「ふるさとづくり2005」掲載
<市町村の部>ふるさとづくり賞 振興奨励賞

ミスマッチだから面白い―長崎おぢか国際音楽祭―
長崎県 小値賀町
プロローグ

 午前4時50分、福岡からのフェリーが小値賀に着岸した。はるばるヨーロッパから一流音楽家たちが高価な楽器を携えて船から降りてくる。「ヤー、シバラク」「タダイマ」「マタ、オヂカニコレテ、ラッキー」片言の日本語と英語が飛び交い、あちこちで1年ぶりの再会を喜びあう。このようなときの島のご婦人方は神経が図太い。講師との再会をヨーロッパ式の抱擁で歓迎している。ちょっと照れ屋の男たちは握手で我慢。
 昼からの船や飛行機では、日本各地から音楽アカデミー受講のため大小様々な楽器を担いで受講生が島に上陸してくる。これから1週間、島はクラシック音楽で癒され、島は音楽家たちを癒す。自然と音楽の素晴らしさが相乗効果となって、なお一層の魅力を引き立てる。


音楽アカデミーとコンサートと島の人情と

 長崎おぢか国際音楽祭は、3月の春休み期間中の10日間、講師として世界的な音楽家をヨーロッパから招聘し、クラシック音楽講習会と各種多彩なコンサートを開催するもので、今年で4回目を迎えた。開講クラスは、ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、オーボエ、そしてヴァイオリンの製作であり、各クラスごとに5人を受け入れている。上はマスターコースから下は初心者コースまでレベルは問わないのがこの音楽祭の大きな特徴である。従って子どもたちもかなり参加し、家族連れで来島する者も少なくない。各クラスとも1日1時間マンツーマンの熱血指導が通訳付きで行なわれ、日に日に楽器の奏でる音色が変化するのが素人でもはっきり分かるほど明らかに上達する。ピアノクラス以外は鹿500頭が住む野崎島(町営船で20分)の自然学塾村(廃校を利用した簡易の宿泊施設)で講師と寝食をともにしてレッスンが行なわれ、練習の合間にはスポーツや美しい島の自然体験プログラムを楽しみ、講師と受講生とスタッフの絆がより一層深まる。単に音楽だけではない、人間同士としての国際交流が生き生きとした形で行なわれている。
 コンサートは、島外でこの音楽祭の告知のため開催する前夜祭コンサートに始まり、島内で、講師が出演するオープニングコンサート、野崎島教会コンサート、ファイナルコンサートをメインにして、当町の有する離島に出かけてのミニコンサートやアジアの民族音楽を楽しむコンサート、ソプラノコンサート、絵本の読み聞かせとミニコンサート、受講生による成果発表街角コンサートなどが期間中毎日島のあちこちで開催されている。最初はクラシック音楽に関心のなかった島民も「一度聴いてみたら、すごい迫力と心が揺さぶられるのを感じた。クラシックは全く知らないが良いものだ」と徐々にではあるが、1年に一度の講師との再会とコンサートを楽しみにするようになってきた。また、期間中、クラシック以外の趣の異なるコンサートも開催され、島の春は鳥の鳴き声も加わっていろんな調べでいっぱいになる。
 人情どころの真骨頂は、ご婦人方による島の料理を中心にした歓迎レセプションに始まる。海産物料理ふんだんの野崎島での野外パーティ、一地区婦人総出で準備する取りたて山海食材を使った地区公民館での昼食会、メセナ活動よろしく個人が招待してのガーデンパーティ、3日間煮込んだ副委員長自慢のカレーによるパーティ、講習会終了後に行なわれるお別れパーティなど期間中愛情たっぷりの料理が振る舞われ、それらを通して講師、受講生と家族、そしてスタッフ、島民との間に親密感が生まれ、なお一層アットホームな環境が作られる。島を歩く講師や受講生に気軽に声がかかる。心細く思う受講生がいれば何かと世話をやく島民がいる。仕事を途中でやめて、島内を案内するおじさんがいる。夜、講師と酒を気軽に酌み交わし、音楽家としてではなく人間として交流する若者がいる。こうしたことから講師や島民と受講生との個人的なつきあいが始まり、音楽祭後の家族連れの来島や島外のパーティに招かれるなどの交流へとつながっている。


