「ふるさとづくり'91」掲載
<集団の部>

吹上砂浜の祭典
鹿児島県 吹上砂浜祭典実行委員会
ふるさとづくり活動の開始と背景

 加世田市の人口は、市制施行直後の昭和30年の3万4608人をピークに、昭和50年まで減少の一途をたどり、現在は3万5000人余りと過疎の市となっています。
 若者の流出や高齢化が進み、加世田市及び周辺地域の活性化について検討が進められる中で、自然界での余暇活用など自然志向とリゾートへの関心が高まっていることから、美しい自然景観に富んだ吹上浜砂丘の活用が浮かび上がってきました。
 吹上浜は、老松の林と海岸線が美しいコントラストを描く自然あふれる砂丘で、日本三大砂丘のひとつに数えられていますが、開発の手が加えられなかったことにより、全国的にはほとんど知られていませんでした。
 ちょうどそのころ、アメリカを中心に新しい砂浜のイベントとしてサンドクラフト(砂の彫刻)が好評を博していることがわかり、鹿児島県の協力でその世界第一人者2人を招き試作を行ったところ「砂質は最適であり、国際大会クラスのサンドクラフト開催も可能」との高い評価を受けました。
 そこで市内35の団体・機関により実行委員会を組織し、さらに「日本三大砂丘」のひとつとして吹上浜を全国にアピールするため、沿岸市町の参画による広域的な協力のもと、”吹上浜砂の祭典”と銘打ったサンドクラフトをメインにしたイベントを開催し、ふるさとづくりへの取り組みが始まりました。


ふるさとづくり活動の経緯

 第1回目の「吹上浜砂の祭典」は昭和62年8月に開催されましたが、開催決定からわずか2ヵ月間しか準備期間がなく、しかも、日本で初めてのサンドクラフトのイベントであることから、すべてが手探りで難問山積の状態でのスタートとなりました。しかし、ふるさとづくりにかける市民の関心は高く、吹上浜をPRするため「市民総ぐるみ」を合言葉に会場周辺5キロメートルの海岸清掃から行い、さらに若手経営者グループを中心とした市民の自主的な協力で、どうにか開催にこぎつけました。
 こうした市民の熱意とイベントのユニーク性が話題を呼び、新聞紙上等で「日本で初のサンドクラフト、出現した砂の芸術群」と大きく取り上げられ、予想以上の成果を収めることができ、今後のふるさとづくりに大きな自信となりました。
 第2回目からは、第1回祭典の反省をふまえ、準備段階から実働部隊の組織化をはかり、シンクタンク的な機能を果たす企画会議、イベント開催に向けた砂像部会、催事部会など6部会が設置され、市内の各団体から部員がボランティアで出向し、各部所管の事項について企画から運営まで通年的に活動を行っています。
 吹上浜砂の祭典の中心はサンドクラフトによる大砂像群の展示です。この砂像制作には8日間から10日間の日数がかかり、毎年述べ約1200人のサンドスクラプター(砂の彫刻家)が高さ10メートル級から5メートル級までの大砂像20数基を作り上げます。真夏の炎天下のもと全員がボランティアとして参加し、ふるさとづくりにかける意気込みに燃えています。
 また、吹上浜砂の祭典では海浜部の特色を生かした関連イベントも実施し、子ども広場ではジャブジャブ池、マリンスポーツ広場ではボードセーリングやいかだ下り大会・マリンジェット試乗、スカイスポーツ広場ではモーターハングライダーや水上飛行機のデモフライトなど、空と海の広大なスペースを活用した催しが繰り広げられています。開催期間は3日間から5日間で、毎年約5万人の観光客が県内外から訪れ、吹上浜の夏を楽しんでいます。
 一方、サンドクラフトの魅力に引かれた市民によって結成された日本砂像連盟が中心になり、サンドクラフトの技術向上や普及活動を展開しています。
 また、実行委員会でも、サンドクラフトを子供たちに親しんでもらい、市民が身近に体験できるよう市内の全小学校に砂像彫刻広場を作り普及に努めています。
 さらに日本各地からも砂像制作依頼や技術指導の依頼が相次ぎ、日本砂像連盟からメンバーを派遣し、全国で砂像彫刻の妙味を披露しています。


