「ふるさとづくり'89」掲載

子供たちを主役に広げる自然保護・三鷹村
東京都三鷹市 ほたるの里・三鷹村
「ここがふるさとだ」といえる自然を

 国立天文台(旧東京天文台)と調布飛行場の間にある湧水群と野川が地元の子供たちとともに活動している場所です。
 25年ほど前までこの一帯は、見わたす限りの水田や林、広々とした畑などが多く、小川に入ると真夏でも痛く感じるほど冷たい湧き水がどこにでもあり、自然のほかは何もない素晴らしい場所でした。しかし水田は水不足や下水の流入、畑や林は農家の事業の失敗などで次々と宅地に造成されていきました。
 生れ育った自然が目の前で壊されていったとき子供心にくやしくて涙が出ましたが、時代の流れを誰も止めることが出来なかったのです。自然に対する感性は、ものごころついてから中学生くらいまでの間に磨かれるといわれていますので、わずかに残された自然を今の子供達とともに体験しながら保護保全をし、自然を愛する大人に育てていきたいと思います。自然のまっただ中で遊び回ったいろいろな体験は、終生忘れることができないほど素晴らしいことです。活字や言葉で自然観察とか自然保護とかがはやっているようですが、子供たち自身に準備から成功するまでの生臭さを体験させなければ受験・受験で閉じこもりがちな心を熱いような、ふるえるような、大きな声で叫びたいような大成功の嬉しさ・感動を体験させることはできないと思うのです。熱心に活動している中学生が大人になり、子供が生まれ、さらに人生をふりかえるようになった時、「ここがふるさとだ」と言えるような自然とそれに取り組んだ心意気・やり遂げたすばらしさを心に刻んでおいてほしいのです。
「点」としての目標は、各湧水源にゲンジボタルを自然発生させること。「線」としてはこの湧水が流れ込む川の源流から下流までが一体となって清流化をめざすサケの孵化飼育放流回帰。「面」として雨水地下水浸透・国分寺崖線保護・親水河川など土と緑そして水を保全する地域ぐるみの自然保護です。


冬はサケ、夏はホタル

 5回目のサケ(鮭)飼育の準備を始めるのと同時に、道路に流れ出ている湧水の使用許可を市役所より頂き、水源よりゴムホースで水槽に導き、通学する中学生が観祭できるように野外で展示飼育をしたところ、すぐに反応があり、15人が一緒に世話をしたいと申し出ました。さっそく、サケに関する学習会を開き、飼育が始まりました。道端にある水槽には、人だかりが絶えず「すぐに壊されてしまうよ」という意見が多い中でいたずらする子供はいませんでした。6センチ前後に育ち、海に行きたいという紋が出てきましたので、調布の多摩川までみんなで持っていき放流することができました。
 62年2月は、6校がサケの放流に参加しましたが、「川をきれいにしよう」と子供たちに説明しても、初めて多摩川に来た子供や川遊びをしたことのない子供にとって、多摩川は広すぎて大きすぎて頭に入り切らない様子でした。子供たちには地元で見慣れている自然を工夫して体験させなければ大人の自己満足に終わってしまうことを痛感しました。
 以後3ヵ月間、湧水源や野川流域を目を皿のようにして歩き回り、サケの放流やホタルの発生は可能であるとの結論に達しました。
 積極的な中学生の拠点となるよう湧水源の1つに池を作ることになりツルハシやシャベル、クワを使って掘り始めましたが、ものの5分で手はマメだらけ、腰はふらふら、身体が大きいだけの中学生です。何もかも初めての体験なので四苦八苦。見るに見かねた市役所からの応援で4つの池に音をたてて冷たい湧水が流れ込み、水草を植えて手作りの池ができあがりました。30人に増えた中学生の大歓声の中、冬はサケ、夏はホタルをやってみようと発表し、水量・水温・気温・生物を記録することを話し合い、掲示板を設置して地域の人達にも「お知らせ」することを始めました。


砂金!砂金!

