「あしたのまち・くらしづくり2014」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 主催者賞

おもしろき、こともなき世をおもしろく
兵庫県尼崎市 大庄西中跡地活用団体「大庄おもしろ広場」
 私たちの活動の始まりは、地域の少子化に伴う、学校の統廃合でした。PTA会長をしていたことが縁で地域改善の好機と考え、「地域のみんなが協力し、進化し続ける学校創りをめざしました。検討委員会議長として3年間で合意形成を成し遂げ新しい中学校ができました。しかし、「地域が学校と対等に協力する学校運営」を実現できず残念な思いを持っていました。
 統合4年後、跡地活用について市から「市民による2年間の検討委員会」を提唱され、関係町内会長、PTA会長、公募委員で議論が始まりました。私は公募委員で、子どもたちや若者の声を反映させる思いを持って参加しました。当初は現状の知識や情報を学びながら意見交換を行い後半は議論を行いました。視点の違いなどから、要望をまとめるには大変な時間と労力がかかりましたが、「これからの地域」について世代を超えて市民が話し合えたのは大変有意義なものでした。市長に提出した要望書の内容を要約すると、①子どもや若者たちの居場所作り、②多世代交流を通じた防災、③まちの魅力を高める、でした。しかし、実現主体の議論がなく、跡地が行政施設老朽化に伴う再配置計画候補地となったこともあり、実現に向けた活動は宙に浮いたままでした。1年後、市から「暫定跡地利用」の提案があり、地域の各団体に受託打診がありました。内容は「期間は2年間、最低限の整備以外はすべて自己責任で運営し、施設運営利益で経費を捻出し、赤字は自己補填」でした。これに手をあげたのはPTA有志のみで実施まで4か月での、人材確保、組織作り、運営方法の検討をゼロから始めました。
 こうして始まった運営ですが、まず、現役・OBのPTA役員、子ども会役員8名で運営委員会を創り、規約・事業計画を作成する上で重要な運営コンセプトの統一と経営方法の構築でした。
・名前の由来のように「今後の社会を担うこどもや若者に、自ら楽しみながら町を変えられる可能性を試そう。
・資金不足を逆に考え地域の人々の結びつきを強め、自分が主役になることで楽しさも倍増させて実現する。
・「利用者は一緒に創り上げるメンバーとして自己責任で、より良い利用環境を高める“小さな貢献”を実践する。
・「ゴミはない」、活用方法が見えないだけ。広場内で循環する活用法を考え運営に必要な物は地域のネットワークを活用し不要となったものを集め“ゴミを宝に”変える。
・都会再生という観点から命や自然の大切さを再認識できる活動として「実験畑」「生き物」を活用する。
・期限内での活動で周知の高めるため利用料を極力低く設定する。(例グラウンド3時間700円)
・財政面の安定のため、車で通勤する公的機関の人々(小学校校長・公民館館長等)に働きかけ、平日駐車場の定期契約(相場の2/3程度)で協力金を募る。
・金銭の透明性を高め、利用料はJA口座振込で、用紙を鍵受け渡しの証明書とし責任者の管理を明確にする。

☆「クレームを仲間つくりのきっかけへ」
 開始直後隣接住民の「落葉」の苦情があり、市民ボランティアでの対応で思いを共有し一緒に解決行動を取り、地域の造園関係者・地域の方・広場の協力作業で成し遂げました。産業廃棄物の枝葉は焼きイモ・餅つきの燃料や堆肥作りで昆虫の住処にもなりました。その後、老人会が外周を自主定期的に清掃しておられます。

☆「岡山の棚田再生集落とのヤギを使った交流」
 放置された跡地の雑草刈取りは大変でしたが、「ここにヤギがおったら…?子どもたちも喜ぶし…」の発想が飛び出し、人に会うたびに声をかけていたら、「尼崎や大阪の人による岡山上山の棚田再生地に雑草除去用のヤギかおるで」とのこと。田舎と都会の再生と相通ずるものがあり拍子に話が進み、2頭の子ヤギがきました。試行錯誤の連続でしたが、2年間で子ヤギも3頭生まれ、市長の激励メッセージを持って岡山へ親善大使として里帰り、その子が岡山で先頃出産しました。名前をつける、ヤギとふれあう、子ども会の写生会の被写体に、障がい児や保育園・幼稚園児との交流、近隣イベントには車に乗って出張、出産…と数え切れないほど人の出会いを創ってくれる広場の広告塔として広場のシンボルになっています。

☆「市内初のドッグラン会場」
 ある日偶然飛び込んで喜んで走り回った犬がきっかけとなり、生まれたドッグラン。今では遠方からも車で来る犬たちもいて、犬の大会でも受賞する犬が出たり、犬と愛犬家の社交の場となっています。

☆「年に1度の夏におっちゃん連中の夜店開店」
 8月になると、日頃子どもたちに優しくない?酒飲み仲間中が、罪ほろぼしと称して夜店を開催します。毎年600名程度の家族連れが訪れ、廉価(金魚すくい100円)で本職顔負けの姿で楽しそうに子どもたちとふれあっています。

