「あしたのまち・くらしづくり2014」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞

蟹江の未来は自分たちの手で創るんだ!
愛知県蟹江町 蟹江町商工会(一番街・まちの駅)
 我が蟹江町は、愛知県西部に位置し、名古屋市中川区に隣接する、全域が海抜ゼロメートルの町になります。人口は、約3万7千人。近年では、交通の便が良いこともあり、ベッドタウン化が進んでおります。しかし、世帯数が増えても人口の増減が少ないことを見ると、就職や結婚などの機会に地域内で所帯を持つ、大変地域愛の強い町とも言えます。
 さて、当町での商業活動においては、かつての繁栄期のことを思えば比較にならないほどに厳しい状況であり、特にここ10年程前から、郊外型大型スーパーの相次ぐ進出により、衰退傾向を食い止めるのが精一杯で、その状況下、必死の思いで商店街活性化を目的とした試行錯誤が続く毎日です。
 このような悩みを抱えながらも、少しでも改善を図ろうと立ち上がったのが、今からさかのぼること8年前…。当時、若手後継者と言われる30代~40代の若者が集まり、「蟹江一番街発展会」を再結成しました。「再結成」ということは、この発展会はそれまで休眠状態だったのです。
 まちづくりには、「若者・よそ者・馬鹿者」が必要不可欠だと言われます。その3モノが運よく集まったのです。皆、蟹江町で生まれ育ち、今や経営者として、または後継者として事業に携わる中、「若者」は十分事足り、「よそ者」には町商工会担当者が支援し、「馬鹿者」には発展会主要メンバー全員が該当する。
 このような流れができつつあった中、ちょうど1年が経とうとしていたある日のこと。目抜き通りに面した空き店舗群が最も大きな懸念材料となっていることが話題となり、このままではいずれシャッター通りになってしまうのではないか…と危惧していました。
 そして、状況を打破すべく、急遽商工会の担当者と協議し、蟹江町と愛知県からの補助金である「がんばる商店街推進事業費補助金(現・げんき商店街推進事業)を活用しながら、空き店舗群の中から最も大きな店舗をターゲットに見据え、これを大改装し、「一番街・まちの駅」が完成しました。
 当初1か月間は、ただ単に“開いているだけ”の駅でしたが、「せっかく作ったのだから、もっと利活用しよう」と、商工会担当者が視察に出掛けた際に目にしていた、施設内の壁面を利用した「BOX販売」を取り入れ、さらに、駅長の人脈に、廃品を利用したアクセサリー作りや手芸を趣味とする多くの方々がいることや、地域外からも続々と出品を希望する方が現れ、もしかすると期待通りになるかもしれない…そう願いながら、地域雑誌に募集記事を掲載して頂きました。
 すると、掲載後、大変嬉しいことに、瞬く間にすべてのブースが埋まりました。空き待ちの方が10数人出てしまったことから、できるだけ要望に応えたいとの思いで、ブースの拡張を行ない、現在は32小間まで増えました。しかも、そのすべてが駅長自らのハンドメイドという、出品商品のみならず、その商品を陳列する棚までもが手作り。そういった地道かつ、まちづくりに対する情熱的な取り組みが功を奏した結果と言えます。
 また、その出品者の中には、飛び抜けて一芸を持つ人もおり、その方に「体験教室の講師をやってもらえないか」と依頼したところ、快諾を得ることができたため、早速「まちの駅・体験教室」と銘打ち、毎週決まった曜日に開催することとなりました。これも反響は大きく、下は小学生から、上は80歳近い方まで、毎回たくさんの町内外の方が思い思いに楽しんでおられます。
 この方々に対して、商店街のPRを積極的に図っていくことで、“口コミ効果”を期待しながら、現在は商店街活性化を図っています。
 「一番街・まちの駅」は、設立当初は“お金の無駄だ”といった批評もたくさんありました。“作ったはいいが、商店街活性化に何の意味がある?”とまで言われたこともあります。しかし、近年は駅の存在も浸透し、たくさんのボランティアにも恵まれ、そういった批評を受けることはなくなりました。むしろ、まちの駅の存在が、近鉄駅前から北へ向かう方の道標にもなっています。この商店街にとって、この先もなくてはならない存在であってほしい、そう商店街自体が思い始めていることを知り、大変嬉しく思っています。
