「ふるさとづくり'90」掲載

遠州横須賀ルネッサンス運動
静岡県大須賀町 遠州横須賀倶楽部
遠州横須賀ルネッサンス運動・主旨

 昭和62年9月、若手商業後継者を中心としてスタートした遠州横須賀倶楽部は現在部員数52人。「遠州横須賀ルネッサンス運動」というふるさとづくりへの運動を実行する部隊として作ったグループである。運動は以下に掲げられた5項目を目標に推進されている。

@遠州横須賀の城下町として栄えた文化と産業を掘り起こし、再興すること。
A遠州横須賀の古き良き伝統を守るとともに、商いを通じて新たなる歴史を創造すること。
Bふるさと遠州横須賀を探究し、心の豊かさや人間らしさを追求すること。
C遠州横須賀人としての誇りを高揚するとともに、地域住民の連帯を深めること。
D遠州横須賀ルネッサンスを通じて、地域経済の発展を考えること。


遠州横須賀ルネッサンス運動の発端

 ふるさとづくりというと、純粋な活動という印象があるが、大須賀町の場合、当初は商業振興的な側面が強かった。スローガンからもそのことは見てとれるだろう。遠州横須賀倶楽部は、昭和60年に官民合体で結成された調査組織「商業環境整備計画策定委員会」が母体となっている。近隣市町への大型店舗進出をはじめとする商業環境の激変に対応するための研究組織である。この組織での2年間は、先進地視察や町の将来を討論することに費やされた。その結果、商業が活性化するには、ひとり商業者のみががんばってもだめだという結論がみえてきた。町全体の底上げがあって、はじめて商業も活発化するのだという気運がこの時生まれ、「遠州横須賀ルネッサンス運動」と銘打たれた、ふるさとづくりの基本方針が固まっていった。
 そんな中で、そうした理念を形にするための実行部隊が欲しい、ということになり、視察したパロディ共和国にヒントを得て、かつて町及びその周辺の中心だった遠州横須賀藩を再建するように町おこしをしよう、と「遠州横須賀倶楽部」が誕生したのである。当初の構成員は、若手商業後継者主体の「策定委員会」のメンバーに加え、趣旨に賛同してくれた農家の人やサラリーマンを含めた40人だった。
 先進地はいずれも「自分の土地らしさ」を出して成功していることと、「本物」を提供している所だけが生き残っていることに着目し、基本方針の根底に「大須賀らしさ」と「本物へのこだわり」を置いた。城下町としての歴史と、その歴史が育んだ人情と昔ながらの商法などを掘り起こすことを起点に、新しい価値観を創りだしていこうとの願いも込めて、運動名を「ルネッサンス運動」としたわけだ。また、真面目一辺倒のふるさとづくりをすることで、息切れしたり、視野が挟くなったりしないように「遊び心」という要素も常に意識することとした。そのひとつの証明が役職名である。代表を城代家老とし、それぞれの係を奉行や与力、同心といった名で表したり、オモシロ名刺を使って倶楽部をPRしていった。このちょっとした工夫が、後々マスコミなどで倶楽部がとりあげられた時、必ずアクセントとなった。


運動のスタートは、足元の確認から

 「大須賀らしさ」を前面に押し出すことが、ふるさとづくりの最善の道である、という一種の哲学が先行して運動を進める事が決まった。では、「大須賀らしさ」とはなにか? こう問われて皆一様に驚いた。よくよく考えると、だれもが自分の町について確固たる知識を持っていなかったからだ。しかし、この点をクリアーせずしてふるさとづくりは一歩も前へ進めない。
 そこで、倶楽部が行う第一の事業は、「遠州横須賀観歩記(みてあるき)」と題された半日歴史散策会からスタートすることとなった。これは、町の歴史家を先導に、自分たちの足元を再確認するための勉強会である。ここでのひと工夫は、この散策会の参加を一般にも呼びかけた点。散策会を通じ、自分たちの町がいかに豊かな歴史を有しているか、発展の可能性に富んでいるかを再認識すると同時に、その美点を、散策会の仕上げの郷土料理とともにPRできるからだ。この事業は、原則として偶数月の第4日曜日に開催されている。


