「ふるさとづくり'91」掲載
<自治体の部>

地域特性を生かした潤いのある美しい小布施のまちづくり
長野県 小布施町
小布施の概要と特色

 小布施町は、県都長野市の中心部から11キロメートル圏に位置し、周囲を千曲川をはじめとする3つの川と雁田山に囲まれた自然の豊かな、総面積19.11平方キロメートルの平坦な農村地帯である。町役場を中心に半径2キロメートルの円を描くと、ほとんどの集落が入る小さな町で、住民同士が互いに顔を知り合える相識圏が形成されている。
 人口は1万1800人余りで、現在は、自然環境と市街地の調和、住民の連帯意識の維持などを考え、政策的な人口増加策はとっていない。
 気候は、中央高地型気候区に属し、内陸盆地特有の寒暖の差が激しく、最高気温35度、最低気温マイナス15度にまでなり、年平均気温は11.4度である。年間降水量は約900ミリメートルで、全国的にも雨量の少ない地域である。これらの気候条件と扇状地で酸性の礫質土壌は、リンゴやブドウなど味のよい果物と、色あいや風味のすぐれた栗などを産出している。大粒で良質な600年の歴史を持つ小布施栗を使った地場産業の栗菓子は、信州の代表銘菓として伝統を誇り、全国に知られている。
 小布施の歴史が始まったのは、約1万年前の旧石器時代と言われている。縄文・弥生時代の遺跡も多く、古代の盛土古墳、積石塚古墳群は地方氏族の活動を物語り、土中から発掘された飛鳥時代の金銅菩薩像は県下で最古の仏像というのも、当時の文化と経済力を象徴している。
 千曲川の舟運が発達した江戸時代には、今の安市に面影を残す定期的な市がたち、盛んな経済活動が行われていた。
 明治に入り殖産興業の中核となった蚕糸生産では、いち早くフランス式の機械製糸場を創設しており、県下でも有数の養蚕地帯となった。現在は、果樹栽培が盛んな農村として知られ、美しい自然環境に恵まれ、人間味豊かな地域社会を形成している。


まちづくりの経緯

 小布施のまちづくりは、昭和51年の北斎館開館が始まりと言える。浮世絵の巨匠・葛飾北斎が晩年に小布施を訪れ、延べ3年間滞在し、祭り屋台の天井絵をはじめ数多くの肉筆画の傑作を残した。それらの作品の散逸を防ぎ、収蔵・公開するため美術館として建設した。
 開館当時、地方の小さな町での美術館建設の珍らしさと、北斎の肉筆画だけを集めた美術館ということで、マスコミ各社が一斉に全国へ報道し、「田んぼの中の美術館」として注目を集め、遠方からの美術ファンや外国人観光客など大勢の人が訪れるようになってきた。
 昔から文化志向の高い地域性であったところヘ、全国から人びとが訪れることになり、町民に歴史と文化の町の住民であるという誇りが生まれ、文化活動、地域づくりへの取り組みが一段と活発になってきた。まちづくりシンポジウムや学習会の活動が盛んになるなど、まちづくりへの住民意識の高まりが出てきた。これに呼応するように、北斎館周辺の栗菓子店も、古くから残る建物を生かした店舗の改築や、民営美術館の開設など地域の持つ特性を生かしたまちづくりへの取り組みが行われるようになってきた。
 このようなまちづくりへの気運が高まりつつある中、昭和56年3月に「緑と水と歴史の町、暮らしに文化が息づく町、特色ある産業の町、そこに生きる喜びと誇りを感じる町」を将来像として、住む人や訪れる人の心を大切にした、歴史と文化のまちづくりを目指し、小布施町総合計画を策定した。また昭和61年の町総合計画後期基本計画では「うるおいのある美しい町」の1章を新たに設け、その中で、歴史・風土を踏まえた個性あるまちづくりを推進するための指針として、「うるおいのあるまち環境デザイン協力基準」を設定した。
 町総合計画では、北斎館周辺など地域の持つ特色をさらに生かしたまちづくりを進めるため、いくつかのまちづくりゾーンを設定し、整備を進めてきた。
 北斎館の開館を契機とした小布施のまちづくりは、栗菓子や町内に残る数々の文化遺産などを有機的に結びつけ、見る・食べる・学ぶといった要素を満たし、観光客も50万人を超え、栗菓子産業の成長とともに町の活性化へとつながってきている。


