「ふるさとづくり'88」掲載

高齢者が安心して暮らせる協助社会をめざして
静岡県可美村 いとな生活学校
 いとな生活学校は、静岡県浜名郡可美村にあり、15名で構成している小さな生活学校である。57年度の婦人会役員として、村内行政のお手伝いをして、地域のことが少し分かってきたとき、1年間の任期を終えた。そのまま解散する気になれず、行政から離れた立場で自分かちの生活に根ざした活動をしていこうと会を作った。
 15人の意図を綯って1本の太い意図にしようと、地域に根ざした活動をする意味を込め、57年度と地場産業の織り物の糸とも掛けて「いとな会」と名付けた。浜松市の蒲生活学校の委員長で、県の生活学校連絡会の会長でもある鈴木正子さんのおさそいを受け、生活学校の仲間に入れていただき「いとな生活学校」と改名した。


環境の急激な変化と都市化する町

 可美村は、人口13,000人余り、世帯数は4,000弱で、行政区分では浜名郡に所属しているが、地理的にも生活圏も浜松市内にある。市の中心街から車でわずか10分程度の所にある、東西4キロ、南北1キロの小さな村である。村の中を旧東海道(現国道257号線)、東海道本線および新幹線と3本の日本の大動脈が東西に走り、大小さまざまな企業と住宅地が農地とともにある湿性地域である。
 浜松のベットタウンとしての地理的条件のよさから、農地はどんどん宅地化され、住宅団地やマンションが急ピッチで増加し、人口密度は県下一とかいわれて、生活の変化は著しく都市化されてきている。
 環境の急激な変化のなかで、わが校はテーマを「美しく住みよい村作り」とした。


一貫して取り組んできた資源問題

 静岡県の生活学校連絡会では、資源問題、食生活問題、高齢化社会問題の3つを活動方針の柱としている。わが校も連絡会での共通課題に取り組みながら、自主活動として、村のなかで主婦として取り組める課題に取り組んできた。
 急激な人口の増加にともなって増える一方のゴミ問題は深刻なものである。婦人会当時から、ゴミ問題は主婦の課題と考え、台所からみたゴミの減量運動を行ってきたので、引き続き生ゴミの自家処理方法の研究と実践活動を行い、さらに食用廃油の処理問題に取り組んだ。食用廃油の処理方法について実態を知るためのアンケート調査、廃油からの石けん作り、廃油の回収および回収業者との対話、AVチエッカーによる油の劣化度テスト、使いきり運動としてのコスロンの普及など、現在も継続して行っている。
62年度に全県的な家庭廃棄物の実態調査が行われたとき、資源プロジェクトとして村内100軒余りの世帯に同調査を依頼することにした。調査に当たって、村内のいろいろな婦人グループの方々に協力をお願いしたところ、1カ月にわたる調査にもかかわらず快く協力していただき102軒のデータを得ることができた。県の集計とは別に村の集計を出し、ゴミの分別収集についての資料を作って村へ働きかけたところ、村議会での資料に取り上げられ、生ゴミの自家処理法とともに、61年度からゴミの分別収集が始められるようになった。
 牛乳パックの回収についても調査し検討し、1年間かけて回収ルートを作り回収運動をはじめた。また県西部にある4つの生活学校仲間や村内の他の婦人グループの方々に呼びかけて牛乳パックによる紙漉き講習会を行った。昼食を挟んで連絡会の鈴木正子会長のお話や各グループの自己紹介など、交流会方式の楽しい講習会であった。これによって回収の輪は一段と広まった。最近では、村立幼稚園でも父兄が回収を始めるなど回収運動は順調である。
 一貫して資源問題に取り組んできた結果、県の「物を大切にする県民運動椎進大会」において、59年に「台所廃棄物の処理の仕方について、廃油を有効利用するには」、61年に「ネットワークを広げよう牛乳パックの回収運動」と題して発表した。
 食プロジェクトは、県の活動への参加とともに、独自の活動として地場特産のさつまいもを使ったおやつ作りを考案して、講習会を開き、親子料理教室を行ったり、浜松茸の生活学校でのパン作り講習会に参加したりして、多くの方々と広く手を結ぶ活動に結びつけてきた。


