「ふるさとづくり2004」掲載
<集団の部>ふるさとづくり賞 振興奨励賞

伝統芸能が息づく、地域文化あふれるふるさとづくり
兵庫県中町  播州歌舞伎ファンクラブ
播州歌舞伎とファンクラブ設立の経過

 多可郡中町は、兵庫県のほぼ中央に位置し、現在人口1万2000人、かつては、地場産業の「播州織」の町として、機の音とのこぎり屋根の工場立ち並ぶ繊維の町であった。今は昔の活気こそ薄れたが、豊かな自然と守り継がれた地域の文化を生かしたまちづくりを町民一丸となって進めている。
 まちづくりは人づくり、若者の定着するまちづくり、ふるさとの宝物づくりを共通のテーマに取り組まれてきた活動は、行政主導型ではなく、地域発進、地域住民が主体となって取り組まれていることが特長といえる。
 昭和63年、ふるさとを担う心豊かな子どもたちの育成を願って、郷土の伝統芸能や文化財を生かしたふるさと体験学習が始まった。また、長年の町民の願いであった文化の拠点施設として文化会館(ベルディーホール)が建設構想から10年目の平成3年に竣工した。むしろこの10年は文化に対する関心を高めることになり、町のあちこちで文化談義がなされた。
 そんな談義の中で、地域の文化は「灯台下暗し」のような面があり、改めて考えてみようという声も高まり、「播州歌舞伎」の存在がクローズアップされるようになった。
 播州歌舞伎は、江戸時代の後期(元禄年間)の高室芝居に始まる農村歌舞伎である。その技を伝える座はその時、わが町中町に拠点を置く嵐獅山一座が唯一となっていたのである。
 平成2年の中町芸能祭において「我が町のふるさとの芸能」をテーマに播州歌舞伎を取り上げ、文化会館竣工のプレイベントとして中町中央公民館で公演が実現した。
 嵐獅山一座の伝統に裏打ちされた素晴らしい演技と観る者に新鮮な感動を与えた公演であった。
 一方、ふるさと体験学習として「播州歌舞伎」を取り入れていた中町北小学校では、嵐獅山、中村和歌若両師匠の指導により「播州歌舞伎クラブ」を結成した。
 中町北小学校播州歌舞伎クラブの取り組みは、播州歌舞伎の伝統を守り、受け継ごうという高まりの中で、大きな役割を果たした。
 平成8年、中町北小学校播州歌舞伎クラブの卒業生を中心に一般の方々の参加を得て中央公民館播州歌舞伎クラブを立ち上げ、地域あげて継承への取り組みを始めた。
 平成9年、クラブ員の保護者や地域の有志による育成会を結成し、活動支援への組織づくりの基礎ができた。
 さらに平成10年から始まった中町生活創造大学講座の学習のテーマの一つに伝統芸能「播州歌舞伎」を取り上げ、様々な視点から保存と支援を考え、平成12年3月、「播州歌舞伎の保存と継承」についての提言をまとめた。
 平成平成12年4月、中央公民館播州歌舞伎クラブ育成会の会員と生活創造大学の講座生OB、そして一般の播州歌舞伎が好きでたまらない有志により「播州歌舞伎」を応援する会の準備会をつくり、平成13年9月、「播州歌舞伎ファンクラブ」として発足した


