「ふるさとづくり'88」掲載

ふるさとづくり20年の歩み
福島県いわき市 小名浜玉川町連合会
 わたくしたちの住んでいる玉川町は、昭和37年公布の新産業都市建設促進法に基づく地域拠点開発方式で、常磐・郡山地区19市町村が昭和39年に指定を受けた地区である。その後昭和41年10月1日、いわき市は14市町村が対等合併し、現在人口35万人、面積1,230平方キロメートルと日本一広い市である。
 新産業都市に指定されてから、高度経済成長当時、新しく進出する企業に働く人たちが住むための住宅団地として、福島県の企業局が昭和39年度から45年度にかけて、総事業費約15億7,000万円、造成総面積56万余平方メートル、分譲面積35万2,700余平方メートル、最終的に人口8,000人、戸数2,000戸の計画で造った団地である。(現在実際に住んでいる世帯は62年4月1日現在、1,179戸、総人口3,769人。)


コミュニティセンター玉川会館の建設

 こんにちの玉川町の自治活動が世間的に一応評価されるまでには、歴代の役員がそれぞれ大変な苦労をしてきた。
 自治活動でまず初めに困ったことは、集会する場所がなかったことである。すべての会議は、昭和40年に建設された、進出企業である小名浜製錬所の独身寮「玉川寮」の日本間を利用させていただいた。自治活動を活発にするためには自前の集会所がなければと、昭和50年に集合所建設委員会を発足させ、居住者一世帯当たり1万円の積み立てと、不在者地主にも協力を要請、330平方メートル単位1万円の協力をえた。
 幸い、積立額も目標に達した時期に、福島県が立県百年の記念事業として県内の四方部にコミュニティセンターの建設を打ち出し、1ヵ所当たり500万円を助成することになった。市でも玉川町の陳情を受けて県の指定に奔走し、県・市合わせて1000万円と、地元玉川町から寄付採納としての860万で玉川集会所を建設してくれた。建設場所は市有地(約1,970平方メートル)で玉川町のほぼ中央に位置している。
 集会所建設運動は計画して完成まで2年余かかった。この集会所の規模は大ホールが約138.5平方メートル(42坪)、日本間、約16.5平方メートル(10畳間)2部屋、管理人用
部屋2室、炊事場、バス、トイレ等で総建築面積244.62平方メートル(70坪)である。
 この建設運動は玉川町におけるコミュニティ運動の歴史を飾る一大事業であったので、この運動を抜いては、今日の玉川町自治活動を語ることができない。
 建物の所有はいわき市のものとなっているが、その管理は玉川町連合会が委託されているので、市の条例では玉川集会所となっているが、わたしたちは「コミュニティセンター玉川会館」と称している。


盛んになったサークル活動

 玉川会館の完成によって、町民のサークル活動が非常に盛んになった。従来はほとんどが個人の家を利用していたから細々とやっていた。例えばコーラスは、個人宅で個人のピアノで練習していたが、会館ができてからは、ピアノ教室を経営している楽器店から会場の使用料で支払う約束でピアノを購入し、サークルの人たちに無料で貸し出している。
 これはほんの一例だが、何といっても自分たちで造った会館だから、誰にも遠慮なしに使える。
 こうした自負心と喜びから飛躍的にサークルを生みだし、現在ではサークルだけでも33を数え、そのほか、青年会、青少年健全育成会、長寿会などがあり、利用も1日平均282団体のサークルの利用度があり、多いときには利用がかち合う場合もあるので、敷地の一角にプレハブの建物「99平方メートル(30坪)」を増築した。
 心のふれ合いの場として、趣味に教養に娯楽に活用され、街づくりの真剣な討議の場として各種集合にその機能を果たしている。さらに冠婚葬祭にも相当利用されて、とくに葬祭には、住宅事情と、居住している人たちの親せきが遠いため、宿泊にも利用できる便利さがある。隣組の新年金、忘年会など隣組の親睦と連帯を深める場としても年々その利用数を増してきている。
 会館の運営費は各世帯当たり1ヶ月50円の負担金と、利用者の使用料で賄っている。使用料金は、例えば1部屋を使用する場合、5人までの基本料金が100円で、そのほか、1人20円が加算される。


