「ふるさとづくり2000」掲載
<集団の部>ふるさとづくり奨励賞 主催者賞

歴史的景観保全で町の活性化
滋賀県高島町 ガリバーアクティブ'95委員会
 江戸時代、大溝藩の城下町として発展した滋賀県高島町は、かつての繁栄を偲ばせる商家が数多く残されているが、築後150年を経過する旧商家は近年後継者がなく、老朽化が著しい現状であった。


町並み保全を活性化の起爆剤に

 町商工会の傘下で平成7年1月に組織した「高島町活性化委員会」では、旧商家の空き家対策をどのようにすべきか日夜論議を交わしていた。おりしも平成7年6月、旧商家取り壊しの話が家主より持ち上がった。
 これを受け、委員会では、城下町の歴史的背景を生かした町並み保全を、まちの活性化の起爆剤にしようという方針を打ち出した。委員会の有志は「ガリバーアクティブ'95委員会」を結成し、旧商家の歴史的景観保全と有効活用を具体化することになった。
 平成7年10月、旧商家所有者との賃貸借契約を締結し、7月下旬より、この目的に向かって会員自らの手で休日を返上して商家の改修にあたった。
 この改修は、城下町としての佇まいを保全しつつ、できるだけそのままの建築を生かしたものとし、母屋を「たかしま館」として民芸や物産の展示、販売コーナーとした。また、高島町がアイルランドと友好関係にあることから、交流で生まれた文化を紹介する施設として、納屋を「アイルランド館」とし、アイルランドの風情を醸し出し、アイルランドの特産品を展示、販売している。土蔵は、「アイリッシュパブ」として改修し、離れは、「シャムロック」というカフェレストランに改修した。その他、庭の改修やハーブガーデンなども会員の手で管理している。「活気のあるまちづくりに何かやりたかった」「郷土の伝統と若者の心意気が融合したスペースにしたい」「改修工事の技術を学びながら楽しく」と会員の地道な取り組みで夢の実現を図った。


会員が月1万円の積み立てで

 平成8年4月28日「たかしま交流館びれっじ」として1号館を竣工した。
 この取り組みに刺激を受けた商工会青年部が加わり、続いて、築後200年という商家を借り受け、びれっじ2号館として改修に取り組むことになった。この改装も同様、会員が1日の仕事を終えた後や土曜、日曜に集まり進めたもので、家業は魚屋、理髪店、製麺業、旅館業、菓子店、金物店とさまざまであるが、約1年半、若者の労力奉仕が続き10年4月21日にオープンした。
 この施設は、染色工房、ガラス工房、食事処の3つの構成になっており、工房では、実際の創作過程の見学、染色、ガラスの体験教室、展示即売など、体験と味を楽しむことができる。
 ちなみに、この建物は本年4月国の登録文化財に指定された。
 さて、これらの取り組みは、すべて住民の自発的な行動から生まれたもので、当然会員はリスクを負うこととなる。銀行からの融資返済、各メンバーが月1万円の積み立てを行うなど、参画した有志の志と熱意が運営に広がっていくこととなる。


観光ボランティアも結成

 展示スペースでは、定期的にイベントを開催し、施設の活性化を図っている。町の伝統行事である「大溝まつり」の写真コンクールは恒例となり、全国規模の展開で応募者も年々増えている。また、芸術家などに雰囲気が評価され、アーティストの個展などに利用され人気が高くなっている。この他、ミニコンサートや落語会などユニークなイベントを開催している。これらは自然と口コミで京阪神に広まり、観光客をはじめ、学生等の体験学習など幅広く利用され、地域との交流に発展している。
 近年は、地域住民の応援が大きく、この地域から一昨年観光ボランティアが結成され、「びれっじ」を中心に周辺の城下町の案内をしていただいている。また、当地域は町の商店街の中に位置するが、商店が点在しており従来顧客の集客が困難な地域であった。この取り組みにより各商店の連なりと、結びつきができ、買い物のついでに立ち寄れる憩いの場として利用されている。


続々生まれ変わる旧商家

 さらに空き家を利用した取り組みは地域住民に広がり、「びれっじ」3号館、4号館と広がっている。3号館は、障害者の施設で作られた作品などを展示、販売しており、4号館では、キャンドルにこだわった工房として、本年7月オープンの予定である。このキャンドル工房は地域の女性による運営で、世界のキャンドル収集や自ら技術を習得し、手づくりキャンドルの体験工房など、女性らしさを生かした運営が期待される。現在、それぞれに独立採算と競争ができるよう2つの運営委員会により運営されている。当地は、城下町気質と言うべきか、小さな田舎町と言うべきか、やや閉鎖的なところがあった。ガリバーのように失敗を恐れず発想を転換し、何事にも積極的に行動するまちづくりを目指す「ガリバーアクティブ'95委員会」が、旧商家を「びれっじ」として蘇生させたのは、まさしくチャレンジ精神から生まれたものであり、単に町並み保存するだけでなく、高島の新しい情報発信基地としての役割も果たしている。
 今では解体寸前の旧商家は、すっかりまちの活性化の拠点として、また、城下町の散策や観光のキーポイントとして生まれ変わった。ふるき良きものを後世に残していくことは、現在そこに住む私たちの使命であり、このことが広く実践されたものである。まちづくりは、理屈や理論ではなく自ら汗を流す実践から生まれるものであることを実感した取り組みで、とくに、この取り組みが行政主導でなく、住民の自発的な行動から生まれたものであることは、今後の高島町の地域振興に大きく貢献したものと言える。