向け、社会的セーフティネットを補完する全国的な先駆けとなる展開を見せていると自負しています。
 こうした展開の中心になっているのは、野宿生活を経験した高齢者の自助グループである「さつまいも農業倶楽部」と、不登校児童のスクーリングを軸に子どもと大人の学び合い、育ちあいをテーマに活動する「ohana」です。

さつまいも農業倶楽部の成り立ち
 さつまいも農業倶楽部は野宿生活者の、いわばピア・サポートグループとして生まれました。2003年のことです。
 当時、大阪市の長居公園では20名ほどがブルーシートのテントを張って生活していました。私もそこに住み込み、寝食をともにしながら炊き出しを実施したり、労働者の相談に応じたりという活動をしていました。野宿の人のほとんどが仕事を求めていましたが、いちど野宿になってしまうと世間の偏見の目にさらされ、再就職がとても困難になってしまうという出口のない迷路のような状況がありました。ですからぼくらにとって、野宿していながら働くことができる仕事場を見つけることはとても重要で、貴重なことでした。そうしたなかで、労働者の多くはアルミ缶を拾い集めて換金し、生計を立てていました。
 さつまいも農業倶楽部が野菜作りにかかわるきっかけになったのは、大阪市近郊の藤井寺市内のとある農地の持ち主の方との出会いでした。持ち主の方は生活環境の変化から畑の面倒を見られなくなって3年ほどが経ち、農地には雑草が生え放題で周囲の農家にも迷惑をかけてしまっているということで、ぼくらに「雑草の刈り取りだけでも手伝ってくれないか」と声をかけてくださったのです。しかし話をいただいたとき、ぼくは躊躇しました。テント村で暮らすほとんどの人は平日は毎日アルミ缶集めの仕事に出て働いているのです。しかも大阪市内から藤井寺市までは電車を使っても1時間はかかるところ。通うのはなかなか難しいのではないかと思いました。そんななかで話に応じてくれたのは、テント村の長老格の田畑光久さん(71歳)でした。―「せっかく話をいただいたんやから、一度は行ってみようや」
 テント村の仲間5~6人とで自転車で連れ立って畑へ行ってみると、一反(およそ30メートル四方)の畑一面にぼくらの背の高さくらいの雑草がびっしりと生い茂っていました。

野菜販売から動き出すダイナミズム
 作業は困難を極めました。作業機械を買いそろえる余裕はなく、すべて人力で刈り取り、スコップで掘り起し、いちにちに作業できるのはほんの30平方メートルくらいでした。夏の暑い盛りのことでした。
 しかし田畑さんをはじめ野宿労働者のおっちゃんたちは活き活きと働き続けました。建築土木の仕事を経験していた人も多く、スコップの扱いはとても慣れていました。黙々と作業をしたり、ときに冗談を飛ばしたりしながら、作業は楽しくはかどりました。収入にはなりませんが、労働自体に喜びと誇りを見い出しているかのようでした。しかも、アルミ缶拾いの仕事のために自転車を片道1時間以上もかけて走らせることに慣れていた人たちなので、藤井寺まで自転車で通うことは全然苦になりませんでした。これにはぼくも感心しました。
 そのうちに、せっかくだから何か植えてみようか、と誰かが言い出しました。農業経験者は誰もいなかったのですが、ホームセンターで安いさつまいもの苗を買って植えつけました。「さつまいも農業倶楽部」のはじまりです。
 その夏は週末ごとに藤井寺の畑に通いました。農業の素人ばかりでしたが、隣近所の農家に怪訝な顔をされながらもアドバイスをいただき、ご支援のおかげでなんとかやってきました。収穫した野菜は公園のテント村の前で野菜市として販売をしました。売れ行きはなかなか好調で、「無農薬の安全安心なお野菜ですよ。なにしろぼくらは貧乏だから、農薬を買うお金はないですから」を売り文句にすると、信ぴょう性があったようで喜んでお買い上げいただきました。作業の中心を担っていた労働者(64歳)は、「これがわしらの作った野菜や、というのを見せてやるんや」と意気込んでいました。その言葉にぼくは強く心を打たれたのを覚えています。世間では野宿生活者への偏見や誤解は根強くあり、「野宿者は怠け者」「仕事をさぼっているから」という誤った見方も多くありました。そのようななかで、公園のテント村の前においしい野菜を並べて、「わしらも仕事をする機会さえあればこれだけの立派な仕事をするんや」と訴えているのでした。
 テント村の前に足を止めて野菜を手に取られる人の数は、目に見えて増えていきました。また、藤井寺での農作業に参加したいというお申し出も数多くいただきました。

