「ふるさとづくり'91」掲載
<集団の部>ふるさとづくり大賞

レポート「清見潟大学塾」
静岡県 清見潟大学塾
100人の高齢者がピアノを習っている町

 清水市の清見潟大学塾は今6年目に入った。高齢者を中心に、およそ900人が52講座でそれぞれ月1回ないし2回の勉強をしている。中でも100人を越す50歳以上の人びとが、7人の若い先生による9講座でピアノを習っているのは圧巻である。古事記などを学習しているグループも100人を越す。すでにしてひとつの文化の流れを作っているといってもいい。


究極の福祉は安上がり

 清見潟大学塾は清水市の「高齢者教育促進会議」の中で民間委員の提案に基づく構想が具体化したものである。
 科学文明の発達にともない、社会は高齢化、都市化、核家族化、等急速に変化しており、この中で高齢者が確かな存在感に浸りながら、最後まで生きがいに満ちて生き生きと暮らしができることは究極の福祉であり、最も安上がりな福祉行政である。
「とことん健康に生きて、少し臥せって、あっさり死ぬ」というのが、個人にとっても家族にとっても、また社会にとっても最もハッピーな「死に様」、言い替えれば「生き様」ではないだろうか。


生涯学習と人間ネットワーク

 その手段のひとつとして、高齢者が望む限りその知識欲に応え、趣味の研鑽が続けられる生涯学習のシステムと、人と人とをつなぐネットワークをつくることの必要性が認識された。
 そして、それは民間活力と市場原理の導入、ボランティアの心への訴えという方法論に発展し、会場の提供、広報、事務は行政側が行い、運営はすべて教授や塾生の自主運営に委ねるという清見潟大学塾の原形が出来上がった。


教授も公募、誰でもなれる

 学ぶ生きがいというが教える生きがいもある筈で、そういう場を提供することも大きな意義がある。そこで教授も公募とした。
 教授の資格にも科目にも何の制限もない。ひとつひとつの講座がそれぞれその教授のパーソナリティを中心とした塾であり教授はその塾の経営者なのである。それを統轄したものが清見潟大学塾となる。


市場原理の経営原則

 こうして市の広報で毎年塾生の募集を行う。応募者がなければその講座は成立しない。
 受講料はそのまま教授の謝金となる。人気のある講座を経営できればお小遣いも多くなるが不人気だと消滅してしまう。
 しかし、ここでは人数や謝金の額だけが価値基準ではない。自らの生涯学習の手段として僅かな弟子達と楽しく勉強することも出来るのである。
 こうして塾生に信任されること、それが教授の唯一の資格条件となる。厳しいといえば厳しいことである。


無予算で出来た清見潟大学塾の急成長

 清見潟大学塾は欧米のように9月に始まる。年度といわずに回度という。
 第一回度では12講座、塾生は100人ちょっとであったが、年々急成長して今、書き出しのような規模となった。
 会場は市内10の公民館等を利用しているが来年は1,000人を越すだろう。社会教育の量という切口から見れば新たに公民館がひとつかふたつ出来たのに等しい。
 それが建物を増やすでもなく職員を増やすでもなく実現してしまって尚、誰もが損をしたと思っていない所がこのシステムの特長である。このシステムが教授や塾生の意識を活性化し、市民の学習意欲を掘り起こした結果であるといっても許して頂けるだろう。
 高齢者を対象としてはいるが、高齢期への対応は若いときからの生きざまの延長であるという考えから、年齢制限もないし地域の制限もない。


教授もいろいろ

 教授もいろいろである。ピアノ講座を最初に創ったのは若い独身のピアノ教師、身内のおばあさんにビアノを教えたらボケのきざしが直ったので、他のお年寄りにもそういう機会をつくってあげたいと思ったという。
 定年後に趣味を生かしたいという人は勿論、現職の銀行の専務、ガス会社の支店長、高校や中学の教師なども余暇を利用して、新しい自分を見つけたいと応募した。「教授」をやることが自分自身の生涯学習なのだ。教授は現在40人20代から70代におよぶ。
 教授と塾生をかけもちしているひとも何人かいる。あるほんものの大学教授は、退官後に教授に応募したが塾生が集まらなかったのであっさり塾生に転向した。


