「ふるさとづくり'91」掲載
<集団の部>ふるさとづくり奨励賞

遊び心とまちづくり
北海道 下川町コロンブスの卵
下川町とコロンブスの卵

 下川町は、北海道北部上川支庁管内の北東部に位置し、名寄盆地にあって天塩川支流名寄川の流域に、明治34年、岐阜団体24戸入地、わが町の開基となる。夏は30度以上、冬は零下30度以下と温度差が大きく、降雪は10月から4月までと半年続きます。東西約20キロメートル、南北約31キロメートル、約650平方キロメートルの広大な面積で、その9割が山林で田事豊かな森林資源、金山、銅山があり「林業と鉱山のまち」として昭和35年には約16,000人の人口が、平成2年8月で5,173人に減少している過疎の町です。昭和55〜56年、林業の不振、鉱山の合理化(のち休山)農業者の流出などで過疎率が全道一になっていた頃、町では危機打開のため「ふるさと運動」を展開、全国から町づくりを募っていました。昭和57年6月に「町に住む者は何も考えなくていいのだろうか」と初対面の男五名が「アイデアで下川を全国に売りこもう」を合言葉に活動を開始したのが「コロンブスの卵」です。
 コロンブスが卵を立てて見せた様な、誰れでも出来るちょっとした“遊び心”を大切にし、「いい大人が夢中になって遊んでいる」仲間です。会則はありませんが、政治(特に選挙)宗教には関わらないことと、身の丈に合った遊びを8年間続けています。