遠州横須賀倶楽部の活動

 倶楽部の活動のもう一方の雄は、「遠州横須賀三社市」である。原則として寄数月第4日曜に開催されるフリー・マーケット制の朝市で、会場である三熊野神社で、応仁年間に開かれていたという歴史的背景を持つ。午前6時から準備され7時開催、だいたい10時くらいまでに平均30の店が並ぶ。婦人や農協のうどんや野菜、有志の手づくり服や古本などなかなかバラエティに富んだ出店がある。地元産品の良さをアピールする場で、ガレージ・セール的な側面もあり、物を大切にするとか、日曜の朝は早起きして時間を有効に使ってほしいという、生活提案も含ませたつもりである。倶楽部自身も、遊び心を形にした町のPRグッズを売ったりしている。一周年以降は、市毎にテーマを設けて新味を出す工夫も加えた。いわく、子供用品中心の「子供座」、夏休みに田舎の良さを認識してほしいと願って昆虫を集めた「むしむし市」、秋の夜長対策としての「座・ふるほん」などである。
 以上の2本の定期イベントを中心に、以降、遠州横須賀倶楽部はあらゆるふるさとづくりの機会に、主催や共催の形で参画していった。旅行関係のジャーナリストで構成する「日本旅のペンクラブ」や静岡大学教授らを招いての「生かせ、地域の資源をシンポジウム」などの研修・交流の推進、協力。観光協会や凧愛好会、農協などの各種団体と友好町(岐阜県岩村町・春野町・引佐町・森町)との連携。むらおこし事業実行委員会へのスタッフ参加などがある。
 このうち、凧愛好会が身内で開催していた「遠州横須賀凧揚げ大会」は、倶楽部のバックアップ(後、愛好会が入部したため主催となる)で毎年2月の第1日曜日に、東海地方の凧が一堂に会したイベントとして定着しつつある。また、倶楽部員が中心として交流をしていた岐阜県岩村町とは、今年11月3日、正式に行政(大須賀町)が「ゆかりの郷(さと)」協定を調印するに及んだ。倶楽部の活動の輪が次第に広がりをみせつつあるようだ。
 これらの活動は、会員の会費が主財源。加入金がひとり1万円で、会費は月2000円。これに町PR用のオリジナル商品販売などの事業収入ほかをもって運営している。町当局からの補助は一切受けていない。補助による倶楽部活動の機動性が失われるのを恐れての事だ。部員相互の意志疎通の場として、イベントの前後や月例による会合「寄り合い」を年10〜15回開催している。年間の3分の1以上は、なんらかの形でふるさとづくり活動に費やしている勘定になる。


遠州横須賀倶楽部効果

 前述の事も含み、遠州横須賀倶楽部の活動を通じて、ふるさとづくりに与えた影響を列挙すると以下の点が挙げられる。

@マスコミに注目され、町の知名度がUPした。
A三社市などを通じ、行政や農協、婦人団体などの各種団体、企業との連携が生まれた。
B町や企業、学校の施策やイベントが運動と同調しだした(例:進出信用金庫が和風店舗建設。観光看板レト口調に。県立横須賀高校生徒による「大名行列」が文化祭で実現など)。
C近隣市町や各地の文化団体との交流が深まった(例:静岡丸子路会・岐阜県岩村町など)。
D多方面の知識人、文化人との交流機会が増大した。
E活動を町出身の人材(大学教授や弁護士など)が御意見番や部員としてバックアップ。また、隣町からの入部という例も出るなど、人の交流に新しい風潮が起きつつある。
Fふるさとづくり活動で得たノウハウを、部員個々が自らの商いに反映させたり、「大須賀町物産展(町の名産品の販売団体)」や「大須賀花の会」「大須賀町国際交流協会」などの自治振興団体発足のきっかけとなった。


遠州横須賀ルネッサンスの課題

 これらの活動を支えているのは、紛れもなく倶楽部員個々の「町を愛する気持ち」である。もともとは、主に経済事情から消えていこうとした「頑固なまでの昔ながらの伝統技術」の保護育成を主眼に発足したため、倶楽部員には町への愛着があった。この郷土愛を基礎に、内発的に生じた危機感からふるさとづくりへの哲学を先行させて倶楽部が発足。その活動に共鳴して次第に活動の輪が広がった。ここまでは、ふるさとづくりのセオリーにマツチしている。今後の課題は、特にふるさとづくり推進派でないより多くの人に、いかに「ルネッサンス運動」を浸透させていくか、である。
 そのためには、第一にこれまでの活動をより充実させていくこと、女性や賛助会員(藩士と呼ぶ)の募集による新しい視点を獲得すること、活動の拠点づくりなどが課題として挙げられる。
 遠州横須賀倶楽部は、これからがスパート時だと思う。