ファンクラブの応援活動

 ファンクラブの活動は「自分たちも播州歌舞伎を楽しもう」ということを基本にした播州歌舞伎の発展のための支援を行なうことを目的として、取り組みを進めている。
 支援活動として、@播州歌舞伎応援情報誌「隈取り」の発行、A播州歌舞伎裏方教室の開催(播州歌舞伎を倍楽しむ方法)、B播州歌舞伎三番叟体験、C播州歌舞伎三味線教室の開催、を継続活動として実施し、特に平成13年は、播州歌舞伎嵐獅山座の70周年の記念の年ということもあり、中町のお宝「播州歌舞伎嵐獅山座70周年記念公演と銘うってベルディーホールで開催した。
(1)継続支援活動の内容
@播州歌舞伎応援情報誌「隈取り」の発行
 播州歌舞伎の魅力や歌舞伎クラブの活動の様子などを取材や寄稿、情報提供を通して読みやすい紙面構成に心掛けて発行している。
 また、ホームページを町の広報の協力のもと開設し、動画も取り入れた情報を発進している。
・播州歌舞妓にゆかりのある人の話
・播州歌舞伎のうんちく
・播州歌舞伎クラブ員の声
・活動の様子(取材)
A播州歌舞伎裏方教室(播州歌舞伎を倍楽しむ方法)
 演じるものをただ鑑賞するのではなく、演じ手と一緒になって楽しむ播州歌舞伎ならではの楽しむこつを播州歌舞伎クラブの出演時の開演の前の時間や幕間を使って実施。
・掛け声練習
・おひねり
・所作のきめどころ
B播州歌舞伎三番叟体験
 自分たちも演じてみようということから、実際に一つの演目にチャレンジする。難しい、恥ずかしいとわいわい言いながら、実際に衣装や化粧もしての本格的に活動することとなった。気さくな嵐獅山師匠の好意により、出前指導を受け、実際に演じる機会にも恵まれた。
C播州歌舞伎三味線教室
 生の三味線の音には迫力と臨場感がテープの音にはないリアルタイムなものがある。できるものならいつか生の三味線で演じてさせてあげたいという願いから中央公民館の協力のもと三味線大好きファンによる狂言方を目指して練習に取り組んでいる。
(2)播州歌舞伎の魅力啓発活動
@中町のお宝「播州歌舞伎嵐獅山座70周年記念公演の開催
 今まで高室芝居が時代を経る中で「播州歌舞伎」として認知されるようになったものと考えていたのであるが、ファンクラブの設立を機に改めて「播州歌舞伎」の名称をたどったところ、さらに中町と深い関わりのあることがわかった。
 昭和7年、今では唯一の座となった「嵐獅山座」が住居を置く中町安坂で結成、活動を開始した。その当時は高室芝居として巡業していた。社会の状況が戦争へと進む中で、活動は停止の状態となり、復活したのは戦後まもなくの昭和22年であった。一方、高室芝居は昭和12年に本拠地からすべての座が消滅という状況であった。復活した嵐獅山座は「関西歌舞伎」と銘うって活動を再開。昭和40年頃に「播州歌舞伎・嵐獅山一座」と名乗るようになり、折しも昭和48年東京の国立劇場公演をきっかけに「播州歌舞伎」として知られるようになった。
 平成14年がまさに嵐獅山座結成70周年ということがわかったのである。
 役者の方々も高齢化し、ここ数年は本格的な公演もできていないこともあり、播州歌舞伎の神髄を観たいという強い願いはかなわない夢といった状況であった。ファンクラブとしても記念すべき70周年を是非とも何らかの形にしたいという思いから、嵐獅山座長と話しをする中でこれがたぶん最後になるだろうという嵐獅山座公演をベルディーホールで開催することにした。
 結成まもないファンクラブにとっては途方もない企画であり、本当にできるか頭をひねる日が続いた。そんな中、ベルディーホールの文化活動支援事業に「あなたの夢を応援する住民企画事業」があることを知り、応募したところ、住民自主企画事業として取り上げてもらえることになった。
 平成14年8月25日の公演に向けて嵐獅山座とファンクラブがつくるまさに手作りの取り組みが始まった。
 公演までの準備を通して、はっきりわかったことは地域はまさに宝箱、生活の中に凝縮された知識や技能をそのまま舞台づくり、小道具づくりに生かすことができたことであった。まさにこれが伝統芸能を守り伝えることということであろう。
