「あしたのまち・くらしづくり2015」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞

観光と農業の連携による地域総力戦のまちおこし
鹿児島県南九州市 NPO法人頴娃おこそ会
概要
 鹿児島県南九州市は知覧・川辺・頴娃の旧3町の合併により平成19年に誕生した。合併当初4万2000人だった人口が3万7000人台に減少するなど地域活力低下が進む中、「いつまでも住みたい魅力あるまち」の実現を目標として2005年に結成されたのが頴娃おこそ会である。母体は商工会のまちおこし委員会であるが、市内最大の農業地帯である頴娃地域の特性を踏まえ、商工の枠を超え農業や行政とも広く連携した活動を行うことを目指した。おこそ会は20数回の準備会合を経て設立に至り、2007年に信用力向上と活動強化のためにNPOに改組された。
 活動は「焼酎」、「次世代エネルギー」、「古民家再生」などプロジェクト単位で実施されているが、昨今最も活発なのは観光の力を活かした地域づくりを推進する「観光プロジェクト」である。ほぼ町外観光客ゼロであった頴娃町が昨今では年間15万人の来訪者を迎えるようになり、農家や商店など観光業者以外をも巻き込みつつ、今も活動が広がりをみせていることが特徴である。

1.番所鼻自然公園での始動
 おこそ会の拠点のある番所鼻公園に2010年に日本で唯一のタツノオトシゴ観光養殖場がオープンしたことを機に、民主体での観光地づくりがスタート。これに呼応した行政が公園整備を進めたことで観光誘致が進展した。
・埼玉からのIターン移住者が公園内の空き店舗で観光養殖場・タツノオトシゴハウスを開業。(2010年2月)
・おこそ会メンバーが公園内にタツノオトシゴの鐘を自力で建立。(2010年5月)
・鐘が公園の新たなシンボルとなりメディア掲載始まる。民間が積極的な活動に取り組む公園との評価高まり、市及び県による公園整備事業が実現。広場や遊歩道が完成した。(2011年3月)
・公園来訪者が大幅に伸び、翌年に二期工事、その後もトイレや遊歩道整備が進展。
・地元有志が2012年よりばんどころ絶景祭りを開催。予算25万円で3000人を集めるイベントに成長した。

2.釜蓋神社への広がり
 番所鼻から車で5分の距離にある釜蓋神社はユニークな釜蓋願掛けで来訪者が増えつつあった。番釜間の連携を通じた行政・メディア対応によりソフト・ハード両面の観光受け入れ体制整備が進み、さらなる観光客増大に繋がった。
・釜蓋神社の名前にちなみ、釜の蓋を頭に載せたユニークな願掛けが始まり静かなブーム。(2008年~)
・番所鼻と釜蓋を1枚にまとめた共通マップを発行。番釜間の連携開始。(2010年)
・番釜を共通紹介するメディアが増える。るるぶ鹿児島など観光雑誌掲載にも繋がり来訪者急増。(2011年)
・急激な来訪増と観光インフラ未整備による諸問題発生し、おこそ会が自治会や行政と連携し対応にあたった。これが釜蓋まちおこし会の発足に繋がり、釜蓋日曜朝市の開催やボランティアガイド対応が始まった。(2011年)
・なでしこジャパンの澤穂希らの釜蓋参拝が五輪銀メダルに繋がったとの大きな報道(2012年)。翌元旦は9000人/日の初詣客とさらに来訪者が増加した。
・市と県によるトイレや駐車場整備が実現。インフラ課題が大きく改善した。(2013年)
・昨今の釜蓋神社は年間15万人を迎え、指宿や知覧を結ぶ薩摩半島の観光スポットとして定着した。

3.茶農家と連携した大野岳の整備
 番所鼻と釜蓋は車で5分の限られたエリアに過ぎず、観光まちおこし気運を町内全般に広げるため、おこそ会より大野岳の整備を地元自治会に持ちかけたところ、茶農家グループがこれに呼応し、観光と農業の連携が広がった。
・放置された景勝地・大野岳の再生を目指し、おこそ会と地元自治会が協議会開催。(2011年)
・この会に出席した茶農家から108歳の長寿祈願の“茶寿”にちなんだ大野岳活性化策の提案あり。若手茶農家らはさっそく茶寿会を結成、茶農家による観光対応活動が始動。(2011年)
・市と県が活動を支援する形で、大野岳山頂展望台までの60数段の古い階段を108段の茶寿階段に改修する再整備事業を実施(2012年)。メディア紹介を呼び込み、来訪者ほぼゼロだった大野岳に多い時は日に数百人が来訪するようになった。
・茶寿会は会員21名となり、大野岳を拠点に活動が発展。グリーン・ツーリズムをもじり“グリーン・ティー・リズム”と称する茶農家による茶畑での茶振る舞いなどの観光プログラムの提供が始まり、東京・大阪、そして海外も含むツアー来訪が続く。
・茶寿会が山川地区の鰹節業者と共同開発した究極の茶節“Sub soup”は特産品コンクール受賞を経て、昨今ではファミリーマートや東急ハンズでも販売が始まる人気商品となった。

