「あしたのまち・くらしづくり2013」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 総務大臣賞

尾道の空き家、再生します。―尾道スタイルの手づくりのまちづくり―
広島県尾道市 NPO法人尾道空き家再生プロジェクト
 古くから港町として栄え、多くの文人や芸術家に愛され、今もなお旅人の絶えない瀬戸内の小さな町「尾道」のイメージは、古いお寺や連なるレトロな家並み、海を見下ろす眺望、石畳、路地……など、都会では見られなくなってきた誰もが懐かしさを覚えるような風景ではないでしょうか? 坂の町・尾道のランドスケープは数々の映像で紹介され、尾道の代名詞のように全国に伝えられていますが、その一方、車中心の社会への変化や核家族化、少子高齢化による中心市街地の空洞化といった現代の社会問題を多く抱えているエリアでもあります。特に深刻なのは、車の入らない斜面地や路地裏などの住宅密集地に増え続ける空き家問題。もともとお寺しかなかった山手と呼ばれる尾道三山の斜面地に、当時の豪商たちがこぞって「茶園」と呼ばれる別荘住宅を建て始めたのが由縁で、その後もハイカラな洋館付き住宅や旅館建築、社宅、長屋など様々な時代の建物が斜面地にへばりつくように密集して建ち並び、言わば「建物の博物館」のようなエリアになっています。それに加え、アップダウンの多い立地に工夫して建てた不定形の建築の面白さと海を見下ろす眺めの良さが、山手の建物をより一層興味深いものにしています。
 しかしながら、そんな魅力満載の坂の町には、300を超える空き家が存在するという調査結果が出ています。南側以外の斜面や平地の路地裏、商店街の空き店舗なども合わせると駅から2キロという徒歩圏内に500軒近い空き家があるのではないかと推測されます。そしてその多くは長年の放置により廃屋化してきており、立て替えや新築不可能なロケーションにおいて、現存する空き家をいかに上手く活用し、後世に伝えていくかが最重要課題となっているのが現状です。
 尾道で生まれ育ち、仕事でヨーロッパの街並に触れることの多かった私にとって、利便性や採算性ばかり重要視された日本のまちづくりには常に疑問を抱いていました。日本も日本独自の良さを活かしたまちづくりができないものかと思っていた矢先に、尾道の町も駅前の大規模な再開発によって、戦火を免れてきた歴史ある町並もその原風景を失い始めていました。車の入る場所には次から次へと尾道の町とは調和しないビルやマンションが建ち並び始め、観光・文化の中心である中心市街地には空き家が目立ち始めます。尾道は山あり海ありという地理的条件に恵まれている上に、古い歴史と町並が残されているというこの上ない要素を持っているのに、それが活かされていないどころか、スクラップされようとしている状況に観光地としての尾道にも危機感を覚え始めました。
 「尾道の空き家、再生します。」そんなタイトルで個人ブログを始めたのは2007年の春のことでした。通称尾道ガウディハウスと呼ばれる古い民家を買い取り、大工であるダンナと二人、当時まだ2歳だった幼い双子を抱えながら二人三脚で再生を始め、その様子を日々ブログに綴っていきました。今まで積もりに積もった尾道、いや日本のまちづくりに対する思いが堰を切って滝のように流れ出し、とどまることを知らず全国に波紋を広げていきました。すると、一人の一主婦である私のつぶやきは、思いのほか広く遠くへ流れ着き、尾道のみならず、全国から賛同者の声が届きました。尾道への移住希望者や古い空き家を再生させたいという熱意のある若者など、その数は1年で100件を上回るほどでした。個人で活動していても一生かかってもひとつかふたつの空き家しか再生していけない、これだけ多くの賛同者と時代が追い風になっているのだから、貴重な「空き家」という資源を活かすには、もっと大きな波になって「尾道スタイル」を確立することが先決だろうという思いで、「尾道空き家再生プロジェクト」を同年7月に立ち上げました。
 空き家や建物に関する団体となるとどうしても専門家の集まりになってしまいがちですが、私自身建築の専門家ではありませんし、子育て中の一主婦で、ただただ尾道が好きでどうにかしたいと思って活動していますので、専門的な知識がなくても思いがある方であれば老若男女どなたでも参加してほしいと考え、敷居をなるべく低くすることを心がけ、実際に空き家に住み始めた若者や学生、主婦、大学教授や建築士、職人さんといった専門家、アーティストや若手の経営者など20〜30代の職業も様々な若者が集まり活動が活発化し始めました。
