「ふるさとづくり2004」掲載
<企業の部>ふるさとづくり賞 振興奨励賞

“女性の知恵と輪で地域おこし”と生涯現役を
大分県天瀬町 農事組合法人畦道グループ食品加工組合
はじめに

 「土と鍬と鎌」とともに農家の家庭婦人で終わるかもしれなかった私たち農村婦人が、振り返って見ますと「継続は力」をモットーに、元気・勇気・根気の三つの気を“畦道グループ訓”とし、踏み出せ・汗出せ・知恵を出せと昭和52年よりいろいろな波を乗り越えながら26年間がんばっています。
@二足のわらじ(家庭と起業活動を上手に運営すること)
A石の上にも3年(継続は力と新たな挑戦に向かうこと)
B石橋を叩いて渡る(一歩一歩地道に進み時には飛び越す)
 この三つの諺を教えとして起業活動をしており、今もグループ員全員が元気です。
 元気だから笑えるし、体から出てくる笑顔だからいい……仲間もお客さんも笑うことでお互いの幸せを味わう毎日です。


主な活動の経緯

@チャレンジ1(仲間づくりから)
 昭和50年当初は、四季の野菜や山菜の地域食材を使った食文化の見直しやおふくろの味の伝承運動から、町の文化祭・老人の寿学級・青年団・婦人会総会等々での弁当やオードブルづくりをしました。
 地域の秋まつり「くにち」は五馬(いつま)楽の奏でとともに子どもから老人まで参加するため、行事食であるサバの姿寿し・がめ煮等をたくさん作り、地域の人々から喜ばれたり仲間づくりにも役立ちました。
 また、お米料理ファッションショーや郷土料理コンクール等にも顔を出し、度々賞をいただきました。県の農業祭では山菜おこわと栗おこわの実演販売で県内の皆さんに畦道グループを知っていただくことができました。
Aチャレンジ2(一村一品運動の参加)
 昭和54年からは「世界にも通ずる一品づくり」と平松知事さんの呼びかけでむらおこしと一村一品づくりの時代がやってきました。
 当グループの一品は子どもの頃、遠足には唯一の菓子として母が作ってくれた懐かしい“かりんとう”がありました。親が子にその子がまた子に伝えるおふくろの味であり、高齢になっても作れるものとして第一候補と決めました。
 このかりんとうを各種総会や文化祭・温泉祭り等で販売することとなり、町内で好評のかりんとうとなりました。
 しかし、大分のデパートの催しでは「美味しいけどかたいね」というお客さんが多く、評価はよくありませんでした。古くからの作り方では消費者に受け入れられなかったのです。これをキッカケにいろいろなノウハウの研究や技術を積み重ね「村おこしの手造りかりんとう」ができました。
Bチャレンジ3(かりんとうの加工所建設)
 昭和58年には「農村地域農業構造改善事業」の導入で待望の加工所(61平方メートル)ができましたが、出資等の関係からグループの人数が6人と減少しました。元気・勇気・根気の三つの気を発揮した6人は卵をふんだんに使ったよもぎ・ごま・牛乳入りの“手造りかりんとう”で300万円の販売額をあげました。しかし、地域産物にこだわっていましたので、材料費がなんと60%を占めており、「やっぱり素人ね」とみんなで笑いました。
 当初の目的の「美味しく誰からも好まれ、自信をもち安心して店先に並べられるものづくり」を貫くためには、もっと経理の勉強が必要となり、全員で普及センターの経営講座を受講しました。
Cチャレンジ4(法人化への道)
 昭和61年に、“農事組合法人畦道グループ食品加工組合”を設立し、「女性の力だけでも経営できる組合づくり」と目標を大きくもち、無理せず継続することが一番大事と認識を新たにしました。
 そのために、生活改善活動と加工組合の役割分担をして、労働条件の明確化(労働と休憩時間と時間給等)と社会保障の整備(労災保険・失業保険・PL法対応保険)等に取り組みました。
 会員及びパートの若妻さんも新たな気持ちで活動したおかげで、販売ルートが拡大でき、6種類のかりんとうで1200万円まで伸ばすことができました。
 当初私たちで摘んでいたよもぎは老人の生きがい対策として、栄養分・色・香りの一番よい春先に年間分(150キロ)を委託して摘んでもらっています。
Dチャレンジ5(海外市場へ)
 平成2年の大分一村一品運動顕彰での受賞がキッカケでかりんとうの宣伝販売のため「海外市場開拓推進事業」の一環としてシカゴまで行くことになり、こんなチャンスは二度とないだろうと全員で渡米しました。今思えばよく渡米できたことだとことあるごとに話題になります。
 このころには、かりんとうの種類が多くなり、しょうゆ味・カラシ味・唐辛子入り等注文に応じていました。
 また、休耕田を利用したハト麦・かぼちゃ・ニンジン・ねぎ・大豆等を入れた商品づくりにも挑戦しました。地元産大豆は300キロの委託をしています。
Eチャレンジ6(商品の多様化にむけて)
 米の消費拡大のお役に立てばと玄米やご飯入りのかりんとうも商品化しましたが、色彩の同じ牛乳入りには勝てませんでした。
 夏向き及び高齢者向きの新製品としてお米(白米・赤米)プリンの研究開発に取り組み、白米ママプリン・プチプチ赤まんま・つるりん赤まんまの3種の販売ができました。現在は作りおきせずに注文と同時に造っており、敬老会には欠かせない一品となりました。
 また、生活研究グループ協議会のふるさと小包「あまがせ物語」の定番としての手造りかりんとう(紫いも・シモンの葉入り等)を季節に応じた商品として加えています。


