「ふるさとづくり2004」掲載
<集団の部>ふるさとづくり賞 振興奨励賞

100年続ける森づくり、魅力あふれる鎮守の森を孫子の代まで育てよう
静岡県富士川町  明見神社鎮守の森を育てる会
鎮守の森を育てる会設立までの経過

(1)荒廃した真っ暗な森を考える
 明見神社鎮守の森を育てる会は、富士川町吉津地区に平成13年12月に生まれました。神社周辺の森(主として杉、ひのき)は放置荒廃の一途をたどり、周辺地域の人々にとって、魅力の少ない神社となっていました。かつて地域の人々の心のよりどころであった神社も、年々参拝者も減って寂しい状況でした。
(2)幼い頃遊んだ自然の思い出は
 一方、自然環境という点からも、かつては春先にはレンゲ畑が一面に広がり、神社周辺の林間には、春の女神と言われるギフチョウが舞う、雑木とひのきの混合林でした。子どもたちがカブト虫を捕まえたり、小川ではザリガニや小魚を追う、また、フキや蕨を採る豊かな里山の自然がいっぱいあったのです。50歳以上の大人には、まだ里山で遊んだ心地良い体験が幼い日の思い出として残っています。なんとしても昔の風景を取り戻したい、こうした思いが鎮守の森に集まったのです。
(3)地域住民、神社関係者、森づくりグループが協力
 こうした原風景を取り戻すと同時に、集落のはずれにあるこの地に、鎮守の森を育成すれば、地域の人が集う心のよりどころ、子どもたちが遊ぶ公園にもなると運動に協力を表明したのです。
 地元吉津地区を始めとする岩渕6区の区長や役員の方々、そして里山実験地を育成管理してきた故郷を楽しくする会の森づくりグループ。この3者が手を組んでの取り組みとなったわけです。
 神社委員会の役員の方々に了解を得るのには、1年半ほど要しました。準備委員会を作り、役場からも来ていただいて、里山育成の説明会を行なったり、明治神宮という、大都会のビルの谷間に育てた森を、鎮守の森のモデルとして見学バスツアーを行なったり、教育委員会から郷土史の専門家に来ていただき、岩渕地区の歴史を学ぶ勉強会を行なったりする中から、どんな森にしていくべきか、こんな森ができたらいいなというイメージができてきたように思います。これを鎮守の森整備計画にまとめ、会員90名の『明見神社 鎮守の森を育てる会』として、平成13年12月の結成に至ったのです。


活動の経過

(1)里山整備事業
 地権者である神社委員会との話し合いを重ねる中、合意をいただき、鎮守の森整備計画に沿って、平成14年2月間伐事業を実施しました。
 その後、伐採木の処理を行なうなど林床整備を行ない、9月より遊歩道整備事業に取りかかっております。延長300メートルに及ぶ遊歩道と沢にかかる丸太橋の建設を行ない、12月に完成しています。橋の建設には大工さんたちの組織である太子会の皆さんの応援をいただきました。橋の名前は公募して『しろうま橋』と銘々されました。
 さらに、14年3月ミツバツツジやアジサイの植樹を実施、15年6月には石橋の保護のためコンクリート補強による沢の護岸工事を行なっております。11月からは、しろうま橋横、広場の整備の一環として、あづまやの建設準備に取り掛かり、建屋については16年4月完成しています。
(2)子どもたちや若いお父さんお母さんたちに森の楽しさを
 次世代の後継者育成を見据え、子どもたちに森づくりの楽しさを知ってもらう試みとして、『故郷の森を育てよう!大作戦in明見神社』を実施し、平成14年度は、80名の子どもたちに絵馬の製作を指導、15年度は同様に小鳥の巣箱の製作、16年度は竹げたやだいこんでっぽうの製作をそれぞれ行なっております。昨年9月には、鎮守の森に親しんでもらおうと『鎮守の森まつり』200名が参加して行ないました。バームクーへンを竹で焼いたり、餅つきをし、童謡の『里の秋』や『ふるさと』を合唱して楽しい秋の一日を過ごしました。町主催の環境創造祭や富士川河川敷クリーン作戦にも積極的な参加を行なってきました。
 こうして行なってきた会員の努力が認められ、町の推薦を受けた、県コミュニティづくり賞の優秀賞に選定されました。授賞式には多くの会員が駆けつけ、会長ともども喜びを分かち合いました。


