「ふるさとづくり'87」掲載
奨励賞

住民の住民による住民のためのスポーツ
兵庫県 垂水区団地スポーツ協会
 私ども団スポ(垂水区団地スポーツ協会の略称) が、昭和62年度から中学校で使われる社会科の教科書「公民的分野」のなかで、住民参加による地域づくりの好例として、紹介されることになった。
 私どもは、自分たちがスポーツを楽しむために、団スポという組織をつくり、組織の責任で施設を借り、効率的に利用してきた。その結果として垂水区では、住民の自発的なスポーツ活動が盛んとなり、ほかの地域にくらべて、スポーツを愛好する人たちの、スポーツを“する”機会が多くなったように思われる。団スポの活動が、単にスポーツの面だけではなく、社会的にも意味のある活動として紹介されることは、私どもにとって、大変に名誉なことであり感謝している。
 団スポは簡単にいえば、“住民の、住民による、住民のための”スポーツ・グループである。その特色を挙げると次のようになる。

(1)人間関係が難しいといわれる大都市で
(2)行政の、住民に対する指導、管理が、自治会や町内会などを通じて強まる傾向が感じられるなかで
(3)特定の政党、政治家、あるいは宗教団体とは関係せず
(4)自分たちの行為について、なんら経済的な利益を期待することなく
(5)自分たちの住んでいる地域で
(6)職業や地位、肩書きにこだわらず
(7)老若男女、年齢層を越え
(8)自主的、自発的に
(9)スポーツを楽しむ
(10)スポーツ・グループである。


団地スポーツ協会の誕生

 団スポの活動の中心である垂水区は、神戸市内の西南に位置する。西は明石市に接し、南は淡路島をのぞむ明石海峡を配し、内陸部の丘陵地帯は、昭和40年代から阪神間のベットタウンとしての団地の開発がさかんに行われ、昭和45年の統計では、161000人の区民のうち、35%が団地住民であった。(昭和60年の国勢調査では、区民224000人のうち、団地住民は38%)
 これらの新しい住民の間から、交流を深めるため、住んでいる近くで、いろいろなスポーツを楽しみたいという機運が高まり、団地対抗の親善ソフトボール大会を実施するなどしていた。たまたま、ある団地内に新設された都市公園の野球場の使い方をめぐり、市に便宜をはかってもらうため、なんらかの組織を設けて折衝しようという動きが具体化し、自然発生的に誕生したのが、私どもの垂水区団地スポーツ協会である。
 昭和44年12月1日に、5つの団地から350人の成人男女が集い、野球、バレーボール、卓球の三部でスタートした。設立にあたり、会員はいずれかの部に所属し、現実に、自らがスポーツを“する”人に限り、名目的、売名的に入会しようとする人は排除すること、などが申し合わされた。
 発足のころは、市の学校施設開放制度もスタートしたばかりで、区内には一高しかなく、最近のように「コミュニティ・スポーツ」とか、「市民スポーツ」という言葉すらなく、公立の体育館や運動施設でさえも、一般の人たちには縁遠い存在であった。したがって、場の確保には苦労したが、幸い、兵庫県が、無償で団地内の遊休地を貸してくれたり、市が団地内の公園に団スポのための集会場を建設するなど、県市の積極的な支援もあって、団スポの活動は進展した。
 このころになって、団地以外に住む人たちから、仲間に入りたいとの希望が強まり、昭和50年に、「団地住民を対象とする」との会則を改め、「地域住民が各種のスポーツ活動に参加できるよう、その場と機会を提供し、地域住民の健康と福祉の増進をはかるとともに、スポーツ活動の振興を通じて、健全なコミュニティづくりを推進する」(会則)ことにし、趣旨に賛同する人は、どこに住んでいても、入会を認めることにした。
 すなわち、団スポの目的は、スポーツ行事を主催したり、選手づくりを中心とする、体育協会や協議連盟など、既成のスポーツ団体とは性格が違うわけである。
 団地のワクを解消した結果、会員も増え、新しい部も生まれ、当初の3部のほか、ゴルフ、ボウリング、ハイキング、軟式庭球、マイテニス、ソフトボール、マイピンポン、それに子供対象のジュニア野球とサッカー、文化関係の詩吟、さらに、団地内の公園の清掃、設備を受け持つ公園管理会が加わり、13部、1公園管理会、会員3600人の大所帯となった。チーム数は、野球19チーム、バレーボール140チーム、卓球38チーム、ソフトボール9チーム、ジュニア野球17チーム、サッカー教室3ヵ所。各部とも、それぞれの計画により、各種の行事を実施、その実績は合計すると、年間300回を越える。つまり、毎日、どこかで、団スポの活動が展開されているわけである。