地域への貢献と波及効果

 女性の力で法人を設立した当グループの活動が認められ、県内外から視察者や講演依頼が多くなりました。視察者は県内はもちろんインドネシアの青年(23名)・タイの教育省の役人(4名)・カンボジア・マレーシア・ミャンマー(14名)カンボディア王国(15名)・本年は国際協力事業団(九州国際センター)から16名が見えて、かりんとうづくりも体験しました。また、アジアの留学生は平成3年より体験職場としてずーっと続いています。
 町内では小学校3年生の社会見学の場として昭和63年より、また、中学生の職場体験の場として平成5年より現在まで続いています。
 地域の小・中学生の研修の場になれたことは私たちの夢でもありましたので、子どもたちが訪れる日が待ち遠しくてとても感激です。いつの日か後継者になってほしいという願いがあるからでしょう。
 昭和50年代は業者のかりんとうしかお目にかかれませんでしたが“手造りかりんとう”の波及から県下でも30か所から販売されています。
 今までの起業活動のノウハウを生かして、天瀬町の温泉街に空き店舗事業を活用した“かあちゃんの元気茶屋一番列車”(直売と農家れすとらん)を平成13年に発車することができ、活力ある町づくりのため新しいメンバーとのふれあいを大事にしていきます。
 また、本年9月1日には二番列車といえる“花のえき”(体験工房とレストラン)を出発させ、季節の食材を活かしたメニューづくりや若い女性向きの押し花・ポプリの体験工房の講師も兼ねた17名がいます。


今後の課題

 加工活動が大きなウェイトを占めるようになっても、この活動の源である生活改善活動は大切にし、常に五つのベル(食べる・しゃべる・比べる・調べる・さしのべる)を鳴らし続けるグループでありたいと話しています。
 今日の豊かさの中での教育問題の一つの支援として、食育・食農の現場として、また、知識・知恵等はオープンに提供することも継続します。
 天瀬町の農業公園内の“花のえき”を中心に花の町にふさわしい花園にするため、@農業体験のできる農園づくり、A1週間の疲れた体を癒し、次のエネルギーの場づくり、B美味しい空気や水がいつでも手に入る場づくり、C安らぎのある農村の景観づくり等をしたり、ここに住んで良かった・ここに来て良かったと実感のできる地域・町づくりの輪を広げるために、これまでの経験や知識を生かして男女共同参画社会のカジとりをしていきたいと思っています。
 最近の問題である高齢化の波は確実に訪れています。しかし、“畦道グループ加工食品組合”の後継者には組合員の若妻やパートの方(4名)を対象に、技術や知識の伝達を徐々に進めています。組合員一人ひとりが“生涯現役”をモットーに“手造りかりんとう”を毎日造っていきます。