ミスマッチへの挑戦

 「何で、島でクラシック?」とよく聞かれる。「もともとクラシック人口が多いのか」と問われれば否である。むしろ皆無に等しい状況である。音楽関連施設もほとんどなく、ホテルもない。英語の堪能なスタッフもいないなど、まさに無い無いづくしである。さらに近くの都市佐世保市まで海上70キロの島という位置も交通アクセスの面から大きなマイナス点である。島でクラシックの音楽アカデミーとコンサートを企画することは、ミスマッチそのものであった。
 本町は、西海の地、東シナ海の入り口に位置し、東洋のガラパゴスといわれた火山群島。島全域を西海国立公園に指定されている美しい自然の風景を誇る小値賀町である。大小17の島からなる人口3500人の多島一町で、遣唐使船の寄港地という役割を担うよりずっと昔から大陸との海上交通路の要としての役割を果たしてきた島である。だから、この島は海の道を通じて古より世界につながっていたというDNAを昔から持っていたといえる。伝統的に外国の文化を受け入れ諸外国との交流を当たり前のものとしてしてきた開かれた気風がある。この一点だけが、国際音楽祭がこの島に根を下ろす可能性を否定するものではなかった。
 平成12年5月、町制60周年記念事業の一環として実施された文化イベントにウイーンから四重奏団が来島した。その後、小値賀を気に入ったその中の1人のアーチストが、音楽を取り入れた地域活性化策の情報と協力を申し出たことから、この音楽祭は始まったといえる。当時、自然を生かした地域活性化の取り組みをするための「ながさき島の自然学校」が設立されており、その活動の一つとして自然と音楽をテーマにした地域活性化の可能性を研究することにした。美しい自然と町並みの中で行なわれている世界的に有名なザルツブルグ国際音楽祭は魅力的なものであったが、あまりにも本町とはかけ離れており、実施のための本町の諸条件も悪すぎる。しかし、悪条件だからこそ、それを乗り越えることができたときよそにはない事業が展開できるのだ。一見誰が見てもミスマッチな事業であるからこそ、ひとたび成功するならば多くの関心を引くことになる。「ミスマッチだからこそ面白い」との発想でチャレンジすることとなった。もちろんこの決断にはザルツブルグ在住のアーチストの「美しい自然があり、温かい人がいる。これ以上に音楽祭を実施するための理由が必要ですか? 快適な環境が整わなければ音楽ができないと考えている人は相手にしなければ良いではないか。十分に小値賀で音楽アカデミーを開催することはできる。自分たちが応援する」との言葉が強く後押ししてくれたことは言うまでもない。かくてザルツブルグ在住のアーチストグループの協力のもと、住民と行政が一体となった「長崎おぢか国際音楽祭実行委員会」が立ち上がり、平成13年5月に第1回のおぢか国際音楽祭は開催された。


成果と展望(音楽祭が目指すもの)

 第1回の大成功はスタッフに自信をつけ、講師や受講生に島の魅力を脳裏に刻み付けた。講師はヨーロッパに帰ってからしばらくはホームシックに似たような感覚を味わったと言い、受講生の母親からは「ピアノの音質が変わった。ピアノが歌っている」とレッスンの質の高さを評価され、スタッフは困難を乗り越えたことにより新たな地域活性化の道の可能性を確信した。
 第2回からは、3月末の春休み期間中に開催することになったが、最初16人であった受講生も第4回には42人を数え、同行者や聴講生を入れると150人以上が来島するまでに増えてきている。コンサートも回を重ねるごとに入場者数も増加、第4回は、1650人になっている。内容もクラシックコンサートのほか、モンゴルの子どもたちによるホーミーや馬頭琴などの民族音楽コンサート、中国の二胡の演奏と歌、みんなで歌う客席と一体となったソプラノコンサート、ヴァイオリンやピアノによる歌謡曲の演奏、寺を会場に作家志茂田景樹氏による絵本の読み聞かせとミニコンサートなど、会を追うごとに多彩になり、いろんなジャンルの音楽を楽しめるようになってきている。また、自然からのインスピレーションが音楽に与えてきた影響を考えるとき地球環境問題も音楽家が関心を示すべきだとの観点からこの音楽祭に環境教育プログラムを開発し実行することも始まった。
 この音楽祭の、目的は音楽教育、文化振興への貢献、国際交流、環境教育、交流人口の増大である。実行委員会は住民と町職員とで構成され、官民協働型の取り組みとして新たな可能性を開くものであり、今後の地域づくりの生きた教材でもある。この音楽祭が日本のいや世界の音楽文化振興に貢献し、小さな島で行なわれる世界で唯一の珍しい国際音楽祭との評価が世界に発信される日を夢見て、今後もこの長崎おぢか国際音楽祭を継続発展させていくつもりである。「住民も職員も素人、ミスマッチだから面白い」