 短い準備の期間であったが、ファンクラブの会員の特技を生かし、楽しく準備を集めることができた。(裁縫の得意な会員による「吹き流しづくり」、デザインの得意な会員によるポスター、チラシづくり、大工仕事の得意な会員による欄間づくり、手さきの器用な会員による小道具づくり、播州歌舞伎グッヅづくり〈うちわ〉など)
 8月25日、フルハウスのベルディーホールで始まった記念公演、高齢をまったく感じさせない役者のみなさんの芸歴と役者気質が妥協をゆるさない本物の舞台を堪能することができた。
 播州歌舞伎の神髄は観るものにもあるということ、掛け声、拍手、笑い声などすべてがマッチしたとき、生きた舞台になるという嵐獅山座長の話が実感することができた。
A播州歌舞伎の情報発進活動の展開
 地域の文化を伝える活動の中で、実際にその技を受け継ぐ若者への応援とともにファンクラブでは、理解者(ファン)を増やす活動をクラブのもうひとつの大事な目的として情報発進の取り組みをこれも手さぐりで進めている。
ア 会報づくり(「隈取り」)
 定期的に会報を発行し、会員相互の交流と播州歌舞伎の魅力や伝統芸能を生かしたまちづくりの可能性や播州歌舞伎を受け継ぐ若者の取り組みの様子など広く情報を発進している。
イ ホームページの開設
 インターネットを活用し、だれでも、いつでも、どこからでも、播州歌舞伎やファンクラブのことについて情報を得られるように、コンピューターの得意な会員の手作りで開設し、ファンの開拓を進めている。
ウ 播州歌舞伎ハンドブックの作成
 伝統芸能ではその歴史や内容などは口承で伝えられたことが多い。播州歌舞伎においてもごたぶんにもれず口承で伝えられたことが多い。後々に記録を残すことは貴重なファンクラブの役割と考え、資料の散逸が進む中で、今できる最善の方法として記録資料の整理に取り組んでいる。
 また、播州歌舞伎を知らない人が、播州歌舞伎の出会いのきっかけづくりになるものをという願いから、わかりやすくまとめた「ハンドブック」を作成し、情報発信を進めている。
B中町中央公民館播州歌舞伎クラブ員と地域の人々との交流の場づくり
 もくもくと伝統芸能の灯を消すまいと播州歌舞伎の技を一つでも多く受け継ごうと活動を続けている中町中央公民館播州歌舞伎クラブ員(10代から60代までの有志)の努力は多くの人々や文化関係者の曖かい理解を得、平成16年1月23日NHKホールで開催された「全国ふるさと歌舞伎フェスティバル」ヘの出演という快挙をなしとげた。
 これを機会にさらなる地域に根づいた活動を進めるための場としてクラブ員と地域の人々との交流会を開催し、クラブ員の思いや考えを通して改めて播州歌舞伎を継承する意味を考える場なった。


取り組みの成果

(1)公演後のアンケートの中に、@難しいものだと思っていたのに、大変面白かった。A「地域で支える」という感じで大変よかった。B100周年も観にきます。C身近に感じた。など、みんなでつくる舞台を目指して嵐獅山座とファンクラブの手作りで始まった記念公演であったが、結果として多くの人に歌舞伎の楽しさ、生きた舞台などを分かっていただいたことが大きな成果の一つである。
 また、この公演を通して、地域にはすばらしい技を持った人材がいるということ、そして、その人材の力を集合すれば、不可能も可能になるということ。
 特別な技能を持たない者でも自分の得意な分野で活躍することが地域で支えるということのパワーになるということ。
 集まるということが地域のネットワークづくりになるということ。
 そして、何よりも行政主導型ではなく、住民・地域発信型の取り組みの集約版としてのファンクラブの取り組みはわが町中町のよさを再認識する手法として、広く認識していただくことができた。
(2)継承に取り組んでいるクラブ員の思いや考えを通してふるさとを愛する若者、伝統文化を愛する若者の育成への地域の人々の理解が深まった。また、会報やホームページ等を通して伝統芸能を生かしたまちづくり等の情報交換や他地域との交流を広めることができた。