「ふるさとづくり2002」掲載
<集団の部>ふるさとづくり賞 内閣総理大臣賞

出雲歌舞伎の里づくり事業
島根県佐田町  出雲歌舞伎むらくも座
 ところは越後の妙高山の山中、煙とともに大蝦蟇に乗った児雷也が現れ、宿敵大蛇丸との妖術合戦を展開、蝦蟇と大蛇が舞台狭しと暴れ回るスペクタクルに、お年寄りや子どもを交えた観客は大喜び、定期公演での舞台は満員の600席からの掛け声と拍手に包まれます。
 出雲歌舞伎の起源は古く、定かではありませんが、近代の記録では大正の中期広島出身の歌舞伎役者を指導者に迎えた記録もあり、戦前、戦後を通じ盛んに演じられ、出雲地方で育まれた地歌舞伎は、昭和30年代の高度成長期の過疎化、出稼ぎ、高齢化により、次第に歌舞伎の担い手がなくなり、昭和35年の上演を最後に途絶えてしまいました。
 小学生時の秋祭りの夜、家族に連れられて観に行ったお芝居は、近所のお兄さんやおじさんたちがにわか役者になり時代劇を演じていました。テレビのない時代に地歌舞伎は農村での娯楽の王様で、4間幅の狭い舞台で繰り広げられる勧善懲悪の"歌舞伎ワールド"へ次第に引き込まれてしまい、すっかり演劇好きになってしまいました。
 以来ずっと気になっていた"歌舞伎"と称するお芝居への好奇心が青年になって噴出し、昭和50年に町内の若者15人の手により復活させるため「むらくも座」を結成旗揚げしました。
 以来28年間、残された記録や当時演技指導に携わった人たちの記憶をもとに復活公演を行い、今では大道具も凝るようになり、衣裳やかつらも徐々に更新し、8間幅の舞台で毎年行う定期公演では県外からの観客も増え、町外からの観客が7割を超え、固定ファンも出来るなど、すっかりわが町の名物になってしまいました。
 むらくも座は20歳代から80歳代までの年齢的に幅広い歌舞伎団体で、現在23人の劇団員で構成され、誰にでもわかりやすい演目を上演しているのが特徴で、約24の演目のレパートリーを持っています。
 劇団結成以来戦後途絶えていた演目を復活させ、28年間毎年のように定期公演を行うほか、出張公演や、海外公演にも出かけるなど、歌舞伎を通じた世代間、地域間交流をはじめ、歌舞伎公演を利用した活性化事業などを展開し、地域の活性化に貢献しています。
 さらに地域住民を交え、歌舞伎によるまちづくりの輪を広げるため、平成13年4月、行政をはじめ、各種団体の代表者を加えた「出雲歌舞伎の里づくり実行委員会」を設立し、住民とともに歌舞伎による活性化活動を展開しています。


歌舞伎を通じた国際交流

イ、山陰在住の外国人青年を町に招集し、歌舞伎を指導し、体験出演による「国際交流歌舞伎」公演の継続開催や、ホームステイなど外国人青年と住民との交流の場をつくっています。(平成3年11月24日、平成4年11月29日、平成7年12月3日佐田町中央公民館で「国際交流歌舞伎」を開催)

ロ、島根県内在住外国人が集う国際交流事業への参加(出演)と、外国人青年が演ずる「国際交流歌舞伎」の各地への出張公演を行っています。(平成9年、烏取県山陰夢みなと博会場で「夢輝き大賞」に出演。平成9年10月10日島根県庁前広場での「国際交流フェア」に出演。平成9年12月6日島根県民会館での「松江知名人余芸大会」にゲスト出演)

ハ、EXPO'98リスボン万国博日本館公式行事「日本の祭り」に日本代表の4団体に選ばれ、出雲地方の神話「大蛇退治」を題材にした近松門左衛門作の「日本振袖始・簸の川大蛇退治」を上演し、ポルトガル青年との交流を行いました。(平成10年9月1日ポルトガルリスボン国際博覧会ジューヌベルヌホールへ出演。平成10年9月1日ポルトガルリスボン国際博覧会プロムナードステージへ出演)