その現状と成果

 昭和57年…「ふたつ折り名刺の製作」。自分達の名刺をふたつ折りにし、それぞれ自分だけの町を宣伝したコピー、地図などを入れ下川町を売り込む作戦です。今では珍しくはありませんが、当時はこの宜伝入ふたつ折り名刺で話題のきっかけは十分つかめました。昭和63年、「名刺1枚で話題10分」のコピーで、アイスキャンドルと万里の長城〈下川町開基100年(2001年)まで、昭和62年から街並が見える桜ヶ丘公園の周囲を万里の長城風に、町の人びと、来町者が自らの手で石を積み、名前、メッセージ等を記入し築城していくイベントで、下川町観光協会が窓口。年間10,400人の人びとが記念に刻んだ名前などを見ながらの公園の散歩は、下川町の夏の風物詩となっている。〉の写真のふたつ折り名刺を10,000枚製作しました。
 『アイデア募集ポスト』を駅、学校、病院などに設置し、多くの人びとに町づくりについての意見を聞きました。気付いた事、アイデア、提案などをどう形にすれば良いのかわからない同じ思いの人びとが、仲間が他にも、と考えたのです。
 昭和58年…「寒地体験認定証」を町外から訪れた人びとを対象に発行しました。零下“しばれ”を下川町で体験したことを証する、体験日の温度が記入された認定証で、厳しい寒さと楽しく付き合うという行動、活動の第一歩です。
 昭和59年…しばれの缶詰「寒気団」を製作しました。零下30度以下になった“しばれる”日を手造りで缶詰にしたものです。中味は下川の寒気がたっぷり入ったロマンの缶詰です。
 観光農園「らくがき南瓜」を開園しました。下川町に遊びに来た記念に南瓜に文字を入れて、収穫にもう一度下川に来て遊んで……という企画でしたが、毎年注文が増え、今年は約2,000個になり、遠くは九州からの注文もあります。(プレゼントされた人が、自分もとの代筆注文と商社が各地に贈答品として使用するため、数が増え続けています。)
 この南瓜は、農家にお願いし栽培しておりますが、好評のひとつには“おいしさ”があります。下川町は寒暖の差が大きく、栽培に適した気候で、えびす南瓜の産地でもあります。
 昭和60年…「…氷の塊の中に炎が揺ぎ、天然のランプシェードに早変わり、淡く透き通った自然のガラスに入った炎が、白い庭に幻想的に灯って…」伊藤隆一、北海道教育大学教授の北欧での体験記『北の暮し歳時記』の中の一文を発見。
 昭和61年…「アイスキャンドル」が完成した。“しばれる”夜、バケツに水を張り、外側が凍った中の水を抜いて、ロウソクを灯す。私たちは、これを『アイスキャンドル』とネーミングしました。
「冬を楽しもう」「“しばれる”下川だから作れるんだ」という思いを込めて、「冬の公園は雪捨て場ではない」という主張から、冬まつり会場横の公園で雪を踏んで遊歩道を作り、アイスキャンドルを並べ、タ方からロウソクを灯しました。まず子供が寄って来てのぞき、大人が作り方を聞きました。1週間毎夕、ロウソクを灯し続け手応えは十分と、町中に「冬まつりの夜、街中をアイスキャンドルでいっぱいにしませんか」の1枚のチラシをまきました。冬まつりの前夜、町のそこここに私達が思いもつかなかった、絵入り、色付き、大小その他数々の工夫されたアイスキャンドルが600個も、家の前、店の前などに飾られロウソクの炎が揺ぎ、街中素敵な冬の夜を演出したのです。すぐお礼のチラシを出しました。
 昭和62年…NHKの「ゆく年くる年」で下川町の名願寺境内に並べられた500個のアイスキャンドルが全国に紹介されました。アイスキャンドルは、今や全道へと広がりを見せています。このことは喜ばしいことに違いありませんが、反面、下川町としての独自性が埋もれていく心配があります。
 昭和63年…冬まつりの名称が「しもかわ・アイスキャンドルフェスティバル」に変わり、アイスキャンドルが、2500個も冬の夜を彩ったのです。「手作りロウソク教室」を開きました。ロウソクにもこだわって、子供達を中心に企画したのですが、参加者の半数以上も大人が集まり、私達は、楽しそうなことには人が集まってくる、と再認識したのです。「ロウソク教室」は、毎年の行事になっています。
「コロンブスの卵の家」、農家の古い空家を借り、自分達の手で改修し、独自の拠点を築きました。『家を作りましたので、タダで備品、古い物を下さい』と町中にチラシを出したところ数多くの品物(冷蔵庫、流し台、食器棚、ランプ、食器など……をいただきまさた。)食器などは押入れひとつあります。「こんなに応援して頂けるとは」と、とても嬉しく思いました。
「JALIPAK(ジャリパック)下川3日間の旅」を企画、札幌からの子供達50名コロンブスの卵の家に泊り、ゴエモン風呂に入り、下川神社祭、下川の子供達との交流などたくさんの下川の思い出を持って帰りました。(平成2年)その子供たちの仲間が250名下川に遊びに来ました。「心(しん)産業交流塾inコロンブス」、「肩の張らない本音で話せる“ホンモノ”の交流会を自分達の手で開きたい」という会の発足当時からの思いが「コロンブスの卵の家」の完成で現実しました。(平成2年)第4回心産業交流塾となり、仲間づくり、自分づくりを基本に、ゆとりを遊び心を大切に続けていきます。
 平成元年…「アイスキャンドルフェスティバル」「心産業交流塾」「らくがき南瓜」「手作りロウソク教室」「寒気団」「寒地体験認定証」「アイスキャンドル広場」「各地から来卵(?)グループとの交流」「各地交流会の出席」その他。
 平成2年…会発足8年目になり、月1回以上の例会、会則はありませんが、政治と宗教に関わらない、遊び心を大切にを守って今日まで来ました。前記の紹介は、継続している活動です。現在会員7名、年会費12,000円、各行事の参加者負担、町の人びとの応援が活動資金であり、特に補助金で活動することはありません。呼びかけのチラシ、資料などの用意などを会が負担しています。
 その他に、昭和61年から「カモミール」ホワイトハーブの試験栽培があります。「寒くて嫌な冬を逆手にとってゆとりある発想で遊びを続けよう」と、白をベースに「ホワイトカントリーしもかわ」と考え、発見した白い花「カモミール」花言葉が「逆境の中の活力」です。
 数々のアイデアが生まれ、形にならず消えていますが、資金が10倍あって、十分な人数の会員がいても、10倍の満足感が得られるものではないと思います。8月に立てた「こころの地球のど真中」の標柱も私達の思いをこめて建てました。活動を通じて一番の収穫は町内外の色々な人との出合い、たくさんの楽しい情報、刺激などです。休むことなくこれからも、小さくても「アイスキャンドル」の様に、「わが町だけのもの」を発見し、遊び、挑戦していきたいと思います。
「楽しそうな町である」「一度行ってみたいナー」「冬のない下川なんか」「寒いから楽しいんだ」「下川に住みたいな−」といわれることを夢見て、毎日「ゴソゴソ」しているのがコロンブスの卵なのです。