地域特性を生かしたゾーン整備

(1)ゆう然楼周辺歴史文化ゾーン整備
 一茶や北斎が滞在し、小布施の文化サロンとなった郷土の先覚者・高井鴻山の隠宅「ゆう然楼」を、昭和58年に町が高井鴻山記念館「ゆう然楼」として復元公開した。
 この一帯は、北斎をはじめとする美術館群と、老舗を誇る栗菓子店や大壁の民家が軒を連らね、江戸末期の繁栄を物語る歴史的景観をとどめており、この景観を生かしながら、住む人に潤いと活力を与え、地域には文化シンボルとして愛され、訪れる人には感動と余韻を味わってもらえるような整備をと、行政と住民が協力し合って進めてきた。
 昭和59年に、面的整備を進めるため関係者で協定を結び、ゆう然楼周辺町並み修景事業組合を設立、町と住民がお互いに役割を分担し合って進める町並み修景事業が始まった。
 町並み修景事業では、住む人の居住環境の改善を第一に考えて進め、その結果、日当たりや風通しが悪く車の騒音に悩まされていた民家は、奥の自分の土地へ移転し、快適な居住環境に改善された。金融機関や店舗等は、ゆっくりとした駐車スペースが確保でき、広くなった歩道には特産の栗の木の角材を敷き、くつろぎの歩行者空間を確保することができた。
(2)岩松院ふるさとゾーン整備
 畳21枚分の北斎の大鳳凰図の天井絵、福島正則の霊廟がある岩松院とその周辺の雁田山山ろくは、緑と歴史、そして町民の心のふるさとともいえる地域である。岩松院の裏山108ヘクタールは郷土環境保全地域の指定を受け、岩石園、薬草園などの各種公園、せぜらぎ緑道、石積み水路、ホタル池などを造り、町民の憩いの場とした。雁田山を中心に、人びとの心安らげるふるさとの原風景を大切にしたゾーン整備を進めてきた。
(3)さわやか駅前ゾーン整備
 小布施駅前を、文化の町の玄関口にふさわしい景観にと整備を進めてきた。昭和60年に長野電鉄の小布施駅舎が、町の協力依頼により、風土と歴史を考慮して瓦ぶき、大壁風に改築され、平成2年には隣接のスーパーマーケットも、町並みに調和した建物として新築された。
 駅前広場には日本庭園を設け、住みよいまちづくりを誓うシンボルタワーも設けた。
 また、道路の角には、近所の家の庭にもなるよう設計したポケットパークを設けた。そこへは周辺の皆さんが自主的に花を植え管理しており、四季析々に咲く花は通勤、通学者や訪れる人の心を和ませてくれている。


潤いのある美しいまち小布施に

 町では、3つのゾーンを核とした周辺整備を進めるとともに、ゾーンを結ぶ整備を進めている。町内を楽しく歩けるように、民地もお借りしての栗の木レンガ歩道の整備や、ポケットパークの設置を進めている。
 沿道の企業や商店も、新築や改築に併せ、町の風土や歴史を考慮した景観の建物に、また、セットバックによるゆとりの空間の創出など、潤いのあるまちづくりに向けた取り組みの広がりが出てきている。
 昭和55年から始めた美しいまちづくりのための花づくり運動も、集落ごとに組織された花づくり委員会を中心に、沿道や空地への花づくりなど、美しいまちづくり運動として進められてきている。小布施中学校では「勤労の喜びを知り郷土を愛する心を培う」ことを目的に花の苗を育て、全生徒が地域の花壇づくりに取り組んでいる。各家庭でも道路と接する部分の緑化、草花の植栽、フラワーポットの設置など、地域ぐるみの美しいまちづくりを進めている。
 まちづくりの主体者は住民であるが、その意識も高まってきている。
 昭和62年度には、まちの歴史的な資産とまちづくりの成果を背景に、今後のまちづくりの発展方向を具体的に示すため、建設省の指定を受け、環境デザイン協力基準を具体化させた地域住宅計画を策定した。その中では、建物の景観や敷地、広告物や沿道緑化などについて、市街地や農村集落など地域ごとの誘導指針を示している。平成2年4月には、さらに全町民でその取り組みを進めるため、まちづくりの方向とともに表彰や助成の制度を盛り込んだ「うるおいのある美しいまちづくり条例」を制定した。美しいまちづくりへの方向付けができ、実践者となる住民の活動や意識も高まってきている。
 現想とする将来像を目指したまちづくりは、一朝一夕でできるものではなく何十年もの積み重ねが必要だが、目に見えるところ、できるところから積極的に取り組む必要がある。今、小布施町は、より快適でより美しく、人々のふれあいを大切にしたまちづくりを、住民と行政が一体となって取り組んでいる。