 この「一番街・まちの駅」は、商店街にとっても必要不可欠な存在であり、商店街活性化だけではなく、地域まちづくりの拠点としての意味合いも持っています。「こども110番」としての役割や、地域のご家庭から、または事業所から出た廃食用油(植物油)を回収し、エコポイントに還元する取り組みは、当地域を管轄する「蟹江一番街発展会」による“まちエコプロジェクト”の一環です。こうして、地元発展会とも密接に連携し、広くまちづくりに寄与することで、まちの駅の活動に対して、ボランティアで参加している多くのフォロワーからの理解も得ることができました。発展会と地域住民との橋渡し役も担っていると言えます。
 さて、その「蟹江一番街発展会」は、前述の通り、若い世代が中心となり再出発しました。若さゆえの意見や思いの衝突も時にはありましたが、それもこれも、すべて自分たちの町を真剣に考えている証であり、その真剣な眼差しは、随所に垣間見ることができました。
 例えば、発足以来、毎月欠かさず開催している「一番街・定例会」は、“一番街”にちなんで“11日”に開催することを決めました。あの東日本大震災発生の日も、悲痛な空気に包まれながらも、これからの日本を真剣に考えました。まずは募金活動、物的支援、そして心理的支援をどうしていくか…。
 募金活動は、発災後、直ちに発展会加盟店に配布する募金箱を自作しました。100個近く作り上げ、これを各加盟店に置いていただき、わずか2週間で60万円近い募金を集めることができました。これを中日新聞社経由で募金し、次月に予定通りに開催した復興祈念イベントでは、お隣の岐阜県で書道家として活躍している方を招聘し、願いを込めて横断幕を作りました。これに、蟹江町長を始め、多くの方々から寄せ書きをして頂き、福島県南相馬市へ贈りました。それだけではなく、地域に隣接する川の河川敷を特別に借用し、ここに向日葵を植えました。天に向かって咲く大輪の花を、震災復興の祈りへと…その思いで、地域の幼稚園児も植栽に参加して頂き、皆で種を撒きました。
 それから年月が流れ、「自分たちが生まれ育った地域を元気にしよう!」そう願いを込め、イベントを開催する、事業活動を継続していく、それらを念頭に置きながら、発展会独自の取組みを実施してきました。
 この蟹江一番街発展会のコンセプトとして、「春夏秋冬、季節折々のイベントを開催する」といった理念があります。春は、目抜き通りである県道を一部封鎖して歩行者天国を開催し、夏には、地域内にある大型ホームセンターの駐車場の一角をお借りし、ハワイとは無縁な蟹江町で“ハワイアンイベント”を開催しています。食欲の秋には、これも発展会加盟店の駐車場などで、“大盤振る舞いBBQ”を、冬は歳末感謝セールなど、趣向を凝らして事業展開しています。
 さらに、近年は隣接する他の発展会との連携も深めつつあり、出張して出店を開いたり、スタッフとして手伝いに行ったりと、積極的な動きを見せ始めています。
 こういった、決して派手ではないが、インパクトがある、地域住民の心に「一番街は何かやるぞ」という、心に訴えかけ、機運を盛り上げていく方法は、一朝一夕に成果が出ない取り組みとも言われます。まちの駅も、ここ数年でようやく「駅に行けば楽しそうなことがあるかも」という思いが、徐々に広まってきました。発展会活動も、打上げ花火のようなイベントではなく、その期間中に、どれだけの来場者の胸に響くか、長い時間、脳裏に焼き付けることができるか、指し示す尺度はどれほどかわかりませんが、“心に訴えかける”方法を取りながら、事業展開していると言えます。派手な成果を求めず、一人一人に楽しんでもらいたい。
 先日、ある発展会役員が言っていました。「もし、子どもが対象ならば、将来大人になった時、自分たちが子どもの頃はこんな面白いお祭りをやっていた、すごく楽しかった、そんな声を未来の蟹江町で聞きたい」と。その方は蟹江町で生まれ育った方ではありません。所謂“よそ者”の意見です。それでも、それを聞いた地元出身の発展会員の目の色が変わりました。今、自分たちにできることを精一杯やろうじゃないか!と。
 こうして、また新しい知恵とアイデア、そして勇気が生まれました。この団結力をもって、今後の商店街活性化やまちづくりに全力で立ち向かっていくことでしょう。諦めたらそこで終わり、投げ出したらもう戻れない。
 その共通した思いを胸に、ひたすら今を頑張っていくんだ、そういった決意を若手後継者たちが語り合ったその姿は、深く脳裏に焼き付いています。
 「一番街・まちの駅」に携わるボランティアスタッフたちも、自分たちは後期高齢者だから…そんな声は一切聞きません。だからこそ、人生を目一杯楽しんで、悔いのない生き方をしていきたい。そういった方々ばかりが集う場所になりました。元気な高齢者が住む町は、必然的にまちが元気になっていく。若い世代も追随する。子ども世代も活き活きとしてくる。
 次は、三世代交流、いや、四世代交流を目指して進んでいきたいと思います。