「ふるさとづくり'91」掲載
<自治体の部>

わが河辺村の村おこし
愛媛県 河辺村
河辺村の概要

 河辺村は、県都松山市より南東へ66キロメートル、喜多郡の最北端にある。
 東部は上浮穴郡小田町、東南部は東宇和郡野村町、西部は同郡肱川町、西北部は五十崎町及び内子町に接しており、西部を除く3方は何れも1000メートル近い山岳稜線に囲まれた急峻な渓谷型の山村である。
 水系は、本地域東北に当たる北平に源を発する河辺川と、川上に源を発するキビシ川が出会地区で合流し肱川流域を形成し西に流れている。これら本支流に沿って集落が形成されている。
 総面積は、5万3100へクタールで内山林が4380へクタールを占めており、農地は、わずか297ヘクタールで464戸の農家が経営を行う零細兼業農家が多い。
 人口は、昭和35年の4205に対し昭和60年には1969と、25年間で2236人(53・2パーセント)減少している中で懸命に村づくりに努力している山村である。


河辺村ふるさとの宿開設

 村営の簡易宿泊施設「ふるさとの宿」は、昭和52年廃校になった小学校校舎を宿泊施設に改造し、昭和63年7月にオープンしたものです。この施設は、農山村活性化緊急対策事業として国庫補助金を頂いて完成したものですが、最初に要望したのが昭和60年で、当時は、田舎の村がこんなもの作っても誰も来てくれないと理解が得られなかったものです。
 拝啓
 都会のみなさま、如何おすごしですか?
 勉強、お仕事、情報、騒音……。
 毎日大変なことと思われます。
 このたびわたくしたち「河辺村」では
 そんな皆様との交流を願って「ふるさとの宿」を開設しました。
 四方を田む美しい山々、清らかな川、美しい空気、森林浴……。
 「ふるさとの宿」でストレスを解消し、健康で豊かな人生を送っていただきたいと思います。
 こんなお便りを都会の皆様にお送りし交流を願いました。
 お陰様で当初の国、県の心配をよそに、1泊朝食付き2000円の格安価格のためか、これが廃校舎ですかと言われるほど充実した施設のためか、沢山の都会の人に訪ねて頂き嬉しい悲鳴をあげています。
 現代は物や情報が氾濫する一方、人びとは総ストレス時代、清らかな川、美しい山々、澄みきった空、どれも都会では味わえない貴重な財産です。私達は、この様な責重な財産を都会の人びとに提供して、逆に私達は都会の人びとから新鮮な情報を得たいと考えています。
 この「ふるさとの宿」開設で十数人の雇用が確保出来るとともに農産物、マス、アメノウオ、キジなど地元資源の活用を通じて地域の活性化に大きく貢献しております。


キジを河辺村の特産品に

 河辺村は「心豊かで逞しい農林業の村」を基本理念に、「栗と天魚としいたけの村」をキャッチフレーズに村づくりを行っているところですが、現在の農林業の長期低迷は本村にとって大打撃です。この打開策にキジを導入し河辺村の特産品として売り出し中です。
 キジは、古くから珍重され、最高の美味と言われており、このキジを産卵から孵化と一貫して豊かな自然の中で育成し「ふるさとの宿」ですき焼き、キジ鍋の材料として提供、販売する一方、平成元年度に完成したキジの燻製施設でこのキジを桜の木などの煙で燻製し、ふるさと特産品にと取り組んでいます。