4.その他の地域活動への波及
 番所鼻から始まった観光地域づくり活動は、観光には関係のなかった地域やメンバーを巻き込みつつ、町内全域に広がりをみせている。
・観光散策マップえい日和の発行
 観光マップがないという課題に取り組もうと、散策マップ“えい日和”をおこそ会が自主発行(初版2012年)。その後改定版を継続発行し、2015年には第4版完成。このマップづくりを基点に様々な地域活動に波及、テーマ別パンフレット“いろんぱ”(いろんな頴娃を紹介するパンフの意)発行に繋がる。一連の活動は2015年、県によるかごしま協働アワード大賞を受賞。
・頴娃シーホーウォークの整備
 番釜間の道なき景勝海岸地帯を結ぶ遊歩道づくりをおこそ会メンバーの手弁当で開始。韓国・済州島のオルレ視察を経てこれをモデルに手作りコース開設。“頴娃シーホーウォーク”と命名した(2013年)。市と県が歩行困難箇所のハード整備を担うことで、通年歩行可能なコースが完成した(2014年)。コース内看板はおこそ会が設置した他、石碑道標のデザインもおこそ会が担った。当コースは2015年、かごしまひと・まち・デザイン賞、景観部門の最優秀賞を受賞。
・石垣商店街での古民家再生活動
 石垣商店街でも番・釜・大野岳に触発され活動開始。まち歩きマップづくりや、散策ツアー開催から、商店街の古民家保存活動に発展。現在、県内大学の研究室や、地域活性化センターなどの支援を通じ築100年の空き店舗に茶店をつくるプロジェクトが稼働中。
・大野岳山麓での茶畑茶店設置活動
 茶農家の観光活動が進む中、大野岳山麓で農家直営の茶店を運営しようという機運が高まり、茶畑脇の空き家の再利用を通じた“茶畑茶店プロジェクト”がスタートした。
・頴娃版DMO
 活発な観光地域づくり活動に対し、選任スタッフ不在のボランティア体制の限界から、県の支援を受けて欧米の観光地域づくり組織にならった頴娃版DMO(Destination Management/Marketing Organization)モデル運営事業がスタート。3年での自立運営を目標としている。

5.各々の活動を繋ぎ支えるための基本方針とプロジェクト
 町内各所での観光地域づくり活動が動き始めたものの、農家や商店街単体では限度もあるため、釜蓋~番所鼻公園からの観光の流れを町内周遊に結び付け、観光が地域経済の活性化に貢献する仕組みづくりを目指している。
・目指せ!ラヴォープロジェクト
 頴娃観光協会及びおこそ会は、“農業を活かすための観光”を活動方針としている。
 スイスのレマン湖畔にある世界遺産の街・ラヴォーは、湖畔と田園の景観が美しく、ぶどう農家経営のワイナリーを目当てに多くの観光客が訪れることから、頴娃では“目指せ!ラヴォープロジェクト”と称し、ラヴォーを目標とした観光と田園景観と農業六次産業化を結びつけた地域づくり活動を進めている。
・頴娃三寿巡り
 町内随一の観光スポットとなった釜蓋神社への来訪者に番所鼻・大野岳への周遊を促すことで、田園エリアや商店街にも足を運び、地域全体が観光を利用する体制構築を目指すプロジェクト。三寿巡り看板の設置やイベント開催を通じ、来訪者の町内周遊常態化を図っている。

6.おこそ会の役割と組織運営
 頴娃での一連の動向は行政主体ではなく民から始まっている。こうした地域での各々の活動をおこそ会がゆるやかにコーディネートしつつ行政やメディアへの橋渡し役を務めることで、さらなる活動が活性化する流れを目指している。
・第一世代が第二世代の活動を支える体制
 おこそ会の理事長は頴娃観光協会の会長が務め、副理事長は商工会頴娃支部の支部長が務める他、その他市議、行政職員、JA常務理事、法人会会長などもメンバーとなっている。40~50代以下の第二世代が取り進めることが多い各々のプロジェクトは、おこそ会の活動として進行することで実質的には各地域団体や有力者層からの支持が得られることになり、活動が進めやすい体制となっている。
・異なる団体がゆるやかに繋がる縁側的境界を持った関係性
 例えば茶寿会や石垣商店街はおこそ会とは別の団体であるが、主要メンバーがおこそ会にも所属していることから、おこそ会との間にゆるやかな繋がりが生じる体制となっている。茶寿会の活動で言えば、具体的なツアーやイベントへの対応は茶寿会が対応するが、行政やメディアへのコーディネート業務はおこそ会が担うなどの役割分担を果たしつつ、柔軟に地域づくりを進めている。
・創発を生むプラットフォームづくりを意識する
 町内各所で様々なメンバーが自発的にかつ楽しみながら活動を進めることが地域にとって最も重要と考えている。上述の地域の実力層が支える体制、及び境界がゆるやかな関係性を大切にしつつ、いわゆる社会的創発が引き起こされる地域プラットフォームづくりを担うことにおこそ会の存在意義があると言える。