「あしたのまち・くらしづくり2013」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞

ひともまちも美しい・いい田舎の創造
山口県下関市 住みたくなるふるさとづくり実行委員会
 私たちが住む、山口県下関市豊北町は本州最西端に位置し、美しい海岸線を持つ漁業と農業の中山間地域です。(豊浦郡豊北町から平成17年に旧下関市と合併)
 平成元年に地域の活性化をめざして、集落の若者を中心に「住みたくなるふるさとづくり実行委員会」を立ち上げ、地域づくり・まちおこしの活動を手探りで始めました。地域密着型の会員に負担のかからない程度のイベントの実施から取り組み、春のふるさと上野まつり・夏の帰っておいでよ、ふるさと上野へ・夏祭り、この二つの催しを原点に少しずつ活動が進んでいくことになりました。とにかく無理をしない、できることをできる人がやり、今回参加できないけれども次の回にお願いね・・・・・こんなスローペースでの始まりですが、この25年間、春と夏のイベントは継続されて開催されています。
 平成4年秋、中国地域づくり交流会(広島市)主催のひともまちも美しい・いい田舎コンクールで優秀地域に選ばれ、中国地域各地からのお客さんを呼んで、「第1回いい田舎応援団交流会」を豊北町で開催。里山を会場に、なにもない普通の田舎で、開催することができ、山裾の広場に記念の桜を植樹、現在では高さも10メートルを超える大きな木となり、お花見を楽しむ広場として活用しています。この行事から、会のスローガンに「ひともまちも美しい・いい田舎」「情報発信と交流による地域づくり」の二つが加わることになった。こんな活動を平成5年、田舎暮らしの本で知った、国土庁の「いきいき脱東京体験記」に応募。入選10編の中に入り表彰式で久しぶりの東京へ。この出来事が山口県内でも知れ渡り、まちづくりの動きが急に加速することになった。当時は現在のようなインターネットがあるわけではなく、新聞やテレビが最大の情報発信。新聞に記事が載り、テレビ局がこんな田舎まで取材に来られるという、これまで経験したことのない状況が発生。放送電波に乗った自分たちの姿に感激しているまもなく、たくさんの力から活動に関する問い合わせを頂き対応することが会員の活動のやりがい・生きがいにつながってきた。特にNHKの放送は全国ネットのこともあり遠くの方からも激励をいただいた。
 平成5年にオープンした土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアムの研修田で古代米を栽培する近くの小学校のふるさと学習を側面からの支援。施設のオープン前から試作栽培を通じて栽培のノウハウを蓄積して以後、毎年研修田の管理を援助しています。春の田植え、秋の収穫ではマスコミも取材に来られ、土井ヶ浜からの情報発信に一役買っています。
 土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム関連行事として毎年4月29日開催の土井ヶ浜弥生まつりの企画運営を実行委員として参画。今年は開館20周年で盛大なイベントを行なうことができました。
 私たちの集落は過疎高齢化が急速に進行し30年前に比べて4割も人口が減少。高齢化率も50パーセントを超え限界集落状態になってきました。農作業に従事される方も70代を超える状態、集落内の空き家も目立つようになり新たな施策を始めなければ、いずれ集落崩壊につながる可能性が目に見えています。
 (一財)下関21世紀協会との連携で平成23年度に下関市の空き家バンクの登録業務に協力して、全国から移住を希望される方をネットで募集するという試みが始まりました。ホームページを見て問い合わせや、空き家の見学等、地元に絡む物件に対して可能な限りの協力体制で、下関市・(一財)下関21世紀協会・地元の3者連携で移住者向けの支援体制で臨んでいます。
 この情報発信で数件の問い合わせや現地見学を受け入れましたが、平成25年1月に神奈川県から子どもさんを含む5人の若い家族の方が豊北町に移住され、一つの大きな成果につながったと考えています。移住後の職探しも支援し、ご夫婦とも新天地で新しい職場を得られ、当面の生活は確保できることとなりました。近い将来、農業関係の仕事をしたいという希望もあり、農地の確保、農業体験実習に向けて新たな一歩が地元の皆さんと進んでいます。住みたくなるふるさとづくり実行委員会主催のイベントにも参加してもらっており、積極的に地元に溶け込む体制づくりも、前に進む大きな原動力と考えています。
 こんな組織がなければ個人的なつながりだけで物事が進んでいくことになり、大きな広がりは期待できないと感じています。
