「ふるさとづくり'90」掲載

女の力で福祉バスを走らす
長野県中条村 中条村を考える女の会
村の概況

 私たちの村は、30万都市大長野市の西隣りで、車で約30分の距離にありながら過疎地域の指定を受けている村である。村の北端には、標高1378メートルの山がそびえ、その山麓はいく筋もの尾根や沢が南北にはしり、起伏に富んだ地形をつくっている。自然に恵まれ牧歌的雰囲気もある。
 しかしその反面、高度差400メートルの急傾斜は、重労働の農業を強いるものであり、点在する人家は、隣家同志といっても距離があり、交通、交流等、生活には想像しにくい不便さがある。バス停まで30分から40分の家もあるが、そのバスも、過疎化赤字路線のため2路線の運行から村内巡回の1路線に縮少され、近い将来廃止もやむをえない情況となってきた。その上長野県の高齢化は全国にさきがけ、10年すすみ、当村では全国平均より20年すすむ高齢化の村である。


「女の会」の発足

 生活設計セミナーが開設された。女性が自分の過去の生活を反省し、現在をみつめ、未来を描く学習を通して県内外の婦人問題も学んだ。女性も時代に流されて生きるのでなく、自分が目覚めるための活動が必要と気づいた。「まず行動を」と、参加メンバーは少人数であったが不安と期待で集った。
 話題の中心は、婦人に関わる問題が山積しているので、政策の場に女性をということ。夢は走るが男性社会の壁は厚く厳しい。まず毎日のくらしの中の疑問、不安、不便、暗くする要因は何か等と、地域の話題をあげてみた。
 そして女の願いをはきだした夜「中条村を考える女の会」が誕生。昭和62年4月15日、花だよりの季節に9名のメンバーで、会は芽吹いたのである。


「足の確保」をテーマに据えるまで

 まず女の願い17項目を、健康、福祉、生活、環境に整理する。いずれも大きな課題であるが身近な重要課題である、丁度村議会議員選挙が告示されており、良い機会なので公開質問状で意見を求めることになった。その結果は、選挙の忙しい最中だが協力的で、15名12名の回答が得られ、意見や抱負、そして励ましの言葉を頂くことができた。公開質問状は原文のまま公表することに決め、1部14ページを500部作成、ひとりでも多くの住民の目に触れるように他団体等に協力を求め、婦人会、青年会、食改、商工会、ボランティアの会、役場、議員、診療所、民生委員に配布をした。思いの他村の反響は大きく「よくやった」「女のくせに大それたことを」「どんな連中だ」と、話題は村中に広がる。
 そこで、私達の会では何ができるか、声なき声をひろってみる。運転免許証をもつ青壮年層は日中村内外の企業へ務め、残るは高齢者のみ。医者に通院するにも不便、買物は週2回の購販車に頼り、村内で開催される催しものや研修会にも自由に参加できないのが現状で、そのための足を確保することが緊急課題としてクローズアップされてきた。テーマは「福祉タクシーの設置」と決定した。


