「ふるさとづくり2003」掲載
<集団の部>ふるさとづくり賞 主催者賞

くぬぎ山の自然再生と市民参加
埼玉県所沢市他  おおたかの森トラスト
姿を変えていく雑木林

 埼玉県南部の所沢市、狭山市、川越市、三芳町に広がる「くぬぎ山」は武蔵野の面影を残すクヌギやコナラ、赤松などを中心としたおよそ150haの雑木林です。この土地は300年ほど前に人の手で作られた雑木林で、今でも落ち葉を堆肥とした循環型農業が続いています。かつて雑木林から切り出された樹木は薪にしてかまどや風呂、囲炉裏の燃料として利用され人々の生活を支えてきました。そしてオオタカやフクロウ、キツネを頂点とした豊かな生態系をも形成してきたのです。
 しかし昭和30年代に入ると雑木林の様相は変化し、その後大きな問題を抱えることになってしまいました。まず台所の燃料がガスや石油に代わったもので木を切る必要がなくなり、雑木林もその利用価値が薄れ、農村文化との密接な結びつきも次第に縁遠くなっていきました。また、関越自動車道が所沢市、三芳町を通り全線開通した1985年頃から都心との往来が盛んになるにつれ地価が高騰し始めました。そのため農家では相続が発生した場合に莫大な税金を支払うため、雑木林を売りに出さざるを得なくなってしまいました。その後雑木林は切り開かれ、大きな墓地や資材置き場、産業廃棄物の焼却炉、老人施設などへとその姿を変えていってしまいました。とくにくぬぎ山は産廃処理業者が次々と進出したために「産廃銀座」と呼ばれ、「所沢」の名を全国に印象付ける「ダイオキシン問題」が発生しました。
 おおたかの森トラストは1994年6月に発足し、市民の寄付によりまず狭山市内の雑木林三か所、6236m2を借り、自然保護活動を展開してきました。発足当時埼玉県も各市も残念ながら保全のための土地取得はおこなっていませんでした。1996年2月には所沢市内の雑木林330m2を購入しました。その後も自然を保護し生態系を豊かにする作業を市民ボランティアが中心になって積極的におこない、1997年7月までに7か所、2万m2の土地を借りて活動を継続してきました。その年の12月には狭山市内の雑木林1488m2を埼玉県と狭山市、そしておおたかの森トラストの三者で購入しました。このような自然環境保全の活動が認められ、2000年4月に埼玉県では初の環境庁長官賞を受賞しました。
 しかし「くぬぎ山」は依然として開発され続けピーク時には産業廃棄物処理業者の焼却炉が14基にもなり、雑木林には不釣り合いな「ダイオキシン問題」も発生しました。またバブル期に土地の値上がりを目的に雑木林を買った人たちはその後景気が悪くなり買い手がつかないためそのまま放置した結果、不法投棄の温床にもなっています。


市民の力だけでは自然破壊は食い止められない

 おおたかの森トラストは2000年6月に当時の川口順子環境省大臣に直接会って開発によって失われた「くぬぎ山」とその周りに広がる武蔵野の雑木林の自然を再生し、今ある雑木林を守っていく「おおたかの森再生計画」をもとに考え実行してもらうように要望しました。翌7月におこなわれた「NGO環境政策提言フォーラム」では全国から応募した数多くのNGOの中から選ばれ政策提言をおこないました。その中で子どもたちが大人と一緒になって炭焼きをし、できた炭を川の浄化のために利用していること、その炭を定期的に交換し、川から引き上げた炭は砕いて土壌改良のために畑に入れている様子などをスライドを使って説明しました。そして最後に市民の力だけでは開発による自然破壊を食い止めることはできないので環境省も一緒になって参加してほしいと提言をしました。その結果「おおたかの森再生計画」の政策提言が環境省に取り入れられ、「くぬぎ山自然再生事業」と名前が変わり平成14年度から新たな形で国の公共事業として動き出しました。
 「自然再生型」の公共事業は今まで自然破壊と背中合わせだった公共事業とは反対に、開発によって失われた自然を修復し甦らせるという取り組みです。この取り組みには北海道の釧路湿原の保全を目的とした釧路川再生事業、荒川の蛇行や干潟の再生を目的とした荒川再生事業など全国規模でおこなわれようとしています。自然再生事業は自然と共生する社会を実現するため調査計画から維持管理まで住民、地域NPOが行政と一体になって進めていく、きめの細かい手作りの地域密着型の公共事業です。
 また「くぬぎ山」周辺の雑木林は平成14年から新しくスタートする全国で4か所ある市民参加型自然再生活動推進モデル事業のひとつにも決定しました。今までの市民参加型といえば調査計画段階から市民が参加するのではなく、事前に行政が決定してしまったことを後で公開し市民が協力していくという行政先行型のものでした。しかしこれからは市民と行政がともに手を取り合い、お互いの得意分野を受け持ちながら事業を展開することを目指しています。