 都市農村の交流事業として農業体験を数年前から実施を始めました。平成23年までは大学の留学生を対象に実施していましたが、短期留学のため田植えから収穫までの体験が継続できないという、こま切れよりも年間を通じての体験に切り替えました。平成24年度からは都市部の幼稚園の家族の皆さんと、田植えから稲刈り収穫・ソバの種まきから収穫ソバ打ちまでのコースで実施しました。山口きらめき財団の補助事業も取り込んで、年間を通じての農業体験・農村環境の中での自然とのふれあい、都市部では騒音の関係で難しい木工体験など、田舎の環境ならではの利点を活かした活動が始まっています。
 当然、春・夏のイベントには中心になって参画していただき地域の活性に外部の若い力をいただいて、地元の人も元気を取り戻しています。大学生以下の子どもが全くいない集落に、幼児から幼稚園~小学校の子どもたちの元気な声が響き渡るということは、にわかに、孫が増えた感じで、お年寄りにも元気がみなぎります。
 定住人口を増やす仕組みに協力することと、交流人口につなげる中山間地の環境を活かした農業体験・林業体験その続きとして、ソバ打ちや餅つき、木工体験などの受け入れメニューを用意して待つことにしています。そんな参加者の中から、次のステップとして移住を考える、住んでみたいという感触をつかんでいただければ、新たな次の展望につながると確信しています。世の中で言われている、団塊の世代のふるさとへのUターンの状況は全く実現しません。逆にお年寄りを都会へ連れて行くという現象が見え始めるきびしい現実のなかでふるさとを守ると言うことは、どうにかなるという甘い考えは捨てて積極的に都市部からのIターンにかけるしかない、そんなこの頃です。そのためには受け入れに協力する団体が必要になってきますので、住みたくなるふるさとづくり実行委員会も日頃の活動を通じて寄与できるということを考えながら今後も活動を継続していきます。
 活動資金源として、下関市の下関市再資源化推進事業に平成21年度から協力し、リサイクル可能な資源ごみの収集を始めました。自治会館の空き倉庫をベースにして、新聞・雑誌・段ボール・金属類を回収しています。これまで4年間で20万円あまりの資金となり、イベント用の音響機器・テーブル・椅子・テント等の設備を整えました。
 これらの道具類は他のイベントにも貸出等の活用で稼働率向上をはかり資源の有効活用につなげております。
 平成23年度の単発事業として山口国体への協力で500平方メートルの畑に国体のマスコットである、「ちょるる」をソバとサツマイモで表現。新聞やテレビ局の取材放映もあり、小さな田舎がにぎやかになり、しばらくは訪ねてこられる方も多く、その中の1家族の方がとなりの市から下関市に移住を希望され、市内に転入という出来事もありました。
 この事業の中の補助金でイベント用具の収納倉庫を作ることができ、イベント広場の隅に設置しました。名付けて「ちょるる」の隠れ家として活用しています。これまで個人の家に分散していた道具類も会場内に集約することができ、イベントの運営も楽になりました。
 この事業は(一財)下関21世紀協会との連携による取り組みです。情報発信の部分を主に担当していただきました。他の団体との協働連携で活動がより活発になるという良い事例となりました。
 あしたの日本を創る協会との初めての出会いは平成5年頃のことであったが当時は、行政の中に事務局があり直接的な関わりはあまり感じないで物事が進んでいた。
 平成8年7月1日「あした通信113号」一面の紙面を飾ったのが、住みたくなるふるさとづくり実行委員会の活動紹介。これが生活会議としてのデビューということになります。以来20年間様々な支援をいただき活動を推進することができました。
 平成16年頃から山口県の行財政改革の一環として事務局を民間に移設するという提案があり、平成17年から、山口県生活学校・生活会議推進協議会として下関市豊北町での事務処理が始まりました。住みたくなるふるさとづくり実行委員会で事務局の運用を始めて8年、様々な試練?を乗り越え活動は続いています。中間支援団体として特記することは大型プリンターによる、イベントの横幕や垂れ幕の制作ができることです。他にない特殊な分野を担うことで新たな出会いもあり、活動にも励みが付いています。
 今後の展望として、新規に移住された方を中心にした農業体系の再編成に取り組む計画です。現状の農家の皆さんはあと数年でリタイヤ年齢です。その時期になって耕作放棄地が続発、どうにもならないという手遅れにならないよう、仲間のみんなと知恵を出していきたいと思っています。
 平成5年3月、国土庁主催の脱東京体験記応募作文が「第二のふるさとづくり応援団」あなたのチャレンジ待っています・・・あれから20年、チャレンジャーが現れました。最大限の協力をみんなで、おせっかいと言われる直前までやり遂げたいと考えています。