「ふるさとづくり'92」掲載
<集団の部>ふるさとづくり奨励賞

市民による地域の特性を生かした都市景観の創造と活気ある街づくり
宮城県仙台市 SENDAI光のページェント実行委員会
冬の街路樹

 杜の都と言われる仙台市は、市内の定禅寺通り、青葉通りを中心に、約400本のケヤキが、美しい街並みをふちどってくれます。街の中にふりそそぐ木漏れ陽、心やすらぐ木影、風に揺れる緑の葉が、仙台に住んでいる人々、そして仙台を訪れる人々をやさしくつつみこんでいます。
 しかし、東北の冬は早く訪れ、木々の梢も11月初旬にはもうすでにその葉を落としてしまいます。
 それにあわせるように、活気に満ちていた仙台の夜も、この時期になると、午後7時過ぎには人影もまばらになり、商店のシャッターが下り始めます。
 あの美しかったケヤキ並木が、冬枯れの肌をあらわにしながら深い眠りにつくと、街全体に、なんとなく静寂で、沈んだ暗い雰囲気がやってくるのです。


スターライト・ファンタジー

 昭和61年師走の夕べ。全ての葉を落し、眠りについて間もないケヤキ並木が、30万個の星のイルミネーションで目を覚まし、束の間の美しい姿を現しました。
 定禅寺通りと青葉通りは、まるで夜空に輝く天の川が舞い降りたようです。道行く人々は、そこが地上であることを忘れ、宇宙都市と仙台との連絡橋を渡るかのようです。カップルや友達連れ、仕事帰りのサラリーマンやOL、全国から訪れた観光客や夕食帰りの家族連れ、そして孫に手を引かれたお年寄りまでが、夜遅くまでこの旅を楽しんでいます。
 美しいものへの感動は、人間に共通に与えられています。それは、国を超え、言葉を超え、人類がひとつになれる思いです。思い思いにページェントを訪れる人たちも、光の回廊を歩む中で、そこに集う人たちみんなが同じ世界にいることに気づくことでしょう。
 目を輝かせながらイルミネーションを見つめる子供たちも、ページェントを通じて、その感動を知ってくれるものと信じます。そして、その子供たちが、さらに自分の子供たちへと受け継いていくことを願います。


はじまりは、小さな夢

「冬のケヤキ並本に、1本でもいいから光を灯したら、きっときれいだろうな。」ある市民が喫茶店で語った小さな夢が、そのきっかけでした。SENDAI光のページェントの構想は、そこから口コミで伝わり、主婦や商店主、会社員などへと広まって、年齢、職業を超えた有志約30人による初めての実行委員会が結成されました。
 ページェントは、数多くの市民や企業の善意と協力により、去年まで5回を数えることが出来ました。喫茶店の雑談だった小さな夢が、夏の七夕祭りと並び称せられる仙台のシンボルとなるまでに成長したのです。


募金、相次ぐ

「SENDAI光のページェント」は、市民の手作りの催しです。
 費用は、募金と寄付金で賄い、運営は、実行委員のボランティアにより行います。
 市民からの募金には、こんなこともありました・資金難がいよいよ深刻になり、市民への一層の協力を新聞などで呼びかけたとき、翌日から事務局へ「いくら足りないのか」「どこに振り込めばいいのか」という電話が相次ぎました。募金ボトルから募金の一部が盗難され、それが新聞で報じられるや、善意の方々から続々と見舞金が届けられました。イルミネーションをケヤキに掛ける工事の人へ、洋裁学校の生徒たちが、サンタクロースの服を縫ってくれました。それから、全く目の見えない方が、「これで光を灯して下さい」と、その手に握りしめたお金を差し出してくれたこともありました。実に様々の人たちの、それぞれの形の協力が、ページェントを支えているのです。
 企業からの募金では、当初、協賛することによるメリット=広告効果が見返りとして求められることが少なくありませんでした。また、企業にとっては、「実行委員会といっても、得体の知れない団体。信用できるのか」といった疑問もあったようで、協賛には相当なリスクを感じていたことと思います。しかし、ページェントは、あくまで「市民参加、市民の手作り」を基本としていたので、苦しみながらも、商業ペースに乗せることなく、訴え続けました。
 このような状況の中から、やがて仙台市の協力を得ることができ、また企業からも徐々に、ページェントヘの理解と善意を得ることができるようになりました。
 なかでも、ドネーション・キャンペーンという新しい募金方法に協力が得られたのは、画期的であったように思われます。これは、企業がある範囲の地域で売られた特定商品の売上の一部を実行委員会へ寄付するもので、市民にとっては、商品を購入することが、同時にページェントヘの協力になるというものです。この試みはまた、市民と企業が一体となって地域活動に協力する新しい形として、各方面に普及する一助にもなると思われます。


