「ふるさとづくり'87」掲載
奨励賞

みんなが主役の村芝居
徳島県 『村芝居』白百合座・やったろー21
 徳島県那賀郡那賀川町大字色ヶ島の氏神「八坂神社」の秋祭の宵宮に、6年前より行われている「村芝居」白百合座々員の奮闘記である。
 那賀川町は、徳島県南部に位置し、その名のとおり一級河川・那賀川の河口部の両岸にある。海岸線に沿った山ひとつない平地ばかりで、いまだに国道の通っていない稀なまちである。産業も農業が主体で、漁業、木工業などが中心で、いま1、2の感がする。
 そんななかに「色ヶ島」(イロガシマ)という戸数80戸ばかりの集落がある。8年ほど前に、色ヶ島でもカラオケのグループを作ろうと、同好の者男女15名が集まり「白百合会」が発足した。最初の2年間は、各地のカラオケ大会に参加したりして楽しんでいたが、村の氏神「八坂神社」の秋祭(毎年10月4日)に歌や踊りの芸能大会だけは面白くないと言い出す者があらわれた。古くは明治、大正時代に「好色団」として各地に芝居をしに行った話を古老から耳にしていたし、戦後1〜2度、青年たちが演じたこともあった「村芝居」を復活しようと話がまとまった。
 話はまとまってもみんな未経験、それに、昔は教えてくれる人があったが、今は誰もいない。「ああじゃ」「こうじゃ」の議論の末、みんなで恥をかけばよいとの結論になり、すぐ実行に移した。幸い、隣の小松島市に、昔各地で芝居をやっていた衣装屋のお婆さんが健在なので、古びた衣装を借りてきて、打った芝居が「大忠臣蔵」2幕であった。セリフがほとんどないナレーションと唄の芝居であったが、面白おかしくできたので大変喜んでいただいた。抱腹絶倒とはこのことかと思うほどみんな笑った。


芝居を通しての豊かな人間関係

 こんな田舎でもサラリーマンが多くなり、疎遠になりがちな人間関係、心のふれあいが薄れつつある今日であるが、子どもから老人までが舞台と一体となって笑い楽しむ姿を見て、会員は芝居をやってよかった、来年も必ずやろうと誓い合った。
 2年目(昭和57年)は「水戸黄門」の色ヶ島版で、これは1年目よりセリフが多くなったが、これも大成功し、3年目には子どもたちにも楽しみをと「狸の大風呂敷」、4年目はNHKの「おしん」の色ヶ島版「色ヶ島のおしん」、5年目には「足袋姿3人男」と続いた。6年目の今年は、「甦れ阿州公方」で、これは、当町に室町時代末期から280年間住んでいた足利一族の生き様を歴史に忠実に面白おかしく3幕で演じたものである。いずれも30〜40分もので、芸は下手、セリフ忘れは常のことですが、境内を埋めつくした観客(300〜400)の暖かい声援が会員の励みとなっており、芝居の後の酒宴が毎年朝まで続くことでも、これが会員の充足感の証しになっていると思います。「大根役者じゃけん、せめて小道具はいいものを」と、乳母車をはじめ、お地蔵さん、背景の絵、屏風、人が2人入る牛、車のワイパーを使った案山子、杉皮をふいた茶店など苦労の末の財産が年々増えている。
 私たち「白百合会」は、毎年お盆が済むと祭りが始まる。10月4日まで、夜2〜3時間の練習を14〜15回重ねるのである。脚本は不肖私が担当、会員の家に不幸があれば神社参りは忌られるので、その年によって、また直前になって出演できないことがあり、配役やセリフを変えることも度々ある。主演はなし、ヒーローなしの村芝居であるが、常に心がけていることが若干ある。
1 地区の伝承や伝説など身近な話を盛り込むこと。
1 決して障害者の真似や姿で笑いをもらわぬこと。
1 子どもたちが喜ぶ場面を必ず入れること。(今年は、果たし合いの場面で爆弾にお菓子を入れて投げた)
1 野外舞台なので特色を出すこと。
1 全力でぶつかり、後悔はしないこと。
 メンバーの構成は、年齢が30歳から57歳までと中年組の感がする。カラオケ会では会長であり、芝居では座長の中村久美子さんは42歳の独身である。彼女が34歳の時、夫が急死し、一度は2人の子どもを抱えて絶望の淵に立ったこともあったが、持ち前の負けん気と明るい性格で、家業の漁業、主に海苔養殖を立派にこなすとともに、座長として座員を束ねている。会員には、呉服屋あり、理髪店、役所の課長、水道課の職員、会社員、養鰻業、主婦などバラエティに富んでいる。流行の異業種交換のように芝居外でも、ものに対する考え方の相違やアドバイスをし合いながら互いに学び合っている。
 衣装代や小道具作成費として毎回10万円前後必要であるが、会員の自前でやっている。世相として金が要ればすぐ寄付や援助に頼って、それが当たり前のようになりがちであるが、そんな安易なことでは継続していけない。また、舞台製作は当屋の組の人10人ほどか2人がかりで作るが、祭礼の準備など忙しいのにもかかわらず誰1人として不平を言わず、むしろ楽しみながら作る態度に、私たちの芝居をはじめ、余興が村人の心のなかに溶け込んでいるのだなあと嬉しく思う。
 会を重ねるごとに、他所から出演依頼があり、近在の祭りにも招待されたこともある。今年7月には、まち、村おこしの徳島県の総元締、新とくしま県民運動大会の栄ある席で披露させて頂き、会員には生涯の思い出ができた。10月12日の町内運動会にも交通安全パレードに今まで作った小道具を使って参加し、交通安全を呼びかけた。また、11月16日の町政施行30周年記念大会に村芝居を演じる予定で練習している。