歌舞伎を通じた地域間交流

イ、鳥取島根の歌舞伎団体の交流公演「山陰歌舞伎フェスティバル」を開催し、お互い県内唯一の歌舞伎団体として交流を行いました。(平成5年11月3日佐田町中央公民館で「山陰歌舞伎フェスティバル」を開催)

ロ、山陰、山陽、四国の優秀歌舞伎団体を招致し「中四国歌舞伎フェスティバル」を開催し、以後、出雲歌舞伎をアピールするとともに技術交流や、情報交換を行っています。(平成8年12月1日佐田町中央公民館で「中四国歌舞伎フェスティバル」を開催)

ハ、歌舞伎の創始者出雲阿国の生誕地といわれる「大社町」、市川女寅の生誕地「東出雲町」など歌舞伎にちなんだ町づくりを推進する町への出張交流公演を行っています。(平成9年5月25日大社町文化センターでの「阿国と歌舞伎の夕ベ」に交流出演、平成10年6月28日大社町文化センターでの「阿国と歌舞伎の夕べ」に交流出演、平成12年12月7日大社町うらら館での「阿国と歌舞伎の夕べ」に交流出演、平成11年1月17日東出雲町民会館での「女寅と歌舞伎の集い」に出演、平成12年2月13日東出雲町民会館での「女寅と歌舞伎の集い」に出演)


出雲歌舞伎の復活上演と、伝承活動

イ、出雲地方に伝承されながら、昭和35年以後、または戦後途絶えてしまった演目や、特にこの地方のみに残されている貴重な演目を毎年行っている定期公演で復活上演し、記録にして保存しています。(昭和50年より毎年定期公演を開催し、出雲地方に残されている演目を復活上演している)

ロ、一般住民を対象とした「歌舞伎教室」の開催と、住民参加の体験「チャレンジ歌舞伎」公演を開催し出雲歌舞伎の普及活動を行いました。(平成8年11月30日佐田町中央公民館で「かつらの役割と取り扱い方」教室を開催、平成13年7月17日文化練習館で「衣装の役割と取り扱い方」教室を開催、平成9年11月2日佐田町中央公民館で「チャレンジ歌舞伎」公演を開催)

ハ、中学生15人に歌舞伎を指導した「こども歌舞伎」公演の開催と、隣町の歌舞伎愛好青年グループ2団体に歌舞伎を指導し、発表活動を支援しています。(平成13年9月29日佐田中学校体育館で「こども歌舞伎発表会」で「白浪五人男」を上演。平成8年10月掛合町松笠小学校体育館で「松笠素人芝居」公演を指導、支援。平成9年10月18日出雲市乙立小学校体育館で「乙立歌舞伎同好会」公演を指導、支援)


歌舞伎を利用した地域活性化事業

イ、毎年行っている定期公演の度ごとに、舞台で町の観光や、行事のPRを行ったり、特産品生産者に特産品を提供してもらい抽選会を行い観客に提供しています。(昭和50年より毎年佐田町中央公民館で定期公演を開催し、町の特産品をPR)

ロ、町外や県外での出張公演の度ごとに、舞台で町の観光や、行事のPRを行ったり、特産品生産者に特産品を提供してもらい抽選会を行い観客に提供しています。(昭和51年より町外へ出張公演を行い、町の特産品をPR)

ハ、町内外で行われる町の観光や特産品のPRイベントに参加し、出雲歌舞伎をPRしたり、他の芸能団体のイベント開催の運営を支援しています。(平成元年10月23日広島うみしま博会場で「市町村デー」に参加出演。平成9年9月5日山陰夢みなと博会場で「市町村デー」に参加出演。平成10年2月14日・15日大阪市港区ふるさとプラザで「市町村デー」に参加出演)

 劇団の運営経費は、主に公演時の入場料、出張公演の出演料、寄付金、補助金で賄っていますが、時々金融機関にもお世話になっています。

 劇団の旗揚げ以来、戦後途絶えていた24の演目を復活上演してきました、しかし残る11の演目は衣裳、かつら、大道具に多額な経費を要するため復活を見送ってきましたが、指導者の高齢化が進むなど、近年のうちに復活上演し記録保存と、後継者の育成が急務となりました。「実行委員会」の皆さんをはじめ、多方面の協力を得ながら復活上演に挑戦し、地方文化の担い手としての誇りを持ち活動して行きます。