活動上、工夫した点・苦労した点

(1)地域に根を下ろした活動にするために
 地域の町内会、神社関係者、森づくりグループ、行政が協力して力を発揮しています。しかし、その反面、神社関係者の中には、自分たちが植えた本への思いもあり「俺の目の黒いうちは、木を切らせない」といった間伐、森づくりへの消極的な意見もある中で、了解を得るのに1年半粘り強く交渉を行ないました。
 平成14年2月18日神社委員会と、『所有する境内林について、森の計画、育成管理に関する事業を委託する。』覚書を交わすことができました。そして、規模の大きな事業、例えば遊歩道整備事業(全長300メートル、途中に8メートルの「丸太橋」の建設を伴う)の際には、全神社委員対象の計画説明会を開催し、了解をいただけるようお願いをしました。
(2)多彩な技能を持つ人材を結集、事業が進展
 会員の中に農家・大工・造園業者・土木工事関係者など多彩な職種・技能・設備を持つ人材が多く、事業のスピード化につながりました。当初3年かかると思われた事業が2年で完成。公共事業なら1000万円以上かかるかなという人もいます。また、自然観察や、工作指導など環境整備員の指導できる人材もあり、森づくり大作戦や鎮守の森まつりなどの自然に親しむイベントの展開も可能でした。
(3)行政との信頼関係
 日常より、行政の主催事業に積極的に参加する中で、町教育委員会・町役場・静岡県環境森林部など、行政側との信頼関係ができており、事業に対し理解を得ています。


地域にもたらした影響

(1)憩いの場所に
 フィールドのある吉津地域を中心に、散策のコースになって、子ども連れの利用者が多くなりました。神社のお参りも増えたとのことです。
(2)植物や昆虫が少しずつ増えてきた
 鎮守の森ゾーンで30%の間伐、レクリエーションゾーンで40%の間伐を実施したため、多少とも光が林床に差し込むようになりました。このため、シュンランやコアジサイ等が少ないながら見られるようになり、成虫越冬するクロコノマチョウの姿が見られ、アラカシの樹上には、ウラギンシジミ、ムラサキシジミの美しい姿も見られました。ミツバツツジも少ないながら咲いてくれました。
(3)企業も応援
 地域からの会員参加が増えると同時に、企業の協賛会員登録も18社となり、地域ぐるみの運動となりました。(現在の会員数108名)
(4)観光ポイントのひとつに
 町の観光振興の一環である富士川楽座を起点とした、富士山を眺める散策コース(ぶらりウォーク)の憩いの中継ポイントとなり、休日等、500人見当の利用者があると聞いています。(富士川まちづくり会社関係者による。)


今後の活動計画

 差し迫っての課題はNPO法人化です。私たちの活動の目的が里山として魅力あふれる楽しい森の育成にあることを考えますと、木の生長に合わせ、100年続けていくことのできるしくみを作り上げる必要があります。町の将来がどのように変化しても、この地域において、責任を持って森づくりのいとなみを途切れることなく続けていくには、しっかりした組織にする必要があります。
 組織という面から考えたとき、私たちの会は任意団体といい、法律的には人格を持たない組織となっています。当然個人の名義でしか、銀行口座を開くこともできませんし、財産の保持もできません。個人名義ですと、相続の問題も発生しかねません。また、私たちのフィールドである森も、今後長い年月お借りするような場合、しっかりした契約を結んでいく必要があります。相手方から見ても社会的信用力のある組織になることが必要です。
 NPOは何より、事業計画、事業内容、会計決算の状況、財産の状況、規約・役員や責任の所在など県への報告、情報の公開が義務付けられています。自分たちが自ら責任を持つ社会的貢献活動の担い手として社会に認めていただく、このことが大事だと考えます。
 私たちは平成16年度事業の重要な柱として本年5月10日の総会で決議、承認をいただいて、設立準備に入っています。
(2)第1期地区への植付けのための圃場整備と植樹
 第1期計画については、予想以上のスピードで事業が進んでいます。今後間伐と平行して、この地区に植えるための圃場を整備、常緑高本のカシ、クス、シイや落葉高木のクヌギ、クリ、コナラ、ハゼなどを育成していきたいと考えています。
(3)第2期検討地区の計画策定と地権者との交渉
 現在の事業区域に隣接した地権者の関係者の方から、自由に使っても良いとの好意的な申し出をいただいています。ここは、吉津川の南に位置し、神社の北斜面に当たる沢筋と比較的緩やかな斜面を持つ日当たりの良い場所です。吉津川から、登る参道の名残があり、参道の復元と曲がりくねったあばれっ木を利用した冒険遊び場としたら、大変魅力的な場所です。NPO法人化の後、地権者の方の了解が得られるなら、多くの会員の声を聞き、計画作りに入りたいと考えています。会員の中からはすでに、『川沿いにそば畑があって、そば粉を引く水車ができたらいいな。』など夢が広がっているようです。1年や2年でなく息長くかかる試みですので、ゆっくりやっていきたいと思います。