日常的な世代間交流

 若い教授を中心に高齢者が先生、先生と和やかな集団をつくっている講座もあれば、高齢の師匠に若い弟子達が私淑している所もある。世代間交流が日常的にごく自然に行われているのもほほえましい。これは一過性の公民館講座や契約に基づく商業的なカルチャーセンターなどでは育ち難い人間関係であろう。
 こうして形成された塾仲間のネットワークが、高齢者の人生を支えている部分も見逃せない。月1回の講座に備えて健康に注意し、楽しみにしている高齢者の姿など感動的でさえある。


なんと神野明無料ピアノリサイクル

 つい最近、大変なニュースが飛び込んだ。ピアノ講座を持っている教授が著名なピアニスト神野明氏(東京芸大講師)に清見潟大学塾の話をしたそうである。先生は「高齢者ばかり100人以上もピアノを習っている町なんて間いたことがない」と大層感動されたそうである。「私も母にピアノを教えてやればよかった。ひとはだ脱ごうか」ということになって、トントントンと来年4月18日、神野先生によるリサイタルが決ってしまった。
 私達はこれを公開講座として、市民会館の余席を広く市民に開放することにした。こうして人びとの生活の中に音楽が根を張ってゆくことは、立派な音楽堂を造ることにも劣らない文化を育てる確かな力になるに違いないと思っている。


「あそびごころ」の「大学ごっこ」

 ここのモットーは「あそびごころ」、好奇心とあそびごころ、そして挑戦、これが清見潟大学塾のコンセプトである。
 そのシンボルとして、終了単位の数によって尤もらしく清見潟大学塾学士、修士、博士などの称号を与える。「大学ごっこ」とでもいおうか。
 終了証書は往復はがき大、半分にはこの一年の身近な出来事と世界と日本の出来事がイラストになっている。絵いりの証書も破天荒だが、額にいれるのではなくて、アルバムに貼って自分の一年と歴史の一年を重ね合わせて、一年を大事に生きようという趣向である。


大学塾賞はハンチング

 終了式では、最高齢グループの中から素晴らしいライフスタイルを実践している人を選んで、清見潟大学塾賞というのを贈る。
 前回は87歳の元社長、開学以来書道に挑戦している老紳士にハンチングを贈った。その前は89歳の元公務員、この人は今でも転居した静岡からタクシーで通ってくる。


清見潟大学倶楽部のビデオ制作

 教授や塾生の全体組織として清見潟大学倶楽部というのができた。発表会や展示会のほか、今年は新聞の発行、文集の編集、ビデオ「生涯学習のすすめ*清見潟大学塾からのメッセージ」の制作の3つのグループを募集する。また清水市出身の著名人などに依頼して「里帰り講座」を公開で開く企画もある。
 今年はパソコンがはいる。事務処理に利用すると共に、ささやかながらデータベースの構築に着手する。
 塾歌も塾生の手でできている。式の時には70代、80代を含むおばさん合唱団(暮らしの中の音楽講座)が声を張り上げてリードする。


立ち席から指定席へ

 清見潟大学塾の過去5年余りは、必ずしも順調で平坦なものではなかった。
 だいたい清見潟大学塾のシステムの考え方が行政の常識とは馴染まないところが多い。公民館事業の他に何で新しいものが必要なのかというテリトリー論もあった。
 私達は従来の事業はすべて行政側の論理と都合に基づくものであり、今求められているのは生活者の視点と発想によるものであると主張した。
 ともかく清見潟大学塾が実現したのは、当時の社会教育課長が役人離れした洞祭力と実行力を持った人だったからである。
 そして、法律にも条例にも根拠を持たない不安定な清見潟大学塾が、立ち席から次第に指定席に近付くことができたのは、国の生涯学習重視政策という追い風は勿論、教授達の情熱とそれをかき立てる市民の学習意欲、そしてそれを証明する数の力であった。
 新聞やテレビがよく取り上げてくれたのも強力な味方であった。


清見潟大学塾からのメッセージ

 ともあれ清見潟大学塾はようやくメッセージを発信し始めた。
 自らの意志で自信を持って自分の生き方を主張している1,000人の後ろ姿は、やがて1,000人の人を共感させるだろう2,000人は4,000人になる。健康な高齢社会はこういう人達を求めている。
 清見潟大学塾は生涯学習という手段で高齢社会への対応を推進している。
 こうした文化が地域に定着したとき町の空気が変わる。
 ふるさとが心に近付く。