 サワガニ・カワニナを見つけたのが始まりでカワゲラ・モンカゲロウ・へビトンボ・種々のヤゴなど次々と発見して行きました。雨が少なく枯れてしまう湧水源が多い中、ワサビ田跡のこの池では、水量が豊かです。環境に少し手を加えてあげると生物の種類や数がどんどん増えていきます。
 しばらくして石に見かけぬ藻を発見しましたが図鑑に頼る程度の知識では、発見のたびに大慌てです。国立科学博物館の田中次郎先生に現物標本の鑑定依頼をお願いしましたところ『アオカワモズク』の一種で平野の湧泉に出現するが都内ではほとんど見られない。「環境を保存せよ」との返事を頂き一同心を強くしました。
 湧水は、ハケ(国分寺崖線)の崖下か池の底から湧き出ていますが、水とともにキラキラ金色に輝くものを見つけ、見渡すとまわりにもたくさんあるのです。思わず「砂金だ」と叫びフィルムケースに取り、観察しました。見れば見るほど砂金だという意見が多く、国立科学博物館に迷惑を承知で、またお願いしました。加藤昭先生から待ち遠しい返事を頂き読み始めますと、茨城県久慈郡にゴールド・ラッシュで盛り上がりそうな「金砂郷村」と言う村がありますが、黒雲母のやや風化したもので、この村のものと同様「金」ではありませんとのことでした。知識の無さに情けないやら恥ずかしいやら。しかし、小さなものを鋭く観察する習慣が育ちつつあり、これが「砂金」だったのかもしれません。


小・中学校へ協力働きかける

 62年9月、野川流域にある小・中学校を地図を見ながら訪ね、「サケを飼育し、放流することにより、子供たちの関心をまず川に向け、流域全体で清流化していきましょう」と説明に歩き始めました。いろいろな学校があって熱心に話を聞く校長先生は少なく「魚屋がサケを売りに来た」どか、「素晴らしい話ですが一式いくらか」と商売でやっているようにも思われたようです。悔しさを置いて国分寺、小金井、府中、三鷹、調布、狛江を歩き回り二23の学校や施設が参茄することになりました。
(サケ飼育一式)がわかる手製のパンフレットを作り、先生に対する説明会を各学校や教育委員会で開きました。11月になると、水路改修・孵化器・飼育生簀を費用がかからないように皆の智恵を絞って少しずつ作っていきました。今年は20,000粒を孵化飼育することに決めていましたが、参加校が多く不足しそうなので5,000粒を追加しました。
 12月8日サケの卵(発眼卵)が到着。孵化から取り組む学校と、稚魚から取り組む学校がありますのでテキパキと仕分けをして16ヵ所に配達に回りました。準備完了の確認をしたのに、まだ準備をしていない所もあり、設置したり、水を入れたりして、まる一日かかりました。先生も初めての体験なので「質問の電話」がかかりどうしでした。中学生たちは、3度目ですので孵化器や生簀を流れのなかにテキパキと設置し、自然に遡上したサケが卵を生みそうな場所にもばらまいてみました。水温は年中16度ですから朝早く観察に行きますと一面に「あさもや」がたちこめて幻想的です。数日後ビールのような細かい泡が浮き始め、孵化が始まりました。
 サケの稚魚は、卵黄があるので餌はしばらく食べません。餌の小袋詰めなどの作業と配布を終え、一般市民の方にも飼育放流に参茄していただこうど市役所庭での配布を決め、1月10日、稚魚の一部を餌と育て方のパンフレットをつけて配りました。
 200人を越える人達が容器を持って集まりましたが、「おどり食いにするのか」とか「どの位まで育てたら食べられるか」と中学生を困らせた人もいました。しばらくしてサケを放流する野川の掃除が始まりました。お菓子の袋、缶、瓶、自転車、バイクなどあらゆるものが捨ててあり、何度も何度も捨い続け、やっと奇麗になりました。
 大人たちは、野川に放流することについて2つの疑問を感じました。「1つ」は、野川下流のドブのような水でサケが生き延びることができるのか。これは、「東京にサケを呼ぶ会」の小川さんに実験を依頼し元気に育つという結論を頂き解決。「2つ目」は、多摩川との合流点に建設省の浄化堰があり、魚道はありますが浄化施設への流入口ヘサケの椎魚が飲み込まれてしまうのではないかという心配でした。京浜工事事務所を訪ね流域の子供たちの事を話しますと「出来るかぎりの応援をしましょう」と快い返事を頂き、放流に合わせてダムを下げ、流入口には、2重に網をして頂ける事になりました。
 2月13日、上流の国分寺、小金井の学校で放流開始。大きなサケの群れにするための時間差放流です。2月14日いよいよ放流です。中学生たちの期待や不安の混じった顔が揃いました。はたして何人が放流に来てくれるだろうか。放流時間が迫るのに寒さのため出足が遅い。3人5人と人が増え、とうとう狭い野川の川原いっぱいになってしまいました。
 600人を越える人が放流に参加し、24団体がそれぞれ近くの野川に放流しました。大成功です。行政区画でこま切れになった自然ですが川の流れは1つなのです。それは遙か世界の海へと続いています。放流式が終わったとき子供たちは、みな輝いていました。


