「ふるさとづくり2000」掲載
<集団の部>ふるさとづくり振興奨励賞

甦れ人間・越後いといがわ塩の道を歩く旅
新潟県糸魚川市 越後いといがわ塩の道を歩く旅
 戦国時代、上杉謙信が武田信玄に塩を送った時に歩いた道。糸魚川から信州松本まで120キロが「塩の道」と呼び、今でも処どころに道形や道標が残し伝えられている。この道を、昭和47年から、10年間にわたってハイキングを兼ね踏査した。
 昭和60年、塩の道を歩く旅を、市民の手づくりで実施しようと「越後いといがわ塩の道を歩く会」(代表・土田孝雄さん、メンバー数60人)を結成、全国に呼びかけた。第1回は、同年11月、長野県小谷村まで30キロ、300人が参加し踏破した。以降、毎年秋に実施、今年15回目を迎える。平成8年、文化庁の歴史の道100選に選定されている。


塩の道踏査に10年

 今から27年前、ふるさとの歴史を掘り起こし、祖先がボッカ(歩荷)や牛方で関わった塩の道を「ふるさとへの道」と称し、少しずつ踏査を開始し、古老の話や道案内も得て、同市白馬通りから信州の大網峠を越え平岩に到着。以降、市教育委員会を中心に、市民グループ・青年団・郷土史家でハイキングを続け、10年目で最終地点の松本市に到着した。その後、2年間は糸魚川海浜で製塩(揚浜式製塩)を復元、記録した。


誰でも歩ける塩の道に

 これらの活動体験が、塩の道の良さや歴史・文化財・遺産をより広く知ってもらう「塩の道を歩く旅」とし、市民手づくりで、しかも全国レベルで実施しようとなった。そして、市広報誌で募り集まった市民で同会を結成。イベントの内容や実施時期、参加者の募集方法等を協議、実施に向け活動を始めた。
 昭和60年11月2〜3日、第1回の実施である。参加者300人、同市白馬通り商店街を起点に、大野を経て根知山口で1泊。翌日は、山口関所跡を発ち白池・大網峠を越え、信州小谷村まで30キロの旅である。出発式で市関係者の歓迎挨拶を始め、大野地区での昼食時は、もみじ酒のふるまいやいもだんごの販売に好評を博した。根知でも交流会・盆踊りや物産販売で賑った。
 翌日は、現代ボッカへの挑戦を競ったり、大声や道中旅姿コンテスト等で笑いを誘い完歩した。入賞者には、特産のヒスイ製ペンダントやコシヒカリが贈られた。再会を誓い合い閉会後、平岩駅までバス、同駅から臨時列車「塩の道号」で糸魚川駅まで送った。参加者のアンケ−トには、塩の道の厳しさ・自然の美しさ・同会への感謝や激励の言葉が多かった。
 以後、いろいろなできごとを克服しながら回を重ね、今年15周年を迎える。さらに、3年前から春の塩の道を歩く旅を実施、今年も5月に終了した。
 この活動は、あくまでも市民主体のイベントであるが、3回以降、市の助成を得て、のぼり旗・歓迎横断幕・道標の設置等に活用している。また、同会の活動テーマである「甦れ人間」は、歴史の道を2本の足で歩き、豊かな自然の中で、人びとと出会い触れ合いを深め、人間性の回復を願ったものである。そして、トイレや休憩所、道標等を設置、誰でも歩ける塩の道を整備している。平成8年、文化庁の「日本の歴史の道百選」に、同市大野から信州大網峠までが選ばれた。