「ふるさとづくり'89」掲載
奨励賞

「ふれあい朝市」が生んだもの
宮城県矢本町 赤井地区コミュニティ推進協議会
 東北の今年の夏は、低温、長雨の日だった。「農作物の成育が悪い。トウモロコシだけでない。葉物も少ない」。出店申込書を集計する事務局員は、前年との比較の中で深刻な事態に陥ったことを告げてきた。予想していたことだが、数字になって示されると、頭は痛い。「昨年夏のトウモロコシは申し込み段階で5000本。実際は12000本も当日集まった。今年は申し込みは1000本ちょっとだけ」というのだ。
 わが町で開く夏と秋の朝市は、開催1か月前から準備に入る。コミュニティの事務局員と役員が手分けをして、農家、商店、ボランティア団体を回り、出店依頼分を配る。回収して集計するのは、大体、10日前だ。「当日雨の場合どうするのか」という問い合わせも今年は過去にないくらい目立っていた。反面、農家の生鮮野菜以外は順調。「おらが古里赤井はひとつ」のスローガンの下で台頭してきた。“祭り好き”のグループも「朝市で梅雨空を吹っ飛ばそう」と張り切っていた。
「夏の朝市は、トウモロコシがなんたって目玉だ。もう1回、呼び掛けよう。農作物は生きている。カラッとした日が4、5日続けば、見通しも変わるはず。新興住宅地の消費者が心待ちにしている。朝市は、新旧住民のかすがいなんだから…」。既にサイは投げられていた。もう、ストップはない。行動あるのみだった。前日夕の会場設営準備も、どしゃ降りの中で行われた。しかし、迷いはない。「朝の3時間も小降りであればいいんだから」と、開き直りの構え。「どうにか倍は集まりそうだ」という朗報も入って、「お天気祭り」には笑い声も聞かれるようになった。
 7月17日、日曜日、朝5時過ぎに外に出る。厚い雲に覆われていたが、雨は上がっていた。もう「V宣言」の心境だ。6時前に会場の勤労者体育館駐車場に向かう。事務局員も相前後して駆け付けていた。焼き鳥、おでん、焼きそば、焼き飯(おにぎり)の仕込み作業が次々に始まる。子供会育成会と青年団の若者は子供フェスティバル(ケンケン相撲や金魚すくい、昔のコーナー)の準備に取りかかり、あいさつは「雨はなし。がんばろうぜ」。野菜満載の軽トラックが入ってくる。出店許可証を示す農家の人たちは「なでらいだね。(ホッとしましたね)」と笑っていた。
 午前7時半、花火が鳴り響く。今年も大盛況だった。「雨」の天気予報で、どの家庭も出掛ける予定を組んでいなかったことが、幸いした。事務局員らの努力の甲斐もあって、目玉のトウモロコシは実に5000本を越え、カボチャに、キュウリ、ナスなども予定数より多い。飛ぶように売れた。予想通りトウモロコシは会場30分余りで売り切れとなった。ほかの生鮮野菜も1時間ももたない有様だった。2時間でザット2000人が訪れ、曇天とは裏腹に心が躍っているように見える。売り手も買い手も、声は弾んでいた。