拡張、充実した玉川文庫

 会館の事業として玉川文庫がある。市立中央図書館からの図書を預かり、毎週土曜日午後1時30分より午後3時30分まで、ボランティアによるご婦人たちが交替制で貸し出している。大ホールに図書を置き貸し出しを続けてきたが、狭陰さを感じ増築の必要を感じていた矢先に、県・市立図書館の推薦により、伊藤忠記念財団から青少年の健全育成のための読書活動が認められ、150万円の図書室増設が認められ、地元負担金150万円と併せて、約41.25平方メートル(12.4坪)の図書室がこの春完成し、盛大に文庫祭を行った。
 現在の図書数は、いわき市よりの図書と献本運動で寄附された図書で3,500冊ほどになっている。1回の利用者は150人ほどで1人2冊まで借りられる。いうなれば玉川町のまちづくりの特質は、文化活動を通してのまちづくりといえると思う。
 文化サークルの数も多く、全館の落成を機に開催された玉川町総合文化祭も、昭和52年から数えて昨年は第10回を数え、年々内容の充実したものとなっている。ちなみにそのプログラムはすべて手作りである。参加するサークルは、長寿会のはり絵から川柳、木目込み人形、藤工芸、日本画、いけ花、お琴の発表、コーラス、民謡などはビデオで発表している。区内にある玉川幼稚園児の図画、小学生を交えてのゲートボール大会、囲碁、将棋大会、もちつき大会と、納会には文化講演会もやっている。文化祭に対する町民の関心も高く入場者は3日間で約3,000名を数える。


行事を通して深まる交流の輪

 玉川町の年間行事としては、春に各区対抗の大人男女、子供会男女によるソフトボールと、フットベースボール大会がある。
 8月には盆踊り大会がある。盆踊り大会は今年で既に第18回を数え、各戸から300円の翁担をいただき抽選会や、各戸にウチワを配る。やぐらは第15回を記念して製作した。当日は玉川町中央公園を会場にして、夕方7時から夜9時まで当地の伝統的ないわき盆踊りを会場狭しと踊りまくる。子供たちの仮装も見事なものである。当日は、露天商も30店ほど出て2,000人を越す賑やかさである。悩みは太鼓をたたく人や笛を吹く人、歌う人が自前でできないことである。来年こそと思っても遂に実現していない。残念である。
 秋10月になると町民大運動会がある。各区対抗の団体競技と、大人、子併たちの個人競技と、日頃お互いに話し合う機会のないサラリーマンも回を重ねて行事に参加するごとに親しさを増し、着々とふるさとづくりが進んでいる光景を見て微笑ましいものである。知らなかったもの同志によるムカデ競争などでとくに感じる。
 先ほど書いた文化祭のなかで、昨年は、子供たちのために樽みこしを造って男女別々に担いで町内を練り歩いたおみこしワッショイは、協賛箱に約20万円も入っていたので、子供用の祭り半てんを80着作った。今年の盆踊り大会には、子供たちは喜んで祭り半てんを着て踊っていた。
 寒さ厳しい12月には健康増進のために、小学生、中学生、そして大人も含めた玉川町一周のマラソン大会を昨年第1回を計画したところ大盛況で、参加者200人を越す行事となり、今年も昨年を越す大会となりそうだ。


通行人の目を楽しませてくれる花壇

 1年を通して苦労して町内の人は勿論のこと、通過する人たちの目を楽しませてくれているのが、1昨年から発足した緑化推進委員会10名のみなさんである。町内の市道の路肩を市から借り受けて、そこに花壇を追って、種を播き、苗を育て、花壇に移植し、旋肥、散水、除草、春はチューリップ、そのあとへ、サルビア、マリーゴールド、ダリヤ、カンナ、日日草、イタリアンほうせん花等々、いわき市の花いっぱいコンクールに参加し数多い参加団体のなかから、昨年も、今年も、見事優良賞に輝いた。花壇づくりは人間の背丈より伸びた雑草で荒れ放題の路肩を整地してブロック、肥料などを購入し維持管理に全がかかるのが悩みである。
 まちづくりは役員だけでは長続きしないからすべて行事の内容を理解してもらう必要があるので、広域放送設備も備えている。建設費用は1世帯当たり300円を10カ月積み立て370万円を要した。その規模は、50Wストレートホーンスピーカ6コ、15W丸型ホーンスピーカーが4コで、町内の高台に地上21.6メートルの高さである。災害時は無電源放送可能方式で、連合会主催の行事には常時放送で知らせている。
 青少年健全育成金や、交通委員会の広報活動は広報車で毎週月曜日に朝登校時の児童、生徒たちに交通の安全と挨拶運動を呼びかけている。
 住み良い生活環境をつくるために、衛生委員会の人たちは、春・夏の2度にわたり町内の消毒を毎年続け、市の方から表彰されている。
 自分たちのまちは、自分たちで守るために昭和58年7月、玉川町自主防災団が組縁され、消防署かG講師を呼んで研修をしたり、非常用として、街路灯の柱等に消火器を備えつけている。
連合会の肝いりで結成された玉川町のゲートボール協会も数々の実績を挙げて玉川町の名を県内に高めてくれた。ゲートボール協会は県大会を初め各種大会で数多く優勝の栄に浴している。