予想外の交通渋滞

 イルミネーションが点灯される午後5時は、連日、その瞬間を待つ人たちであふれ、市内中心部の道路は、予想外の交通渋滞に見舞われました。警察は、交通渋滞を重視し、ページェントの実行に必要な道路の使用許可などについて慎重な態度を取るようになりました。
 このため、実行委員会は、主要な道路に迂回看板を設回し、交差点へ警備員を配置し、実行委員による巡回警備を行うなどの対策を講じました。何回かにわたる話合いの結果、交通指導隊や警察からの協力を得る事ができました。また、マスコミからは、公共交通機関を利用するよう呼びかけてもらい、点灯時間の検討を行うなどしました。こうして交通渋滞は、回避することができるようになりました。


暗雲、立ちこめる

 湾岸危機に伴う省エネルギーの気運は、ページェントにとって暗雲を投げかけるものでした。規模縮牛の意見や開催中止の声が出され、また募金にも影響がでるのではないかと心配されました。事実、企業協賃金は、伸び悩みました。こうした背景から実行委員会は、規模縮小の計画を発表したのです。
 ところが、街頭募金に協力する人を始めとして、「毎年1度の楽しみ。暗くしないで」といった市民の声が続々と寄せられました。活動資金の大部分を市民と企業の協力に頼る市民主体のイベントである以上、市民の声を無視することは出来ません。多数の市民の応援が、ページェントに降り掛かった暗雲を吹き飛ばし、そして前年同様、65万個のイルミネーションを点灯させることが出来たのです。


こころ、ひとつに集まって

 ボランティアである運営メンバーには、何の制約も規約もなく、現在は、主婦、商店主、学生、会社員など様々な人たち約50人で構成しています。
 実行委員長は、毎年変わります。ノウハウやコネクションなどの面でのマイナスはありますが、それよりもマンネリを恐れるからです。企画面ばかりでなく、何より心のマンネリが、初心を忘れ、ページェントの根本的基盤である市民の心から離れ去ることを恐れるからです。
 実行委員会が発足する6月からは、毎月2〜4回、会議が開かれます。10月からは、企業協賛金集めに奔走し、11月と12月の土曜・日曜は、街頭募金活動に繰り出します。ページェント期間中は、見回り、警備、清掃などを行います。
 結構大変な作業ですが、メンバーの心にあるのは、仙台の街が好きで、この街をもっと素敵な街にしたい、市民一人ひとりの気持ちをそこに集め、一歩一歩実現してゆきたい、そんな気持ちです。
 資金不足や交通渋滞を始めとして、いろいろ辛い思いもしましたが、そのひとつひとつを乗り越えられたのは、市民の心がひとつに集まって、期待と協力を借しまなかったからでしょう。


150万人の想い

 今年で6回目を迎えるページェントですが、昨年のイルミネーションの数は、65万個であり、人出は、150万人に達しました。これは、初期の頃から約30万人の増加であり、また、東北の三人祭り「仙台七夕」に匹敵するものでもあります。
 ページェントが一つのキッカケとなって、秋の定禅寺通りで「ジャズフェスティバル」が開催されることになりました。これは、仙台の四季を彩るイベントを揃えようとするものです。さらには、「定禅寺通り」を仙台のシンボル公園に育てようという気運も盛り上がっています。
 ベージェントは、予想もしていなかった波及効果を仙台にもたらし、地域活性化という面でも貢献しているようです。
 様々な人たちで賑わいを見せたページェントも、大晦日には、フィナーレを迎えます。新年零時の時報と共に、全てのイルミネーションが姿を消し、何処か遠くから除夜の鐘の音が聞こえてきます。夜空に帰ったページェントに、人々は、何を見るのでしょう。


おわりに

 今、仙台は、東北の中心として、行政、経済、文化などのあらゆる方面で大きな役割を担っています。国際空港、新幹線、国際港湾などの基盤整備や情報システムの確立など、国際情報都市としての機能が充実されつつあるばかりでなく、新たな文化都市の形成を目指す様々な模索と試みがなされています。
 光のページェントは、こうした時代を背景とした、この街ならではの感性が求め、実現し得た文化なのかもしれません。