おおらかな反面、保守的なところ

 私たちが住む矢本町は、宮城県東部の拠点都市、石巻市(人口12万4000人)と隣接した人口28300人の町である。JR仙石線と国道45号線が走り、交通に恵まれている。10数年前から「石巻市のベッドタウン」として人口が増え続け、航空自衛隊松島基地所在地でもあり、財政的にも豊かなほうである。
 「赤井地区」は矢本町の東端に位置し、石巻市との接点。人口5600人を数え、ここにも当然ながら移住者が多い。かつては見渡す限りの田園地帯だったが、振興住宅街が開け、町並みは一変した。「町外れ」にあったはずの小学校分校が、約100年間ほぼ動かなかったのに住宅地の中に存在し、62年春に「独立開校」に及ぶほどの変わり様。地区内には職員2人が配属の公民館のほか、公設民営の「分館」が5ヶ所にある。分館は社会教育活動の拠点となり、住民融和の基盤を築いてきた。ところが、新住民が増えるに従って、分館だけでは住民融和を図ることが難しくなっていた。古くから住む人たちは大地を相手に生活。おおらかな気持ちがある反面、保守的である。しきたりを大事にし、頑固な一面もなきにしもあらずだ。一方、新住民はマイホーム主義的に殻に閉じこもり、近隣関係は希薄。それでも、各種会合での意見は鋭く、開拓心旺盛な面も備えている。異なった「2つの風」はたまたまぶつかりあう。60年6月に赤井地区コミュニティ推進協議会という新しい組織が誕生したのは、そうした背景があったからだ。「良い面で2つの風は融合すべきだ」との願いを込めて生まれた。
 会長は「社会人1年生」と謙虚に語る元学校長。副会長の1人は5つの分館をまとめる連絡協議会長で、町新生活運動協議会長でもある。もう1人の副会長は町内唯一の「昭和2ケタのサラリーマン区長」。240戸の新興住宅地区長を30代後半で引き受け、今年で10年目。事務局員は正副会長の下で働くプランナーであり、実行部隊の中枢だ。20代の独身男性から40代半ばまで。PTAの正副会長、青年団長、農業後継者クラブ会長の経験者に交通指導隊や合唱団で活躍してきた男女7人。コミュニティの“始動者集団”は、それぞれが、「組織を動かせる力」を持ったメンバー。「議論もするが、動き出すのも早い」という面々である。
 協議会発足直後に、全戸対象の住民意識調査を行った。結果からいろいろなことを学ぶことが出来た。旧住民は行事等に敏感に反応し、参加もするが、新住民は住民の触れ合いを「行政区が行う清掃に出て感じる」など、消極派が目立っていた。それでも住み心地は「将来も住み続けたい」が8割。言葉を変えるなら「赤井が好きになれる」要素を含んだ人が、5人中4人いる勘定。事業意欲を掻き立てられる気分になり、メイン行事に「ふれあい朝市」を設定したことを「正解」と確かめあったものだ。
 「ここに住むみんなは、生まれた場所も育ちも違うし、ここに住んだ歳月の長さも異なる。しかし、みんな赤井を愛している。古里意識を持っている。少なくとも、子どもたちにとっての古里は赤井だ。朝市はおらが古里をひとつにする」と…。


朝市がきっかけでユニークな活動が生まれる

 住民交流のイベント生を求める一方で「村おこしの模索」も描いた「赤井ふれあい朝市」は、今秋(10月30日予定)開催で通算7回目となる。秋は体育館内で文化祭も同時開催し、獅子舞の披露もある。モチつき大会や米の消費拡大を兼ねた新米ササニシキ無料配布(500グラム入り200袋)も実施し、夏と比べれば祭り雰囲気が一段と増す。61年秋の第3回朝市には、遠く800キロも離れた四国、徳島県コミュニティ・リーダー一行9人が視察に訪れている。たまたま、朝市終了後に、財団法人自治総合センターの助成を得て出来上がった「コミュニティ朝市広場植栽事業」の祝賀会も行われ、徳島県の人たちを歓迎し、記念植樹や交流会を同時に行えた。彼らは後日、同県発行の「阿波の自治」という雑誌で「みちのくの気配り」の見出しで、8ページも割いて、矢本町赤井を紹介してくれた。


町内にユニークな団体が登場

 朝市がキッカケとなって、ユニークな団体も登場した。「楽天クラブ」と称するソフトボール愛好者30数人のグループである。おでんや豚汁のバザーを出し、リーダーは朝市で子どもに人気の「100円ケーキ」を売る地区の洋菓子店主。朝市の販売ボランティアとして農産加工品や木工品の売り方を手伝い、クラブ旗の「必笑帰」(必ず笑って帰る)を掲げて、宣伝・呼び込みに声を枯らす。
 自営業(菓子店、寿司店、呉服店、自動車修理業、理容業)に、サラリーマン(学校長、銀行マン、運転手、記者、役場職員、自衛隊員など)と農家も加わり、古くから居住の活動家とドッキング。新しい行事の取り組みを容易にさせた価値ある集団。9月18日に行われた「第2回オール赤井みんなでソフト」では、実人員152人を集め、9時間のマラソン・ソフトに熱中した。同クラブが資金を出し運営する「主管事業形式」の行事は、若者たちのイベント指向に刺激を与えるに十分過ぎるほどの効果もあった。
 「緑を育てる会」もそのひとつ。先に掲げた「朝市広場植栽」は、「緑の復活運動」という大きなタイトルの中で実施した。「赤井は以前、緑豊かな田園地帯だった。急激な宅地造成で新しい町として活気付いたが、緑は失われた。緑を再生し、花を植え、精神的な、ゆとりある地域にしよう」という考えで運動基金も始めている。そんな矢先に、排水路の整備で生まれた住宅地内の幅員6メートル、全長約200メートルの空間を「ふれあいフラワー・ロード」として植栽、自主管理を手掛けたのが「育てる会」だ。夏にバーベキュー大会を開き、翌年の植栽費用捻出とともに、カラオケ等で住民のふれあいを演出している。