 最初は空き家の再生に繋がることなら何でもがむしゃらに活動しました。再生途中の「通称ガウディハウス」定期的に公開し、チャリティイベントや空き家談議などお金のかからない小さなイベントをひたすら繰り返し、尾道の空き家の現状と見捨てるにはもったいない尾道建築を見てもらい、坂の町の抱える問題を共有してもらいました。また、歴史的な古寺以外にも尾道の町には宝がたくさんあるんだということを知ってもらうため、「尾道建築塾・たてもの探訪編」というのを開催し、尾道の景観や町並みの魅力、再生物件などを紹介して回る町歩きのイベントも企画し、多くの方に参加してもらいました。同時進行で第2号物件として、元洋品店の廃屋の再生に着手し、1年間「家をつくるということ」を学ぶ場として多くの参加者を募って再生していきました。ボランティアによる片付けやゴミ出し、「尾道建築塾・再生現場編」という職人さん講師による実技体験のワークショップ、空き家に移住して来た若手のアーティストさんによる作品による仕上げなどたくさんの方々の手により、一軒のお化け屋敷のような空き家は再生されていきました。そのプロセスをビフォアーの部分から共有、公開することで、どんな空き家も捨てたものではないということを証明でき、多くの若者に希望を与えたのではないかと思います。現在はNPOの事務所と子連れママの井戸端サロンとして活用し、空き家再生の拠点になっています。
 次に着手したのは、その「北村洋品店」の路地裏にある古いアパートで、共有部分の中庭やギャラリー、カフェスペースを再生し、他の8室それぞれに多様な作家さんやまちづくりをする方に入居してもらって、それぞれ好きなように内装をリノベーションしてもらいました。現在ではものづくりとアートの拠点「三軒家アパートメント」として、若い作家さんたちの拠点になっています。他にも「尾道空き家再生!夏合宿」というのを行なって、全国から学生などの参加者を募って1週間で再生した「森の家」や坂暮らしを体験できるレンタルハウス「坂の家」など、我々の再生事例だけでも13軒近くなっています。
 2009年からは尾道市と協働で「空き家バンク」も行ない始め、民間のフットワークの軽さを活かして利用しやすい窓口へと進化させ、3年で60軒近い空き家が新たな担い手の手に渡っていきました。成約後もセルフビルドによる改修の補助や残存荷物の片付けの手伝いなど、ちゃんと移住、定住していけるようにサポート体制も整えてきています。
 荷物がぎっしり残っている空き家では、「現地でチャリティ蚤の市」を行ない、投げ銭方式で好きなものを好きなだけ持って帰ってもらい、人海戦術による運搬の苦労を軽減させ、家だけでなく中身もリユースしていく試みも随時行なっています。
 車の入らないエリアでの大量のゴミ出しや資材の搬入は、地元の居酒屋グループの若者が「土嚢の会」という名で20〜30人集まってくれて、まさに人海戦術でのリレー方式による作業が展開されます。
 新築不可能な荒れ地は、地元の若い夫婦を中心に「空き地再生ピクニック」という名の下に集まり、手づくりの公園や花壇、菜園をつくっています。ただ単に作業をするだけでなく、親子や会員さん同士の交流にもつながっています。
 このように、普通に考えたら不便な場所での辛い地味な作業の連続なのですが、それをいかに楽しく、いかにイベント的に盛り上げて大勢で無理なくやっていけるような仕掛けをつくるかというのが、車の入らない大変な場所における活動のコツで、我々が工夫しているところです。
 このような地道な活動を続け、6年が経ちました。今ではこのような尾道らしさを活かした「尾道スタイル」まちづくりがずいぶん定着してきたように思えます。町中魅力的な再生空間がちりばめられています。現在では移住者も増え、若者も増え、小さな命もたくさん芽生え始めてきました。今の我々の課題は、個人では動かすのが難しい大型の空き家の活用法や、若者の雇用問題です。このふたつの課題解決に向けて、2012年から新たに大型空き家によるゲストハウス展開に取り組んでいます。一人旅の若者や外国人などの今まで尾道になかった市場を広げ、もっと多くの人びとに尾道の面白さを感じてもらいたいと考え、路地が魅力の古くて長細い町家を移住者や若いアーティストと一緒に1年かけて再生させ、運営も移住者を起用しました。そのように小さな町なので、コミュニティの中でお互い助け合い、支え合いながら尾道に暮らしてもらっています。
 もともと車がなかった時代に形成された尾道の町は、道幅も狭く、見知らぬ人同士でもすれ違うとき挨拶をするほど人が近い町です。商店街を駆け抜けているとひとりふたり必ず知り合いに出会います。どこそこの誰々と言えば、すぐに顔が浮かび上がるそんなヒューマンスケールの町が私にとっては非常に心地よく、安心感を覚えます。これが本来の町のあるべき姿なのであろうとも感じます。都会からわざわざ移住してくる人もそうした人の温もりが恋しくて尾道を選んでいる人もたくさんいます。尾道が好きと言って移住して来てくれる人は皆仲間です。このように、よそ者や若者も温かく受け入れながら、さらに町の魅力をアップさせ、日々の生活に根ざした市民目線のまちづくりを「人が近い町・尾道」の町の中で、これからも若い担い手の仲間と進めていきたいと思っています。