ふるさとづくり活動の現状

 吹上浜砂の祭典は回を重ねるにつれ充実してきており、第3回の「’89吹上浜砂の祭典」では、ギネスに挑戦ということで、高さ世界一のサンドクラフトに挑戦し、これまでの記録16メートル8センチを1メートル4センチ上回る17メートル12センチの砂像を完成させ、’90版ギネスブックに登載され、世界的な注目を浴びるまでになっています。この背景には、砂の芸術に興味と関心とを高め、多くの方に知っていただこうとするふるさとづくりにかける市民の熱意があります。
 さらに、ふるさとづくりにかける市民の連帯感を固いものにしたのが、’89吹上浜砂の祭典での台風襲来でした。
 この台風はオープニング直後に上陸し、繊細な砂像は崩れ、会場内の80張りのテントは泥沼の中に散乱し、イベント再開は絶望視される大損害を受けました。しかし、ふるさとづくりに燃える市民200人余りや日本砂像連盟のメンバーが徹夜で修復し再開にこぎつけました。関係者にとっては初めて味わう焦燥や挫折感でしたが、この固い連帯感は各方面で高く評価されると共に、関係者にとっても大きな自信となりました。
 また、吹上浜砂の祭典を契機に、祭典開催の原動力の一つである加世田青年会議所は、広域的な視点のもと他市町村を始め諸団体や関係機関等の協力を得て、ふるさとづくりのためのシンポジウムやプランニング会議を開催しています。平成元年7月には、全国の砂丘地を持つ地域の代表を招き、砂丘地からのふるさとおこしについて「砂のシンポジウム」を開催し、平成2年7月には全国各地のリーダーを招き、「イベントによる地域おこし」「海浜地域の農業・漁業による地域おこし」「吹上浜の魅力を探る」をテーマに、ふるさとづくりの今後の方向性を探るための「吹上浜プランニング会議」を開催するなど、ふるさとづくりの機運を盛り上げています。
 このようにしてこれまで余り接触のなかった多くの市民が、サンドクラフトを手がかりにセクトを超えて話し合う気運が高まり、今後のふるさとづくりに向けた新しい発想が生まれてきつつあります。


吹上浜砂の祭典がふるさとづくりに果たす役割

 吹上浜砂の祭典がふるさとづくりに果たしてきた役割はたくさんありますが、今まで無名に近かった「吹上浜」及び「加世田」を全国に広くPRできたこともそのひとつです。
 次に、吹上浜砂の祭典は市民参加を軸として運営がなされ、特に青年層の活動が顕著で若い人たちのアイデアを結集した手作りイベントとなっており、祭典開催を契機に若者たちが行政、民間、業種を越えて自由闊達に話し合いを行い、地域に活力が生まれてきたことです。
 さらに、祭典には吹上浜沿岸5町も積極的に参加しており、自治体の枠を越えた広域的な交流が行われる一方、サンドクラフトが縁で鎌倉市や高知県大方町等との交流も深まり、全国の地域づくりの仲間との交流の機会も増えるなど、加世田の若い人たちと全国各地との人的交流が盛んに行われるようになってきました。
 このように「吹上浜砂の祭典」開催で、サンドクラフトの情報発信基地としての地位を確立すると共に、砂の芸術を通して地域の連帯感、郷土愛の育成等サンドクラフトによるふるさとづくりに大きな成果を上げつつあります。
 又、平成3年1月に米国フロリダで開催されるサンドクラフトの世界大会参加の招聘を受けており、実行委員会から8人のメンバーを派遣し、国際的にも交流を深めようと意気盛んで、一地方都市のふるさとづくりが世界へ広がろうとしています。
 さらに、今日のリゾート指向が高まる社会情勢の中で、広大な吹上浜砂丘の自然を生かした鹿児島サン・オーシャン・リゾート開発を進めていくうえでも「吹上浜砂の祭典」のイベントによる波及効果は大きく、地域の資源や特性を今後さらに活用していく先駆的役割を十分果たしています。