福祉タクシーの実現まで

 この問題について村議の質問状の意見をみると、積極的に取り組む7名、5名は困難。その理由は、営業防害が、陸運局の許可が、村の財政がと指摘している。近隣市町村や県内実態を調べたが良い事例がない。この難問をどう目指すか、行政や村議と対話しても力不足である。他団体に協力を求めることにした。
 第1回目の呼びかけに賛同した団体は、婦人会、老人会、青年会、ひとりぐらしの会、女の会の5団体であった。主な話題は、ボランティアで運転を申し出てるが、事故保障のこともあってか利用者が少ないこと。午後1時の会合でも朝7時のバスに来って来る等々から、もっと広範囲に呼びかけが必要となる。
 第2回目の会合には、10団体が出席した。社協、ボランティアの会、身障者の会、傷痍軍人会、食改と5団体が新たに加わって、実現するための会を結成し、請願書の署名運動をしていくことが決まる。村内でも比較的交通の便が良い地区の住民も、積極的に運動に参加し、住民の声を行政に反映し、官民一体で考えることが急務であることを確認し、参加者一同意識統一を計った。
 第3回目の会合では、更に輪が広がって、手をつなぐ親の会、母子寡婦福祉協会、遺族会と3団体が加わって12団体と社協で「足を確保する会」が結成された。
 「総括は誰に」の司会者の問いかけに、「いちばん大きな会の婦人会に」「長老の老人会で」の発言があったが、人生経験豊かな老人会の副会長から「私はこの村に生まれて78年になるが、ひとつのことを村中の人で考えることは始めてだ、これこそ村の活性化だと思う、会は小さくてもこれまで盛り上げた女の会が責任者になるのは当然ではないかね」と強調され、総括は女の会で担当することになる。実践活動を通じながら古い慣習は徐々に打破されてくことを実感した。
 そして署名の主旨作成は青年会が担当、署名用紙は1枚で10名署名できる用紙を300枚印刷し発起人に送付する。正月気分も抜けない1月中旬のことだったが、戸別訪問するには良い時期であって、ひとりぐらしの老人は、一人ひとり50名の会員を訪ねて、悩みを聞いたと言う。また「社会参加について」の研修会を開催。過疎と高齢化の村の現状を話し合い、足の確保について請願書の署名運動の協力を呼びかけた。殆んどの人がバスの必要性を望んでいて、請願書に署名することが即ち社会参加の一歩だと認識してくれ、多数の賛同を得ることができた。
 多くの関係者の協力があって、1938名の署名が集まった、人口3670名であるから約53パーセントの住民が1ヵ月間で署名したことになる。村議から紹介議員2名の同意を得て、議長、村長あてに「私達の足を確保するため」の請願書2部が提出できた。
 これまで円滑に進行したわけでない、深夜起こされ電話で叱られたり、集会でいやみを言われた会員もいる。「女になにができるか」「わんだれでしゃばるな」「請願を取り消して陳情にしろ」とか、また女性からの攻撃もあって精神的にもかなり苦痛があった。嘆いたり、落胆したが、お互いに慰め合ったり励まし合って仲間の絆は強くなっていった。しかし批判だけでなく「いいことをしてくれた、頑張って」とか、青年会は、母ちゃん達に負けてられないとイベントを計画する等、励みと自信につながった。
 請願書を提出してから暫くして、定例議会が開かれていた、議会の総務委員会を傍聴するよう会の代表に要請があって、指定日に2名出席した。委員会の主な内容は、請願の主旨に基づき、法的規制の問題、バス運行2路線との関係、署名文章等が検討されていた。休けい時間に意見が求められたので、
@車の必要性については、地形から見てバス停まで30分から40分かかり不便である。
A実現することを前提に、バスの通らない道路を研究して、路線の検討をしてほしい。
B請願書の内容について議員から不満の声もあるが、文章不備の指摘でなく、もっと広い視野に立って、約2000名の切実な村民の声を尊重して、法律に基づいて陸運局の指導を仰ぎ、先進地視察等をして、速急な実現を図るために血のにじむ思いで努力して欲しい。と私たちは総務委員会に強く要求した。
 また、定例議会では足の確保について一般質問があって、村長から慎重に努力している旨が答弁されていた。行政としても避けて通れぬ道だが難行していることが伺えた。
 請願書を提出してから1年が経過した、その間「首長と語る会」を開催したり、また、婦人の窓口とも対話を重ねてきた。平成元年6月26日、念願であった「福祉バス」が運行のはこびとなった。女の会の代表も「発車式」に招かれて参列、「女衆も大したもんだ」の声の中で式は終わったとか。
 福祉タクシーは村が社協に委託し、社協は隣り村の観光タクシー会社に委託契約をして運行となった。実現まで世論は賛否両論あったが、女性の力で福祉バスを走らすことは小さな村の大きな出来ごととなった。


福祉バス実現後

 念願の福祉バスは、高齢者と弱者を対象に運行されて3ヵ月を経過した。村内5路線を走るが、1路線週1回、1日3回の運行で、今までバス路線に恵まれない地域を走る。生まれて始めて家の近くをバスが通過するので、診療所に通院の利用者からは「長生きしてよかったー」と感謝の言葉がとどけられ、9人乗りのバスはいつも満席と聞く。
 今年9月のニュースで、長野県の交通問題懇話会が長野市で開かれたことが報じられた。過疎地域の交通機関の確保は、福祉対策も含め、総合的な社会問題として検討すべきと、対応策が要求されていた。
 私達の活動も一服の清涼剤になったのではと過大評価したい心境である。


終りに

 高齢化地域の特徴のひとつには、事なかれ主義の傾向があり、目立つ行動をすると批判の的となる。あの手この手でつぶそうと走る。地域の人びとの無意識な悪慣習のようである。女の会は、全く行政と離れた自主グループであるが、言っても通らなかったムードから、やれば出来るというムード作りの先導をした。広く他団体と手をつなぎ、地域に密着した適切な課題が選択できたことが、効を成したと言える。
 いづれにしてもやる気のある女性が五徳の足だけ揃ったら、すごい力が発揮できることを感じている。
 今また、「学校給食に村内産の無農薬野菜を利用しよう」の新しい課題に向かって燃えているところである。