町の外れで満員になったコンサート

 今年7月2日、土曜日、夜、今春完成したばかりの赤井南小講堂で、超満員の1300人を集めたコンサートが開かれた。全国青年大会合唱の部で、2年連続最優秀賞に輝いた矢本コーラス愛好会の「音楽仲間の夏祭り」と称した音楽イベント。建国200年祭にわくオーストラリア遠征の演奏旅行壮行会を兼ねたものだった。ゲストには昨年度全国童謡歌唱コンクールで、グランプリを獲得した北九州市の「バナナ娘」(「とんでったバナナ」を歌った4人娘)を招き、“日本一競演”というコンサートの内容も良かったが、立錐の余地もない観客を集めたのは、「赤井人の底力」と自負している。
 何しろ矢本町に占める赤井の人口は2割。町のイベントは人口集積度の高い矢本町役場周辺の施設を使っている。「なぜ、赤井なの?町の外れでやらなくともいいのに…」と中心部の人たちから反発の声があったのも当然である。コーラスの常任指揮者は、役場職員。今春の異動で赤井公民館主査になったのも理由のひとつであったが、それ以上に地区の“仕掛け人”たちのアプローチが強かった。「赤井だと何かが起こりそうだ。赤井の協力意識にかけてみよう」と、同指揮者を決断させた。
 案の定、ブームが起きた。大人1000円の入場整理券は何と1600枚もさばけた。「若い人たちを応援しよう」と、楽天クラブが動けば、PTAや子供会育成会も協力体制を敷いた。“応援団”は大型の「武者絵あんどん」を4基製作し、場内外を明るく照らす演出の手伝いと車の誘導を買って出た。20代の若者コンサートを支えたハッピ姿の“中年・勝手連”たちの行動は、さわやかコンサートの余韻を増幅させるに十分だった。


赤井の里づくり構想を作り上げる

 「行動が早い。動き出したら止まらない」という“赤井パワー”への評価は、新しい協力集団の存在を無視しては語れない。5つの分館、「楽天クラブ」「交親会」「カッパさんグループ」「獅子舞愛好会」に、老人クラブ、子供会育成会等々。「オール赤井たこあげ大会」も、コミュニティ年忘れの会で「やろう」と話題が出て、3週間後の正月5日に実現している。55個のたこが約200人の手で大空に舞い上がり、大人も子ども同様に無邪気に遊んだ。年末年始は誰しもが忙しい。“お祭り男”たちの妻を大いに嘆かせたに違いない。
 朝市を起爆剤とした村おこし意識は「赤井の里づくり構想」の素案を作り上げた。地場産業振興と合わせ、自然と人が共存し、豊かな生活が営める地域を夢見て…である。
 町内3分の2の造園業者が赤井にいる。「緑化や花のことは、やっぱり赤井が1番」と、人々が集まる「植木の里」。ついでに回れる生鮮野菜産直マーケットや果物の「もぎ取り園」。都市に住む人が土と感触を楽しみながら収穫に胸を膨らます「ふるさと農園」。陶芸や木工に没頭できる「創作の広場」。宿泊施設を整えれば、なお、いい。農村集落排水対策や公共下水道の整備事業が進めば、定川にやがて清流が戻る。釣りやボート遊びと土手でのサイクリング。人と自然のふれあいイベントが年に1度にぎやかに…。そんな姿を頭に描いているが、決して不可能なことではない。
 「おらが古里赤井はひとつ」のテーマの下に、「新旧住民」「2つの小学校区」「世代」「男女」の壁が完全に取り除かれる時、夢は実現するものと、信じて疑わない。