「ふるさとづくり2003」掲載
<集団の部>ふるさとづくり賞 振興奨励賞

古今伝授の里づくりの主役
岐阜県大和町 薪能くるす桜実行委員会
古典芸能への理解を高めるために

 岐阜県大和町で、「古今伝授の里づくり」と呼ばれる町づくり運動が展開されている。「古今伝授」とは古今和歌集の奥義を伝授することで、室町時代の歌人・東常縁が確立したといわれる。大和町は、古今伝授の祖・東氏が鎌倉から室町時代にかけ約320年間にわたって拠点とした地で、典型的な中世山城・篠脇城(県史跡)や東氏館跡庭園(国名勝)などが残っている。この歴史資源を背景に和歌文学及びその系譜をひく古典芸能への理解を高め、「日本のこころ」を迫求しようという試みが「古今伝授の里づくり」である。イベント開催をはじめ、その中心的活動を担っているのが、これから紹介する集団である。集団名はとくになく、各イベントの開催にあたりそれぞれ実行委員会を立ち上げているが、顔ぶれはほぼ同じである。最初の母体となった「薪能くるす桜実行委員会」名で申請する。


「古今伝授の里づくり」を町の中心施策へ

 ことは、昭和54年、東氏館跡が発見されたことに始まる。県営圃場整備工事中に篠脇城の麓で東氏の居館跡らしき遺構が発見され、その後の発掘調査で見事な池泉庭園の遺構が検出された。昭和59年末、国の名勝に指定されることが決まり、東氏への注目が集まることになった。この頃、江戸時代に作られたと思われる東常縁を顕彰する謡曲(能の台本)「久留寿桜」が見つかり、これを再現しようとの提案がなされる。京都の能楽師・味方健氏らの協力で復曲能「くるす桜」が制作され、昭和63年、商工会青年部が中心となって薪能くるす桜実行委員会が組織された。「くるす桜」は、同年8月7日、東氏ゆかりの明建神社の例祭に併せて初上演され、予想をはるかに上回る約1200人の観衆を集め、大好評のうちに幕を閉じた。
 この催しの成功は、多方面に大きな影響を与えることになった。同委員会は「町民大花見大会」や「古今伝授ってなんだから始まる能楽講座」などを開催して一般への周知に努め、議員との懇談会をおこなって町の方向性への提言をした。また、公民館や中学校に対して短歌への取り組みを働きかけた。薪能当日、会場には全中学生の短歌の短冊が並び、この中からNHK学園主催の全国短歌大会に入選する歌がでる。これを契機に大和中学校は短歌教育に取り組み始めた。NHK学園の短歌大会には毎年入選歌を出しており、これまで団体最優秀の学校賞を3度受賞している。近年は小学校での取り組みも盛んで、大和町の小中学生は全員短歌に親しむこととなった。小学校からもNHKや日本歌人クラブなどの全国短歌大会で優秀歌を多く輩出し続けている。
 そして、「古今伝授の里づくり」を町の中心施策へと導く原動力となった。町ではこの年、向こう10年間の施策を明示する第3次総合開発計画を策定していたが、薪能実行委員会に参加していた町の若手職員らの働きもあって、古今伝授の里づくりをシンボル事業に掲げることとなった。その結果、平成5年7月、拠点施設として古今伝授の里フィールドミュージアムが開園することとなった。同ミュージアムは篠脇城や東氏館跡庭園、明建神社、さらに周囲の遺跡や自然までを抱き込み、新しい施設として東氏記念館、和歌文学館、研修館、交流館、売店、茶店などが建設されている。いずれも段田の地形を生かし、周囲の環境に溶け込んだすばらしい施設で数々の建築賞にも輝いている。