広がる募金活動


 しかしながら自然再生事業や市民参加型のモデル事業に決定したのにもかかわらずたくさんの困難が待ち受けていました。おおたかの森トラストは平成14年11月に「くぬぎ山」の民有地(雑木林)約3500m2の一部を購入するために募金活動をスタートさせました。竹林の手入れで切り出したモウソウ竹を使った手作りの募金箱100個を商店街などに置いてもらい、翌年の1月までに500万円を集める計画を立てたのです。この土地には生ゴミ処理工場の建設計画が持ち上がっていましたが、地元の人たちの反対でこの計画は撤回されました。しかし地権者は売却の意志が強いので新たな開発の計画が持ち上がる可能性があります。でも地権者は行政や市民が責任を持って買うのなら開発には応じないと約束をしてくれたので、募金活動を始めました。そして募金をスタートさせたその直後に大変残念なことが起こりました。自然再生事業が決定しているくぬぎ山の一部の2000m2の森が伐採されてしまったのです。民間会社が「ドッグラン」(犬を放して自由に走り回らせることができる施設)の造成を進めてしまったのです。まさに出鼻をくじかれ、現実の厳しさを目の当たりにさせられた苦い思いを経験しました。
 その後くぬぎ山を守る募金活動は予想もしない展開をしていきました。竹の募金箱の輪は商店街だけに限らず幼稚園や小学校、中学校、高等学校、役所にも広がっていったのです。狭山市内の幼稚園からは年少の園児たちが中心になってお正月のお小遣いから募金をしてくれました。また同市内の小学校でもスーパーの店先にまで出向いて募金の呼びかけをしてくれました。竹の募金箱の輪は県内だけでなく県外にもおよんでいきました。板橋区の中学校では総合学習の時間に狭山市の赤坂の森に入り保全活動をおこなった後、全校生徒に募金を呼びかけました。そして保護者も参加した総合学習の発表会で生徒たちの手から重たくなった募金箱と「ゴミ捨て防止」をうたった手作りポスター10枚がおおたかの森トラストの代表に手渡されました。その結果目標額を達成することができ、500万円で330m2の雑木林を購入し、この土地を「くぬぎ山1号地」と名付けました。


行政・市民・NPOによる「自然再生協議会」発足

 現在「くぬぎ山自然再生事業」は埼玉県が運営する「くぬぎ山再生計画検討委員会」に委ねられています。おおたかの森トラストからも2名がこの検討委員会のメンバーになっています。平成14年7月からスタートしたこの委員会と同時に自然保護の活動をしている人々の意見をより多く取り入れるため、ワーキンググループによる話し合いもおこなわれてきました。毎回活発な意見が出され激論になる場面もありました。当初県が示したくぬぎ山の事業対象面積は130haでしたが、全域的な自然再生を目指すため、20haを増やし150haに変更されました。そしてくぬぎ山全域を緑地保全法に基づく緑地保全地区に指定し、産業廃棄物処理施設や資材置き場が多い地域は都市公園法を活用して施設を撤去して自然を再生することになりました。また新たに雑木林の買い取り基金の創設と、計画を推進するために今年から施行されることになった「自然再生推進法」に基づいて行政、市民、環境NPOを中心とした「自然再生協議会」の設置が決まりました。
 おおたかの森トラストでは自然再生をおこなう場合、きちんとした法律による後ろ盾が絶対に必要だと考え、環境省や国会に「自然再生推進法」の制定を呼びかけてきました。去年の11月にはおおたかの森トラストの代表が割烹着姿で参議院の環境委員会に参考人として出席し、自然再生推進法の早期制定の必要性を訴えました。その努力の甲斐もあってようやく自然再生推進法が制定されたのです。
 今まで自然再生といえば行政担当官のその時の気分任せで進められていました。これからは日本全国で行政と市民が一緒になって自然再生を進めていくことができるようになったのです。今ある自然を保護するだけでなく、悪化した環境をよりよくする法律がようやくできたのです。くぬぎ山で苦しんできた樹木や鳥や虫たちすべての生き物のために子どもたちも参加できる新しい自然保護の試みがスタートしたのです。
 おおたかの森トラストはくぬぎ山の自然を再生するだけでなく、私たちの地域に広がる里山と呼ばれる雑木林や水辺の保護活動を地域の人々や子どもたちと手を取り合って展開していきます。そして全国各地で保護保全の活動を実践している人々とネットワークを組み、日本人が生まれながらにして持っている自然豊かなふるさとへの愛着を失わないためにも「環境立国日本」の実現という大きな夢を抱きながら一歩一歩努力してゆきます。