☆「ものづくりのプロが引っ越してきた」
 “ものづくり”の学生の紹介で尼崎在住の工科高校現役の先生(元トヨタの整備士乗り物系もの作りのプロ)に協力を求めたところ、数日後、「転勤命令が出て、材料・道具を短期間に処分の必要があるので可能ならば今後広場を拠点に活動したい」との申し出。お互い意気投合し、材料と機械の山が引っ越して来て新たなもの作りが始まりました。広場の構築物修理はもちろん、バッテリーカー、タンデム自転車などを学生たちと製作し、今年度は尼崎臨海地域の交通アクセスに有効なタンデム自転車やベロタクシー(放置自転車が材料)も製作する予定です。

☆「学生を巻き込み学校の第2の活動フィールドヘ」
 尼崎市が誘致した環境の専門学校は校地が狭く体験フィールドが課題だと知り、学生たちの放課後・休日の実験・体験の場となるよう学校に働きかけました。学生有志と話し合い学校公認サークルを結成し、新入生歓迎会開催、農作物の実験栽培、卒業研究の土壌改良や環境学習プログラム研究、ついには「エコデンカー」なる電気自動車(?)を製作し、全国大会にも出場しました。学生たちは活動を通じて問題解決のプロセスを楽しみ、その経験を国立大学編入試験や就職活動での自己アピールとして生かし、元気よく巣立っています。

☆「近畿圏から集まった若者大運動会=婚活」
 施設利用には若者の突飛な発想に基づいたものもあります。SNSや人のつながりで成り立つグループから「力を出し切る運動会がしたい」との連絡があり、そのための機材はなくリスクの大きなイベントでした。しかし、熱意と中心の若者の統率力を根拠に、機材は親しい小学校長・保育園長に協力をあおぎ近隣への挨拶等を一緒に行いました。競技自体は単純ですが。最近珍しい若者の全力を出し切るエネルギーの凄さと終了後のバーベキュー、ミニコンサートでの自然発生的な婚活の現場に遭遇し、若者をうまくサポートすれば、自らのお金とエネルギーで道を切り開いていけるのだと確信した一日でした。

☆「地域のPTA連携による震災支援PTCAイベント“大庄フェスタ”の開催」
 学校統合や子どもの安全確保の活動などを通じて培われたPTAのつながりで東日本震災を自分の問題として防災の意識向上と震災の被災者に対して義援金を呼びかけるイベントを毎年秋に行っています。

☆「関西テレビからの依頼協力…防災に役立つ自作井戸掘り体験」
 以前近隣小学校ビオトープで子どもたちと手作りで井戸を作ったことが専門誌に掲載されその縁で「誰でも自分で掘れる実演をしました。朝10時~夕5時までの1日で、みんなが力を合わせ3.2メートルの井戸を作り、ニュース番組で放送されました。

☆「まちの良心を確かめる青空図書館」
 すべて地域や遺品回収業者から寄贈を受けた本棚、本を使い管理者なしで24時間誰でも利用でき、持ち帰り持ち込み自由の図書館を開設。大きな問題はなく、地域のみなさんが驚いています。

☆「月に1度の無料解放日の実施で新しい出会いの場を提供」
 スポーツ施設の無料利用だけでなく、お年寄りのふれあい喫茶、ミニコンサート、体操教室、野菜などの物品販売、愛犬家の啓発活動、セラピー馬のふれあい体験など日を追う毎に盛んになっています。

☆スポーツ施設利用団体は親睦を兼ねたテニス・野球・ソフト:サッカー・グランドゴルフ・剣道・空手・ラフターヨガなどがあり、空手少年は全国3位、公式野球は夏に近畿の代表で全国大会への出場しています。

☆「地元伝統野菜を子どもたちに伝える」
 近年復活した地元の伝統野菜=尼イモを、市より苗を譲り受け、学生が栽培し、幼児の親子連れ収穫体験、葉茎はヤギにエサやり体験に、枯れ木や落ち葉を使った焼きイモを毎年体験します。また、学生や社会人は微生物やヤギの糞を使った土壌改良実験も行っています。

☆「若者が馬を使って田舎と都会をつなぐウェディング・パレード」
 淡路島在住の地域おこし隊員の夫と尼崎のテニス猛者の妻が結婚式を活用し、馬での花嫁行列パレードと広場で式を挙げました。行政や警察、地域全面的な協力がなければ不可能なことでしたが、2か月の若者と地域の努力をもとに県の阪神夢会議での井戸県知事への直訴、尼崎市長への協力要請、マスコミの取材依頼などがうまく進み奇跡に近い確率で成功しました。当日は沿道住民の応援、地元警備会社・ボランティアの協力もあり、この成功を受けて可能性を強く感じた若者が中心になり淡路島と尼崎との定期的な交流が始まっています。

終わりに…この活動は県の新しい公共地域モデル事業として採択され、最高Sランクの評価をいただき、市内外やマスコミでも紹介していただく中で、今では地域にとって不可欠な存在となりつつあり、今後の新たな活動の形を模索することも可能となってきています。軽やかな気持ちで楽しみながらやってきた社会実験が地域のまちづくりに一石を投じられたかなと思いつつ、若者が中心になってこの活動をさらに発展させ、おもしろいまちになっていくことを願っています。