「ふるさとづくり'89」掲載
奨励賞

ふるさと一乗谷に密着したまちづくり
福井県福井市 一乗観光フリーサービスクラブ
年1回夫婦で旅行を楽しむ会が

 「幼虫大きくなったね!」と妻。「うん、9月中旬には飼育場へ放流できるだろう」と私。カナカナセミがなく頃になると、クラブ仲間のどこの家でもこうした会話がくりかえされる。ホタルの幼虫を水盤から飼育場へ移し、変わった環境に順応するのを見きわめて、夫婦で旅行に出るのが恒例になっている。それが待ち遠しいのである。
 水盤でホタルの幼虫を飼育している7月上旬から9月までの間は全く目が離せない。水温は27度以下に保たねばならない。酸素を送るポンプは作動しているだろうか、餌の「カワニナ」の食べ残し、糞などで水が腐敗したり、水中の酸素が不足すると幼虫は死滅する。まさにホタルに明けホタルに暮れる毎日である。
 ホタルの人工飼育をはじめて10数年、不安と期待と焦燥、失敗と成功をくりかえしながら、ようやく飼育に一抹の光を見出し得た昨今である。
 私たちの住む安波賀町(旧一乗谷村)は福井市の中心部から東南へ約10キロメートル、足羽川と一乗谷川の合流地点にある戸数26戸の小さな集落である。一乗谷川をはさんで山峡に散在する7つの集落が旧一乗谷村であるが、この付近一帯には約400年前まで戦国の武将朝倉氏が、5代100年間にわたって権勢と栄華を極めた朝倉氏遺跡がある。長い間、静かに沈黙を保ってきたこの朝倉氏遺跡が昭和42年から発掘調査がはじまり、昭和46年には国の特別史跡に指定された。そして発掘が進むにつれ脚光を浴びるようになり、静かな山峡のムラも全国からの観光客で、にわかに活気づいてきた。
 朝倉氏遺跡を訪れる人々は日増しに多くなるが、バスの回数は少ない、JR越美北線の一乗谷駅から朝倉館までは徒歩で30分、佐々木小次郎が“燕返し”の秘法を修得したという一乗滝までは1時間余りかかる。
 私たちの桃花会は昭和28年に産声をあげた。機業、鮮魚商、教員、公務員、会社員等12名で、毎月10日に集会をもって友好をあたためる。そして年に1回夫婦で旅行をたのしむ親睦団体である。


自分たちで出来ることは何か

 桃花会の集会でも当然朝倉氏遺跡が話題になった。一乗谷を訪れる人たちに十分歴史の里を味わってもらうために何かやろう、自分たちが楽しむだけでは意味がない。駅に自転車を備え付けたらどうだろうかとの意見が出て、私たちがまずやれることはこれだと誰もが賛成した。
 そして、自転車を含めて私たちで実現可能と思われる事業を挙げてみた。
 1.自転車の無料貸し出し事業
 2.一乗谷川の清掃および草刈り
 3.一乗城登山道の草刈りおよび整備
 4.観光案内板の取り付け
 5.一乗谷の石仏を守る運動
 6.一乗谷のホタルを守る運動
 一乗谷にホタルを再現することについては「これは難しいぞ、他の事業はみんなが一致協力してやればできるが、ホタルだけは労力で解決つくものではないから…」と反対意見も出た。
 「けれど、ホタルが飛び交う山峡の里なんて幻想的ではないか、子供に夢とロマンのふるさとを残してやるためにもぜひ実現しよう」と決意も新たに、会の名称も一乗観光フリーサービスクラブと改めて規約に6つの事業を挙げて出発した。時に昭和50年3月であった。


