「ふるさとづくり2005」掲載
<集団の部>ふるさとづくり賞 振興奨励賞

ねどふみの里保存事業活動について
群馬県六合村 ねどふみの里保存会

 六合村入山地区には、昔から尻焼に自噴する温泉を使って、「ねどふみ」や「菅むしろ」、「こんこんぞうり」などを作る伝承文化がある。
 「ねどふみ」は、入山地区に古くから伝わっているもので、菅と呼ばれる草を川底から自噴している尻焼温泉に浸す作業のことを言い、この菅でむしろを織り、むしろで麦や稗、粟などの農作物を干したり、囲炉裏の周囲に敷いて座布団代わりに使ったもので、いまでも一部の家庭では実用品として使用しており、「菅むしろ」は平成12年に群馬県の伝統工芸品指定を受けている。
 この取り組みは入山根広地区の民家を改修し、「菅むしろ」織りや「こんこんぞうり」づくりなどの実演を行なって、都市住民との交流と伝統文化技術の伝承、後継者育成を進め、観光など地域の振興を図るために平成15年度から実施しているもので、「ねどふみ」に使う温泉貯湯槽をミニ足湯として使用するなど工夫を凝らし、訪れる観光客にも好評を得ている。
 六合村には花敷・尻焼・湯の平・応徳・赤岩の5か所の温泉がある。隣接する草津温泉は強酸性温泉で有名であるが、近くにあっても六合村の温泉はアルカリ性であるため、昔から沢渡温泉とともに「草津の上がり湯」として利用されたようである。「ねどふみ」の「ねど」とは、草などを温泉に浸ける処【寝(・)かせる処(・)】からきていると言われ、川の温泉につけておくため、流れ出すことを防ぐために石をのせて10日間ほど浸しておいたことから「ねどふみ」と呼ばれるようになったと言われる。


「女衆」が保存会を立ち上げる

 合成繊維やプラスチック製品などが普及するにつれ、「菅むしろ」織りや「こんこんぞうり」づくりは次第に減少したが、根広地区では細々と続けられ、普段の生活の中で使用されてきた。六合村は野反湖キャンプ場や温泉など、そこにある自然をそのまま活かした観光を中心に行なってきており、「ねどふみ」は是非とも保存しなければならない取り組みであった。
 そんな折、根広地区の70代の女性を中心に継続されてきた「菅むしろ」織りや「こんこんぞうり」づくりを新たな地域づくりに生かそうとする動きが起こり、数回の会議を重ねて、組織づくりと運営方法などが取り決められた。これにより、伝承文化の継続と、観光の振興に大きく寄与することとなった。ねどふみの里保存会は会長以下22名で構成され、70代以上の女性、いわゆる「女衆」が中心になって活動している。原材料の「菅」は入山地区にあり、毎年9月頃数日間刈り取り作業を行なう。刈り取った菅は天気の良い日に3日間くらい日干しして保菅する。そして10月10日(とうかんや)を目途に、温泉に浸けて10日間ほど寝かせる。こうすることにより、硬い菅はやわらかくなって加工しやすくなるのである。農作業がなくなる冬の期間、やわらかくなった菅を使って「むしろ」や「ぞうり」などを織るのである。
 昔は、根広地区から急な坂を尻焼温泉に菅を背負って行く女衆の姿が多く見られたが、現在は、医療福祉施設である「六合温泉医療センター」ヘ配湯するために源泉からポンプで温泉を汲み上げ、同時に根広地区へも配湯しており、この温泉を使って「ねどふみの里」で「ねどふみ」を行なっている。


民家を改修した「ねどふみの里」

 「ねどふみの里」は民家を改修したものである。この民家は地区住民が住居としている家屋であり、一部を「ねどふみの里」として提供している。この住民もねどふみの里保存会の会員であり、同会に無料で貸している。休日や行楽期間中などには女衆が交代で当番にあたり、「ねどふみの里」でお客さんを待つ。「むしろ」織りや「こんこんぞうり」づくりなどの体験メニューや「菅みの」、「稗」や「粟」などの雑穀、まめ類など特産の販売もある。「ミニ足湯」は本来、菅を浸けるための貯湯槽を利用している。一度に10人程度が利用でき、無料で開放している。
 運営経費は体験料・販売収入などのほか、協力金によって賄っている。「ねどふみの里」入り口に「協力金箱」が設置してあり、見学や足湯を利用した人に1回100円の協力金をお願いしている。協力金は、平成16年度決算でみると5万2000円あり、1人100円と仮定すると年間500人以上が訪れたことになる。この他に販売収入70万8000円、コーヒー売上11万4000円、などとなっており、この収入から電気料や水道料、ガス代金、消耗品などの経費を支出している。平成16年度は黒字経営であった。
 入山地区はそばの栽培も行なわれており、今後は「ねどふみの里」施設周辺の昔造りの民家を使った「そば屋」も構想している。また年間300万人といわれる草津温泉の観光客の取り込みなど広報宣伝にも注力していきたい。
 この事業以降テレビの取材や視察などが相次ぎ、地区住民にとって何の変哲もない、昔ながらの生活様式が今脚光を浴びていることに気付き、自負と自信を持ち始めており、根広地区だけでなく、今後の六合村全体の活性化に大きな期待が寄せられている。