町おこしグループ「やったろうー21」

 昭和61年11月、那賀川町に町おこしグループ「やったろー21」が誕生し、白百合会の会長をはじめ4名の座員も参加し、熱心に町おこしに取り組んでいる。21世紀に向けて、何でもやったろうと町内より自由参加で現在30名ほどが入会している。
 「やったろー21」では、昭和61年1月21日に「新春ほら吹き大会」を開催。初めての試みであったが、町内外に大きな反響を呼んだ。ルールは、制限時間3分で、スタートはほら貝を吹いてから、タイムアウトには大きなリンを振り鳴らす。町内からの自由参加で36名が大ぼらを吹きまくった。テーマは「町の将来像への願い」とし、審査員は小・中学校の生徒会の役員7名のみ。賞品は、ほら吹き大賞に大風呂敷、大ぼら賞、中ぼら賞、小ぼら賞には魚のボラ。大会後、この内容をまとめた「大ふろしき」を発刊し、議員さんはじめ各種団体へ発送した。
 「やったろー21」では、2月と5月に、迷路のように分かりにくいと不評の道路に、町外からのドライバーのため、道路案内板を町内50カ所に設置した。簡便なものではあるが、県民運動のキャラクター「しらさぎ」マーク入りのカラフルな仕上げで、会員の努力と熱意、町をよくしていくために何でもやったろうという意気込みが、町民のボランティア参加を生み、役場も協力してもらってできたものでもある。町外から来た人から、道がよく分かるようになったと好評を得ている。
 また76年に一度というハレー彗星の観測会の計画をした。中学校の先生(町外の権威者)や町民の協力で、大きな天体望遠鏡を3台購入できた。3月23日は雨天のため中止、4月4日午後0時よりいよいよ開始したが、予想外の参加者(500名以上)にびっくりし、待ち時間を利用して天文学教室を開いたが、これも部屋が小さいため入れ替え制にするほどだった。子どもから大人まで未知のロマンを追った一夜であったが、最近接といっても望遠鏡に小さく輝く星が見えるだけで、町民は改めて宇宙の偉大さを知らされた。とにかく会員には疲れた一夜であった。


行政に頼らない姿勢で運営

 7月には商工会主催の夏祭りに協賛し、村芝居用の茶店を出店、やったろー21特性おでん、キャンディ、トウモロコシ、スペイン風ジュースを販売した。女子は絣の着物に赤の前垂、男子は烏帽子を着用(足利公方を売り出すため)し、予定量完売、忙しいが楽しかった。
 8月からは、11月16日に予定されている町政施行30周年記念事業と阿波公方祭りのため、町内No.1「那賀川町疑根数」を計画。このギネスは、隠れた人材や物を町民に知ってもらおうと、ユニークな項目(例・献血回数、仲人回数、子どもの数の多い人、夫婦年齢の合計、髪の長さ、足の大きさ、ペット動物を多く飼っている人など、通常のNo.1の他に採用している。)また、うちの槙囲いは長くて美しいからだとか、新聞投稿で掲載された回数、松の木が200本ある、イリコ屋創業100年とか、氏神さんがきれいだ、など認定して欲しいと申し入れがたくさんあって、やったろー21は現在苦慮中である。10月末にすべての項目を決定し、11月16日に発表の予定である。
 また、11月の第1回阿波公方祭り(町の企画・主催)でのメインである公方行列ように烏帽子とはち巻を300人分を制作中である。烏帽子は網戸用の網を切り抜き、ボンドで張り、縁はビニールハウス用マイカ線を使用、家紋の型を乗せて黒色塗料を吹き付けて仕上がりである。
 町制施行30周年記念として、やったろー21絵葉書を発売する予定である。これは、町内在住で日本南画会理事の篠原正義先生に町内の風物画を四季に分けて7枚書いて頂き、現在印刷中で、町外へ出られている方に古里・那賀川を思い出していただこうというねらいもある。
 「やったろー21」では、毎月21日に定例会、必要に応じて臨時会を開いているが、毎回20名余りが出席し、午後7時から11時までの時間がいつも足りないほど積極的である。予算ゼロ発足なので、毎回1人100円のジュース代を徴収。わが町を嘆かず、ぬくもりのある住みよく豊かな町になるように常に求めている。小さな企画ばかりであるが、色ヶ島で過去6年間やってきた「村芝居」の考え方や、ノウハウが「やったろー21」に生かされている。
 「やったろうー21」は完全な民間レベルの会で、行政に頼らない姿勢でやっている。何をするにも行政に頼る世相、短絡的に寄せ集めに回る姿、こんな考え方ではシンポはなく「逆転の発想」こそ、これから求められると思う。
 終わりに、人口10000人ほどの小さな町にも、いろんな人材が、暖かく協力して頂ける人がたくさんいることを知った。古里・那賀川に感謝し、明日の発展を力強く信じ、頑張っていきたいと思う。