好評を博する無料の貸し自転車

 まずJR一乗谷駅に無料貸し自転車を備え付けて、観光客の便をはかることから始めることにしたが、その自転車をどう入手するか、新品には手が出ない。思案の末考えついたのが遺失物の払い下げである。福井警察署と再三交渉の結果遺失物の中から80台を払い下げてもらった。ほとんどがオンボロである。毎晩、時には朝早くから油まみれになって部品の取り換え、故障個所の修理を行い、ようやく30台が使用可能になった。
 この自転車も雨ざらしの状態ではと、福井市と交渉して自転車置き場を設置してもらった。オープン式には大武福井市長をはじめ関係者一同が出席して、交通安全を祈願する神事を行った。管理人は置かないでもっぱら利用者のマナーに任せ、「旅の思い出」を綴るノートを備え付けた。
 無料貸し自転車はとくにヤングに人気があり、「2時間余り自転車を貸していただき、史跡のすみずみまで見て回ることができました。朝倉氏の偉大さに感激しました。東京一学生」。「寒い最中、駅に降りた時白い自転車をみてホッとしました。おかげでゆっくりとすばらしい史跡を見学できました。北九州大学3年生」。等々ノートにびっしりお礼のことばが書かれており、その年の10月には旧国鉄および小さな親切運動本部から表彰をうけ、昭和54年には利用者の便宜を考えてコインロッカーも備え付けた。
 この事業をはじめて14年、最初の中古自転車は故障するのも早い。けれど、このことを伝え聞いて福井市、ライオンズクラブ、積善会等から善意の新車の寄贈も得られた。時には、草むらに放置、福井駅への乗り捨て、2人乗りによるパンク等、保管、修繕と苦労も多いが、今日まで継続し得た充実感、満足感も大きい。今後も観光客の期待に応えて続けていきたい。
 やればやれる。自転車事業で自信を得た私たちは、一乗谷川の清掃、川岸の草刈り、一乗城山登山道の草刈りや整備に取りかかった。人々の暮らしと縁遠くなった川の汚れはひどい。春の雪解けを待って清掃作業を開始する。一乗城山への登山道は荒れ果てて背丈をこえる雑草。汗が目にしみる。しかし、これも継続してこそと、毎年たゆまぬ努力を続けている。
 一乗谷は、また石仏の里とも言われ、山麓のあちこちに散在する石仏は3000体とも言われる。下城戸の御堂には石仏6体が祀られているが、長い間風雨にさらされて御堂は荒れ果て、石仏も雨ざらしの状態になっている。これではあまりにもったいないと必要な資材を持ち寄り総員で改築した。新しい御堂に石仏を安置して花を供え、合掌しての帰路は足取りも軽かった。また、一乗城山登山道や朝倉氏の菩提寺西山光照寺等への通路に案内板も取り付けた。
 ここ、一乗谷に生を受ける者として、これだけはぜひやろうとみんなで確認しあった事業のほとんどは着手することができ、市民や行政関係にも認められてきた。