地元のホタル「大沢ボタル」

 休む間もなく、水路周辺を整備し、昨年より飼育しているホタルの餌となるカワニナの生育状況を観察したり、日光が良くさしこむように枝を切ったり、柵を作ったり、中学生は、実に良く働きました。
 ホタルは、1年のうち320日、水中・地中で過ごしますので、発生させるまでの地道な世話が太変です。昨年秋、高崎の愛好家より頂いた幼虫を水槽で育てています。「ホタル」の印象からは想像もつきませんが暗いところや石の下が好きなので育ち具合を見ることもできません。幼虫が食べることができる大きさのカワニナを入れ続け水替えをかかさずにします。難しさはありませんが、とにかく忍耐が必要です。
 観察を続けていますと3月9日頃から、春の兆しを感じたカワニナを含めた生物たちの動きが盛んになり始めました。水路周辺を歩き回って土を固めてしまうと幼虫が上陸できませんので、子供たちに良く説明をしたあと3センチほどに育ったホタルの幼虫を1匹ずつ手波し水路に放流しました。全部で62匹。コンクリートの平板を置き、観察する時は、この上を歩き地面に降りてはならない事を申し合わせました。
 4月の雨の降る夜に光りを明滅させながら上陸するはずですが今年の天気は変です。不運にも、4月7日夜から8日、雨のあと何と、雪が降ってしまいました。凍えてしまったか、いやホタルはそんなに弱いものではない。自問自答しながら1か月が過ぎ、5月17日から待ち切れず、毎晩水路に行ってみました。
 雨に濡れる木の葉、烏の糞、ガラス片など見るもの総てホタルの光りに見え、町なかのホテルもホタルに見えてしまうに至っては、正にホタル病です。15日間通ってもホタルは出ませんでしたが、6月に入り4日目。ホタルが飛びました。何という美しさでしょうか、立ちすくんでしまいました。
 さっそく中学生に電話して「暗くて狭い場所なので他の人には話をしないように」と念を押しました。1時間ほどして水路に行ってみますと、「話をしないように」までが話について次々と電話連絡が飛び交っているようです。大勢の人たちがホタルを見に詰めかけていました。
 もう止めることはできません。中学生たちが誰からともなく水路周辺に立ち説明や注意をはじめました。毎晩50人から80人の地域の皆さんがホタル見物に来られ、中学生が毎晩待機をしました。少し離れた水路を見に行った中学生がホタルがいると報告に来ましたが冗談だろうと取り合わずに居たところ、仲間を連れて再び見てきたと言うので、重い腰を上げて行って見ました。
 放流した水路に比べ、かなり多くの数がいて乱舞していました。人知れず生き続けてきた昔からの「大沢ボタル」なのです。「素晴らしい、こんなに嬉しいことはありません」。これには、大人のほうが大喜びでした。
 7月になると、ホタルの明滅もなくなり、名残り借しそうに見物に来る人が1人2人いてそのなかのお婆さんが手を合わせて拝んで行きました。来年もホタルがでるよう皆でガンバロウ。2,3年後には、人の手を加えるのをやめ自然に発生できるようにしたいと考えています。「大沢ボタル」の採卵に成功しましたので地元産のホタルを殖やして定着させたいと思います。水辺には、いろいろなトンボが飛び、つい先日、モノサシトンボを確認しました。
 サケの放流時に、成長が遅れていた20匹ほどを水路で育ててきましたが元気に育ち、20センチほどになりました。25センチをこえれば新記録になるはずです。
 さあ9月の半ばになりました。サケの準備が始まります。冬はサケ。夏はホタル。秋には鳴く虫を取り入れ、子供たちを主役に地域ぐるみの自然保護をこのような方法で広げて行こうとしている、村民70人ほどのちいさな『ほたるの里・三鷹村』です。