わたしにもできる介護教室との出会い

 高齢化社会問題においては、プロジェクトの活動としてシルバー人材センターの調査などを行ったが、自主活動とまではいかず、60年に県が募集した「高齢化社会への提言」で持っている考えを書いて応募したところ、人選となったことくらいだった。
 61年の秋に鈴木会長より、蒲生活学校で行われた介護教室の話を聞き資料をいただいた。
蒲、さつき、さなるの生活学校の人が数多く参加したという「わたしにもできる介護教室」との出合いであった。この教室が、「ひろーく間柄作りをめざす研究会」というボランティアグループの主催するもので、会長は静岡県立大学短期大学部の看護学科教授の佐藤登美先生で、会員は現職の看護婦さんが多いということを知った。
 内容は3回の講義、2回の演習、さらに3日間の病院実習と、他に類をみない充実したもので、講師の方々も第一線の先生方にもかかわらず、経費程度の参加費でボランティアで行われるということだった。鈴木会長に紹介していただき、可美村からの参加をお願いして、引き受けていただいた。この機会に私たちだけでなく、もっと多くの人たちにも呼び掛けたいと思い、社会福祉協議会に相談したところ、社協としても、数多くある婦人グループの交流を深めたいということで協力してくれることになった。
 62年1月20日、社協の主催で、「豊かな高齢化社会を迎えるために」と題した、婦人グループの意見交換会を開いた。15団体から37名の参加があり、各グループがそれぞれの高齢化問題に対するかかわり方などを話し合った。その席で、いとな生活学校として介護教室の紹介をさせてもらい、参加者の募集を各グループに依頼した。


介護教室修了者で連終会を結成

 2月に入って各グループからの応募者をまとめたところ、41名もあった。いろいろなグループに所属している方が多いので、意識が高いとは思うが、いま、いかに高齢社会のなかでの病人の介護に不安を抱き、介護講習の必要性を感じているかが分かった。
 3月11日、可美村からの参加者の会合を開き、資料の配布と説明、さらに実習グループの希望をとって、連絡網を作り参加準備をした。3月28日土曜日、最初の講義がはじまった。都合で参加できないと連絡を受けた3名を除いて38名が出席できた。都合で出席できない方のためにと、毎回テープにとったが、ほとんど休む人もなく、毎週1回のペースで演習まですべて終わった。
 5月からいよいよ病院実習である。4つのグループに分かれ、第1、第3は遠州病院で、第2、第4は浜松医療センターで、3日ずつの実習に入った。最初の実習グループが終わった日、喜びとお礼の電話を何本も受け、感激の余り佐藤先生に電話してしまった。7月4日、第4グループの実習が修了証書をいただいて終わった。
 参加者38名、実習修了者32名、都合により来期に実習を延ばした人4名、講義、演習のみの参加者2名という結果で、かなりよい成果を納めることができた。
 7月16日、可美村からの参加者による反省会を開いた。その席上で、今回の経験をより充実させ、今後の高齢社会に向けて大きな輪を作りたいと、修了者連絡会を作ることを提案したところ、全員の賛同を得て結成することができた。
 募集の段階から村内の婦人グループによびかけて出席者を募ったので、この連絡会がそのまま婦人グループのネットワークとなった。各グループの侍っている情報を提供し、交換し合って各自の自由な選択による学習体験していく場としよう。そしてこの輪を大きく広めて、これからの社会に対応できる婦人の輪にしようと話し合った。事務局は社協で引き受けてくださることになった。


ボランティアは高齢社会の財産

 連絡会としての最初の仕事として、受講の感想文集を作ることにした。
「老いはだれにでも訪れる。高齢社会を安心して暮らそう。介護教室に参加して」と題して、冊子にまとめることができた。
 活動経費は受講に際しては自費参加で、印刷物は社協にお願いしてきたので、会が結成されても会費は集めなかった。冊子を作るに当たって、今回に限り社協の協力で作っていただいた。来年度は会費を集めて運営する自主活動としたいと思っている。
 介護教室終了者の会としての活動計画は、
@介護教室への参加者を一般公募して送り込み、会員を増やして輪を広げていく。
A修了者の演習を計画し力を付けていく。
B修了者の感想文集を村の主な方々に読んでいただき、主婦の動きを知ってもらう。
C近い将来に計画されている保健センター内に、デイケアのできるスペースを確保し、からだの不自由になった方が自由に入浴サービスやリハビリが受けられるようなシステムを作ってもらえるように会として働きかける。
Dこの会の修了者がそうした施設でのボランティアができるよう力をつけ、また、ボランティアの相互協助システムを作るよう働きかける。
などである。
 修了者の会をつくることにより、今までばらばらだった主婦グループにネットワークができ、村への働きかけの力が増した。また、会員のなかからすでに社協へのボランティア登録者が多数でてきて、めざしているボランティアの相互協助への第一歩となった。
 生活学校としての今後の活動は、いままでの活動を継続させながら、新しくできた連絡会の世話役として、2足のわらじを上手に履いて、地域のなかで根を張った活動をしていきたいと思っている。活動テーマに「美しく住み良い村作りをめざして、高齢社会を安心して暮らすためのネットワークづくり」と、テーマを付け加えた。