オシテルヤでの新たな展開
 それから10年。当時テント村で暮らした人々はみな年を取り、生活保護や年金を活用して野宿から抜け出し、アパートで暮らすようになっています。長居公園内にブルーシートのテントは一軒もなくなり、野宿者支援の活動も公園の近所で運営されているフリースペースに拠点を移しました。しかし田畑さんをはじめさつまいも農業倶楽部の活動は続いています。年金を受給することになった田畑さんはアルミ缶の仕事は引退し、いま週に4日間、畑に通っています。毎週水曜日にはそのフリースペース・オシテルヤで、近隣の人々を対象に野菜の販売をしています。畑にはテント村以来の仲間も数人、足を運んでいますが、いま田畑さんの新たなパートナーとなっているのは、いわゆる「ニート」の若者たちです。
 オシテルヤを利用していたグループの一つにニート状態の若者の就労を支援するグループがありました。そのグループの就労体験や社会参加の活動の現場として、さつまいも農業倶楽部の藤井寺農園を活用できないかという案が持ち上がったのです。そうして、「働きたいけれどもなかなか就職できない」、「人づきあいが苦手で就職に不安がある」…。仕事や生活について様々な悩みを持った若者が、支援者に伴われて畑にやってきました。そのなかには発達障害や精神疾患を持つ若者も何人もいましたし、生活保護予備軍、野宿者予備軍と言えるような生活困窮状態にある若者も何人もいました。
 そんな若者のひとりに福島輝巳さん(27歳)がいました。福島さんも数多くの就職活動に取り組みましたがなかなか実を結ばず、さつまいも農業倶楽部にたどりつきました。そこで年配の労働者たちに叱咤されながら、自分の役割と居場所を見出していくことになります。その大きな要素になったのが、「オハナ」との出会いでした。
 オハナは不登校の子どもたちのホームスクーリングに取り組んでいるグループで、「おとなもこどももともに遊び、学び合う」を合言葉に活動しています。オシテルヤで遊んだり勉強をしたり、地域の様々な専門家を招いて皮靴作りやペーパークラフト、読み聞かせ、アロマテラピーなどを行なっています。そのオハナからもまた、さつまいも農業倶楽部の藤井寺農場をホームスクーリングの舞台として活用したいとのお申し出をいただきました。いまオハナの子どもたちは、畑仕事の手伝いをしながら体を動かすことで体力作りをし、作物の生育観察を楽しみ、畑でお鍋やバーベキューをいただいて収穫の喜びを味わっています。そして田畑さんや福島さんたちと出会い、世代を超えた交流と学びの機会を得ています。
 福島さんはコミュニケーションの面でちょっと苦手があり、仕事もなかなかうまくいかないことが多かったですが、子どもと遊ぶことはとても得意にしていました。オハナのちびっ子たちといっしょにあて鬼をしたりかけっこをしたり、また、より小さな子どもの面倒を見たりして、役割を見出しています。また、田畑さんたちもそんな得意なことと苦手なことのデコボコの大きな福島さんをかわいがり、ときには大声で怒鳴リつけながらにいっしょに働く仲間として受け入れています。いわば子どもたちが、福島さんを居場所に結びつける媒介となっているのです。田畑さんたちもまた、福島さんら若者に仕事を教え導くという役割を見出しています。また、ちびっこたちを自分の孫のようにかわいがり、生きる活力を得ているようです。

 こうした自発的、自然発生的な役割は、ぼくらが予期していたものではありませんでした。しかしほんの数十年前の日本では当たり前のことだったでしょう。そしてまた、現代の地域社会では失われて久しいものとなってしまっています。野宿生活に至る人々や、ニート状態に陥る若者たちも、そうした社会環境の変化の影響を依っていると言えるのではないでしょうか。地縁や血縁の重みが社会の変化の中で失われたり、あるいは縁や絆を結ぶことのできなかった人々が野宿に陥りやすい。天涯孤独な田畑さんもそんな一人でした。福島さんもちょっとデコボコのある個性だけれども、かつてはそんな人も地域の一員として受け入れていける社会であったはずですが、現在の企業社会はそのような余裕は全くありません。ぼくらは、オシテルヤを舞台にひとり暮らしの高齢者、ニートの若者、不登校のちびっこたちが出会ったのは決して偶然ではないと思っています。「ユニバーサルな街づくり」を掲げて活動を続けてきた長居公園元気ネットは、常に、社会的な排除を被るリスクの高い人々を包み込むことのできる社会の実現を目指して、アンテナを張り続けてきました。そのベクトルの向うところに、野宿者やニートの若者、居場所を求めるちびっ子たちの結びつく場所があるべくしてあったのではないでしょうか。
 NPO長居公園元気ネットでは、このようなオシテルヤの活動を持続的に展開していくために、ボランタリーに展開してきた活動の一部を事業化させています。2011年7月には訪問介護の事業を、2012年10月には放課後デイサービスの事業を開始する予定です。
 オシテルヤでの日々は、とても貴重であり、なおかつとても楽しい社会実験でもあるような気がしています。「こうあるべき」というおせっかいな気持ちではなく、自然な役割形成は、とてもしなやかで、活き活きとしています。その根本にあるのは「違いを認め合い、誰もが住みやすい街づくりを」という共通の思いだと考えています。地域社会の中でそんな関係やつながりが増えれば、ぼくらの地域はより豊かに再生していくことになると信じています。