夏の風物詩として定着した薪能

 さて、初年度の薪能実行委員会は商工会青年部と一般募集で集まった有志、それに各種団体で組織されたが、商工会青年部は2年目からはその責を担わなかった。そのため2年度目からは、実質的に有志の集まりとなった。その後一貫してこの組織が、15年間欠かすことなく薪能の企画にあたってきている。毎年心待ちにしている全国の能ファンが集まり、すっかり奥美濃の夏の風物詩として定着した観がある。この薪能の他とは差別化された魅力に、(1)ヒグラシが鳴きムササビが飛ぶなど自然が演出する会場の雰囲気がすばらしい(2)物語の現地での上演であり臨場感がある(3)昼からおこなわれる明建神社の例祭と絡んで一つの新たな祭りを形成しているなどがあげられる。
 薪能開催の前の週には、「御燈移し(みあかしうつし)」がおこなわれる。薪能の篝火を運ぶ行事である。篝火には現在三つの火が使われている。
 一つは「千葉家の火」。東氏の来郡に同道した千葉家では、現在の明宝村(大和町の隣村)寒水に居を構えた折に熾した火を、700余年を経た現在まで絶やすことなく灯し続けているという。その火を分火してもらい薪能会場までの20数キロ、駅伝リレーで運ぶ。
 もう一つが「白山の火」。「くるす桜」の原曲は白山長滝寺の僧が関与していたと考えられ、それに因んで霊峰白山の頂上で太陽の火から採火する。30人前後のパーティで白山登山をし、いったん白山長滝神社に火を供え、そこから会場の明建神社までは一般参加者を募ってウォーキングリレーとなる。
 最後の一つは「篠脇の火」。東氏館跡庭園で地元の子ども会が太陽の火から採火する。
 前の二つを伝統の炎、後の一つを未来の炎として、長い歴史を踏まえて未来を見据えた新たな地域づくりへの期待と未来永劫まで続く薪能となることを願って、この三つの炎が篝火となって能舞台を照らす。御燈移しには、ウォーキングを取り入れたことで総勢200人ほどが参加するようになった。
 冒頭に述べたように、この薪能くるす桜実行委員会が母体となり、それぞれの実行委員会を立ち上げさまざまなイベントに取り組んでいるので、以下それを紹介する。

■パーカッション野外コンサート「宇宙律動」
 平成5年7月10日、前述の古今伝授の里フィールドミュージアムがオープンする。これに先駆けて、同年5月15〜16日、同ミュージアムのオープニングプレイベントとして「宇宙律動」というパーカッション野外コンサートが東氏館跡庭園で開かれた。この催しは、隣町に移り住んだ世界的な音楽家と共同制作したものである。ニュージャズ派最大のドラマーといわれたミルフォードグレイブスと土取利行のパーカッションデュオコンサートは、全国的な話題となって、NHKテレビでの放映や『アサヒグラフ』誌に載った。

■ゆきばた椿まつり
 平成6年からは、大和自生椿展が開催されるようになる。この催しは、町内に自生するヤブツバキとユキツバキの自然交配種とされるユキバタツバキの保護と顕彰を目的に始まったもので、自生椿の展示のほか椿に関した書、絵画、彫刻、陶芸、グッズなども出品されるほか、ミニコンサートなども開かれ、平成11年からは「ゆきばた椿まつり」に発展した。「ゆきばた椿まつり」は、毎年4月中旬の土日の2日間開かれる。

■伝統音楽シリーズ「雪月花コンサート」
 「伝統の上にこそ新しいものが生まれる」という基本姿勢の元、日本文化を足元から見直してみようと、平成7〜8年にかけて計5回のコンサートと講演、それにシンポジウム「うたのルーツにせまる」を開催。当時における最高水準の邦楽家と講師を迎えた。

■人形浄瑠璃「文楽」
 平成4年から、国立文楽劇場の若手人形遣いの人たちとの交流が始まった。人形遣いの人たちは文楽を演じ、地元のスタッフは山や川での遊びを提供する、という関係である。はじめは旅館の座敷を使った小公演だったが、平成9年は人間国宝の吉田蓑助を招いて、薪能の会場でもある明建神社で本格的な野外公演となった。この年から町の支援事業となり、平成13年には地元の歴史的事件に題材をとった新作文楽「母情落日斧」を発表するにいたった。新作の制作にあたっては、地元スタッフも台本づくりから小道具大道具にいたるまで参加し、国立文楽劇場との共同制作となっている。

■歌となる言葉とかたち展
 短歌を題材に造形作家が作品を制作して、秋の1〜2か月間、フィールドミュージアムの屋内外に展示される美術展である。地元歌人や造形作家も参加し、地元小中学生の短歌も題材に選ばれている。ここでも、歌人と造形作家、地元スタッフと町外の歌人や造形作家の交流会があらかじめ持たれている。平成9年から続けられている。

 以上、いずれも「古今伝授の里」の精神を受けての個性的な取り組みといえる。「パーカッション野外コンサート」「伝統音楽シリーズ『雪月花コンサート』」以外は毎年開催される定例イベントで、古今伝授の里の看板となっている。とりわけ、日本文化を代表する能や文楽において、「くるす桜」と「母情落日斧」という新作二つを制作し、継続的に公演を続ける苦労は並大抵ではない。
 町は、いずれも「古今伝授の里づくり」の根幹をなす事業と位置付け、実行委員会に補助金を出し、準備や当日、後片付けなどに積極的に町職員が支援する体制を整えている。つまり、実行委員会の自主性を重んじながら官民一体となって古今伝授の里づくりを推進している。