「ふるさとづくり'01」掲載
<企業の部>ふるさとづくり賞 振興奨励賞

地場産品にこだわり地域経済活性化に意欲燃やす第3セクター
和歌山県田辺市 株式会社紀南ふるさと開発センター
 紀南ふるさと開発センターは、1市9町村からなる田辺市周辺広域圏の地域経済活性化を狙いに、昭和61年設立の第3セクターの株式会社だ。事業は、14年間続く朝市「弁慶市」を中心に、地元作家の発掘をテーマにした作品の展示販売店の経営や身体障害者授産施設の支援活動に力を入れている。


象まで繰り出しての弁慶市当初のPR

 昭和60年、地元の若手経営者ら45人で、町おこし・地域おこしを狙いに、出資金500万円で発足した民間企業を受け継ぎ、61年、株式会社 紀南ふるさと開発センターを設立した。こうして同センターは、付加価値の高い地場産品の開発や、全国に通用する特産品の発掘、販路開拓、生産者と消費者の提携などを目標に事業を展開した。
 設立当初、町おこし・地域おこしのために開設した「弁慶市」は、集客がままならず、役員や実行委員がチンドン屋に扮して弁慶スタイルで宣伝した。酒樽をリヤカーに積み、「ふるまい酒」をしながら田辺市内などを練り歩いた。また、白浜サファリーパークから象を呼んで、弁慶よろしく田辺の大通りを行進したり、弁慶の格好で白浜旅館の観光客の宴会場に乱入したりと、集客に奔走した。その「弁慶市」は、毎月第3日曜日の朝市として、15年間続いている。
 弁慶市は、武蔵坊弁慶ゆかりの闘鶏神社馬場で、昭和61年に開催されて以来、すっかり地元に定着した。1市9町村を中心に、出店者が100張り近いテントを連ね、地元特産の梅干やみかん、紀州備長炭等々の山の幸、新鮮な魚や南蛮焼き、ごぼう巻等の海の幸が勢揃いして、多いときは1万人を数えるなど、毎回大勢の地元客で賑わっている。
 また、弁慶市は、シルバー世代を中心に、定期的に会える地域のコミュニティの場としても機能している。そして、この弁慶市の企画・運営を担っているのが30人余りの弁慶市実行委員で、地域活性化のためにボランティアでやっており、毎回行う集客イベントには苦労する。これまでのテーマは、「梅薫る」「春本番」「目には青葉」「露涼し弁慶市」「夏休みオークション大会!!」「秋の味覚勢揃い」「20世紀最後の弁慶市」「21世紀輝く弁慶市へ!」――のように、メンバーの苦心の産物だ。そして今後は、地域の観光資源である弁慶市を観光客にアピールし、一層誘致に力を入れていくことにしている。


軌道に乗る地場産品の展示販売店

 「木紙布庵えん」は、平成12年4月、JR紀伊田辺駅舎内に約16坪の地場産品の展示販売店としてオープンした。地元作家の「かくれた地場産品の発掘」を主眼に、陶芸や木工、染め物、手漉き和紙等、40数人の地元作家の作品を展示販売している。
 また、作家による「豆うちわ体験教室」や「日置川農協冷茶の入れ方」「トンボ玉体験教室」などの体験教室も、店を会場に毎月開かれ、地域の人々に親しまれている。こうして開店以来1年が経ち、経営的にも軌道に乗ってきた。県内外からの客も増えて、昨年1年間に1,300万円余りの売上を記録した。
 なお、この事業は、11年に開催された「南紀熊野体験博」の期間中、「空き店舗対策」として、田辺駅前商店街に5か月間出店して、観光客や地元客に人気の高かった店の名称「木紙布庵(きしふあん)えん」とその精神を、紀南ふるさと開発センターで引き継ぐことにより、田辺周辺広域圏の地域経済への寄与と、地元作家の育成や地域文化の振興などを狙いに実施している。
 「DOり〜む」(どり〜む)も、12年4月からスタートした。身体障害者を中心にメンバー4人で、名刺や年賀ハガキなどを、受注からパソコンによる製作、納品、代金回収まで、一貫して自力でやるのである。
 この「DOり〜む」開設の動機は、、「障害者同士で仕事が出来ないものか? 東京や大阪にはあっても、和歌山ではそういう機会は少ないので、アピールできるのではないか」という趣旨から、活動を支援していくことにしたもの。今後は、インターネット販売にも力を入れ、「弁慶市」との連携で収益をより伸ばすようにして行きたい、と意気込む。
 ところで、紀南ふるさと開発センターの経営面は、発足当初4年間は赤字だった。それが、第15期(平成12年4月〜13年3月)の決算では、厳しい地域経済環境の中で、事業収益として3,300万円余り、当期利益金として100万円、前期繰越利益金と合わせて400万円余りの次期繰越利益金となった。
 センターの、この経営を支える財政的基盤となっているのが、市からの委託事業である田辺駅前市営駐車場からの収益金だ。その収益金を第3セクターとして、地域活性化のために有効に活用できるという好条件があるからこそ、赤字転落することなく継続できている。