経費はすべて会費で賄う

 団スポが18年も続いている理由は、いろいろと考えられるが、次の2点に要約される。ひとつは、多くの有能な人たちが、世話役として、会の運営に携わっていることと、もうひとつは、経費をすべて会費で賄い、しかも、誰でもが、気軽に参加できるように低廉にしたことである。
 団スポの組織機構は、部と、これを統括し、調整する事務局からなり、事務局には、会長、事務局長などの役員が、会員のなかから選出される。部にも、部長らの役員が選ばれて、責任体制が確立される。団スポが、その責任で借りた施設を、部がどのように使うかなど、部の運営面については、会長といえども、口をはさむことができず、会員の自主的、自発的な活動を尊重している。
 会費は1人10円で、発足したときから値上げしていない。各部は、必要経費を部費として、月額300円から1000円徴収。そのうちから10円を、会費として事務局に納入する。
 昭和60年度の決算では、会費収入は375000円余。支出の64%は、年会費、月1回発行する機関誌「コミスポ」などの印刷費である。会費を増額し、各部の行事に助成してはどうか、との意見があるが、そのような方式を実施すると、事務局との部の間に上下関係が現出する危険があり、会員はみんな仲間であるとの団スポの理念が崩れることにもなりかねないので、当分は月10円を改めることはない。
 部費の収入総額は、13部の合計で1100万円余。支出が1074万円余に達している。すなわち、垂水区では、住民スポーツ事業が、税金を使うことなく、1000万円で展開されていることになる。


親子でスポーツを楽しむ

 会員の平均年齢は高い。野球部について調べたところ、最高58歳、平均では36.1歳であった。
 同部では、レギュラーからはずされた45歳以上の部員を、チームとは関係なく集結、年間行われているリーグ戦とは別に、年3会実施される「バレーボールのつどい」に参加、娘のようなチームと、熱戦を繰くひろげている。
 ゴルフ部やハイキング部にも、高齢者が目立つが、ボウリング部も同様である。昭和46、47年ごろは500人を越す部員がいたが、ブームが去って激減。そのうえ、区内5ヶ所もあったボウリング場はすべて閉鎖してしまったが、本当に熱心な愛好者だけが部員として残り、現在は25人。この人たちは、昭和45年、部設立のころからの部員で、年齢が高いのは当然。しかし、隣接の区内にあるボウリング場で、毎月2回例会を続けている。
 昭和48年にはジュニア野球部が誕生した。当時、少年野球の選手として汗を流した子どもたちも、いまでは社会人に成長している。これらの青年が、再び団スポの会員となり、野球部のチームの一員として、試合に出場している姿も見られる。なかには、父親が同じチームに息子を誘い、親子で野球を楽しんでいるケースもある。
 このようなことは、地域に団スポのような組織があればこそ、親と子が、同じユニホームを着て白球を追い、あるいは、熟年世代と若者が、共通の話題で語り合うことができるのである。
 また、野球やバレーボールなどを引退した会員が、その後は、ゴルフやハイキングなどの部に入り、体力や年齢に応じたスポーツを楽しんでいる例も多い。地域で、スポーツで知り合った仲間たちの、生涯にわたって好ましい友人関係が、団スポを媒体として続くとすれば、団スポの活動の結実として形成された環境は、やはり素晴らしいものといえよう。


フィリピンの若者に奨学金

 ところで、私どもは、自分たちのことばかりを考えているわけではない。設立のときから、自治会や婦人会などへの協力は惜しまないことを確認していた。その結果、会員のなかには地域の自治会、婦人会、老人会などの行事に協力を求められ、実行している者も多かった。こういう人たちのなかから、体育指導委員、スポーツ指導員などが育ち、地域社会のために貢献している。卓球部では、県の身体障害者卓球大会や、ライオンズ・クラブが主催する子供卓球大会の運営、審判派遣などで協力、喜ばれている。
 また、丹馬地方の過疎地域の町に依頼され、町の活性化のためのアイデア提供を行い、これが縁となって、同町と「ふるさと提携」が成立、サッカー部、ジュニア野球部などが訪問する、など交流が続いている。
 交流は国内だけではなく、フィリピンやシンガポールに、自費でスポーツ交流団を派遣、親善試合などを実施した。とくに、フィリピンでは、その貧しさを見聞、マニラ大学で学ぶフィリピンの若者に、その学費(日本円で年間5万円)を贈っている。会員3600人が年間10円から20円拠出することで、この奨学金はまかなわれるわけで、すでに4年目になる。
 さらに、小学生が卒業して使わなくなったリコーダーなどの楽器も集め、フィリピンの学校に送り届けている。


住民スポーツの環境

 以上のような各種の事業が進められるのも、18年を経過して築かれた人の輪によるものと思われる。
 しかし、住民スポーツをとりまく環境は、良いとはいえない。とくに、スポーツが営利追求の対象にされつつある現代の風潮からみて、先行き不安感が強い。
 立派な施設ができても、行事中心のものが多く、使用料も何万円、何十万円もする。地域によっては、団スポのような体育協会やレクリエーション協会など、行政の関係団体ではなく、住民の任意団体であるとの理由かで、使用料の割り引き、優先利用の対象になっていないところもある。これでは、昔のように、体育館や競技場などの施設は縁遠い存在になってしまう。
 昭和49年5月、経済企画庁が発表した「コミュニティ・スポーツの提言」の一節に、“コミュニティ・スポーツの振興は、地域社会における生活の質を高めていく観点からなされるものであり、積極的な福祉拡大政策の一環として位置づけられる”べきであると述べている。
 労働時間の短絡で余暇時代の到来が目前に迫っているときでもあり、私どものように組織が生まれ、全国に育つような総合的な施策の実現を期待している。