ホタル飼育に挑む

 最後に残ったのは、一乗谷のホタルを守る運動である。昭和30年頃まで一乗谷川に無数に飛び交っていたホタルも、農薬の散布、河川改修、家庭からの排水等による汚染のため壊滅状態になっていた。
 上流の河川工事は終了しそうにもない。人工飼育による方法はないが、ホタルの生態、飼育方法について全く無知な私たちである。けれど、もう1度この一乗谷をホタルの飛び交う里にしたい。自然の中で美しい光を放つホタルを知らない世代の子どもたちに、初夏の夜の情緒を味あわせたい。とにかく、手探りでもいい、みんなで力をあわせて「ホタルの里」を実現しようと確認しあった。
 そこで、ホタルとは一体何なのか、まずホタルを知ることからと、私たちは書店を回り、図書館を訪れ、関係文献により勉強会をはじめた。その結果、ホタルの一生がおぼろげながらわかってきた。6月中旬の約2週間、成虫になり光を放って飛び交う通称蛍の時期に交尾し産卵、約1か月後孵化、幼虫になり直ちに水中生活に入る。翌年4月下旬頃水中から陸に上がり、土のうを作って蛹になる。そして6月上旬頃成虫になって飛翔する。これがホタルの一生である。
 これらのことを確かめるため、どこか近県でホタルを飼育しているところはないのか、市関係課へ依頼し紹介してもらったのが、愛知県岡崎市の河合中学校である。この学校はホタルの人工飼育10年とその歴史は長い。さっそく、私たちは河合中学校を訪れた。時に昭和51年のことである。吉田先生を中心に学校をあげてホタルの飼育に取り組んでいる。先生から人工飼育についての指導を受け、さっそく全員がそれぞれの家庭で水盤飼育をはじめる。詳細な観察日誌をつけ、互いに交流研究をすることにした。
 まず、水ごけに産卵させ、1か月後孵化した幼虫を水盤で飼育する。水温、水質管理等わからないことが多い。幼虫はかなり死滅した。9月中旬に人工池をつくり、約300匹の幼虫を放流した。翌昭和52年6月10日、小雨そぼ降る夕、人工池の周辺を光を点滅させながらホタルが飛んでいるではないか。1匹また1匹、みんな大声をあげて50匹まで数えたが、あとはただうれし涙であった。
 大雨の日は水が濁る。日照りが続けば渇水になる。水路と人工池のパトロールと観察、石にくっついているホタルの餌であるカワニナ取り器も考案した。問題にぶつかれば河合中学校へ飛ぶ。全国各地のホタル生息地の観察もした。
 こうして、ホタルの生態究明、飼育方法の知識、経験を積んでいけば、必ずホタルの復活は可能との自信もついたので、市へ飼育場建設を要望、はじめは取り合ってもらえなかったが、くりかえし要望して建設してもらった。2年目には、飼育記録を持って河合中学校へ研修に行き、水管理、カワニナの生態等多くのことを学ぶことができた。
 9月下旬、数千匹の幼虫を飼育場へ放したが、翌昭和53年4月下旬の雨の夜、多くの幼虫が光を放ちながら上陸する光景を見ることができた。6月に大量発生は間違いない。長い長い1年であったが、ホタル飼育への自信をさらに深め得た喜びで、その夜はみんなで祝杯をあげた。


山峡のムラはホタル見学でゴッタ返した

 6月にはホタルの大量発生が予測できるので、多くの市民にホタルの飛び交う夏の夜の情景を満喫してもらうために、ホタル祭を開こうということになった。毎日曜日には舞台づくり、足羽川原に500台収容の駐車場整備に汗を流し、ようやく前日に準備完了。祭の当日は梅雨空も晴れ上がり、夕闇せまる頃から約3000人がおしかけた。市からは大武市長も参加、歌謡ショー等の後、大くす玉が割られると500匹余りのホタルが、光を点滅させながら飛び交う情景に、人々は幻想の世界に我を忘れたのである。
 日頃は静かなこの山峡のムラも、この日はホタルを求めて集まった人々でゴッタ返し、朝倉氏全盛時代を思わせるものがあった。
 このホタル祭、昭和55年の台風禍による中止の他は、毎年新趣向を取り入れて開催、今年は10回を数えたが、今や初夏の風物詩としてすっかり市民の間に定着している。
 昭和54年の大洪水後、毎年のように行われる上流河川工事による汚水のため、一乗谷川にはカワニナが少なくホタルの自然発生が少ないので、私たちの初期の目的を達成したとは言えない。
 昭和54年にホタル資料館、昭和62年にはカワニナが自然発生できる本格的な飼育場も建設していただき、ホタルの里としての環境は漸次整備されてきた。また10数年にわたるホタルおよびカワニナの生態究明により、人工飼育の自信もついてきた。さらに、一乗谷川が建設省の「ふるさとの川」に指定され、朝倉氏遺跡やホタルの里などの川沿いの風景を生かし、水や自然に親しめるように整備されるという。
 ふるさとの川整備が完了する昭和70年には、一乗谷川一杯にホタルの見事な乱舞が見られるよう、息の長い活動を続けるとともに、今後も、ふるさと一乗谷に密着したまちづくり運動に、当クラブの足跡を1歩1歩着実に残していきたいと思う。