株式会社ゆうとぴあ河辺の設立

 「ふるさとの宿」「キジの燻製施設」などの管理運営を初め、特産品の研究開発、農林産物の加工販売、観光事業などあらゆる事業に取り組み、行政とともに村づくりの一翼を担う機関として、第3セクターで「株式会社ゆうとぴあ河辺」を設立しました。昭和63年5月に設立し、平成2年度で第2回の株主総会を開催したところです。
 この会社は、村民との村おこし懇談会での提言を生かしたもので、当初発行株式400株、資本金2000万円で、内行政が200株1000万円、残り200株1000万円を公募で調達する計画でしたが、村民より多数の株式応募を頂き、520株、2600万円で発足できるうれしい誤算がありました。
 村民が村づくりに深い理解を示し、惜しみない協力をしてくれ、行政と一体となって、村づくりに取り組める体制ができあがりました。ふるさとの宿のところで述べた様に、雇用の場の確保、地元資源の活用等で地域活性化に貢献するとともに、独自に「いのしし飼育」にも取り組み、今年の冬からふるさとの宿でのメニューにぼたん鍋を加え、マス、アメノウオ料理、キジ料理とともに河辺村の郷土色豊かな料理を、都会の人びとに味わって頂ける様になりました。


ふるさと生活館で村おこしを

 この施設は、社会環境の変化に伴い、農家・農村においてもより多様な世代を包含した農村社会の機能の維持向上を図る等「人生50年型」のくらしから「人生80年型」のくらしへのライフスタイルの転換を通じた農村型の長寿社会への対応を図ろうとするものです。
 施設は、農産物加工室(めん類・菓子類)・特産開発研究室・創作研究室・共同学習室を設置するとともに、農産物加工機械器具一式を備えつけ、あらゆる特産開発を行なうことができる施設となっております。
 このふるさと生活館の利・活用を図るため、ふるさと生活館利用講座の受講者を募集したところ、婦人を中心に75人の村民の応募があり、現在月1回程度の講座を受講するとともに、独自に特産開発に取り組んでおります。この施設の利活用を通じて、農村地域住民の自主性、共同性を生かしながら、地域の資源を活用して新しい特産品づくりに燃えており、近く新しい河辺村の特産品がお目見えします。


各種イベントで村おこし

 本村では、昨年より一連のイベントを体系的に結びつけ、すべてふるさとの宿を拠点として開催し相乗効果をあげております。
 イベントとしては、清流の女王アメウオ、清流の王様マスの「つり」を、自然まっただ中の清流で楽しんでいただく「渓流つり大会」を始め、都会にいる河辺の人達がふるさと河辺に帰って楽しい1日を送っていただきたいと、「かわべふるさとまつり」また、「ダイナミック・バーベキュー大会」「名月ふるさとカラオケ大会」「わらじで歩こう坂本龍馬脱藩の道」「商工ふれあいまつり」と河辺村のイメージアッブに取り組んでいます。
 中でも「わらじで歩こう坂本龍馬脱藩の道」は全国的に大反響を呼んだイベントです。坂本龍馬脱藩の道は、坂本龍馬が文久2(1862)年3月25日、土佐藩を脱藩して4月1日に下関に現れるまでの記録がなく、その道が謎とされていました。
 この坂本龍馬脱藩の道は、昭和63年2月大洲史談会の村上恒夫氏が古文書『関雄之助口供之事』から解明されました。その脱藩の道がこの河辺村に約15キロメートルあります。この道を村民あげて文化的遺産として保存し、後世に残すべく取り組んでいます。その取り組みは、河辺村坂本龍馬脱藩の道保存会の結成、道標の設置、記念碑の建立、龍馬グッズ(通行手形、わらじ、水筒、テレホンカード、Tシャツ、ふろしきなど)の作成を行っております。その取り組みの一環として「わらじで歩こう坂本龍馬脱藩の道」のイベントを開催しており、沢山の龍馬ファンが村外から駆けつけてくれ、河辺村のイメージアップに貢献しております。このイベントを開催するには村民あげての協力を得ております。まず脱藩の道は、山の中の道で最近人の往来も少なくなり荒れ放題の道でしたが、毎年、保存会のメンバーや道沿いの地域の人達が何日もボランティアで整備をして、わらじで歩いても大丈夫な道に整備をしていただいております。またイベントに使う竹の水筒やわらじは、村内の老人会の人達の手づくりですし、弁当を包む竹の皮も老人会の人達が集めてくれており、村民あげて龍馬ファンを迎えるイベントとなっております。
 今後とも村民と行政が一体となって、龍馬ファンを気持ち良くお迎え出来るイベントとしてまいりたいと思います。