「ふるさとづくり'92」掲載
<集団の部>ふるさとづくり奨励賞

リサイクル文化都市をめざして
秋田県秋田市 秋田県婦人会館生活学校
秋田県婦人会館生活学校の発足

 生活学校運動は、昭和39年、(財)あしたの日本を創る協会が「くらしの工夫運動」の一環として「生活学校」を提唱したのに応じて、秋田県では、当初3校だけが設置された。その1校が、県婦人会館生活学校の発足である。
 生活学校は主婦を対象として開設し、身近な生活課題を主体的な活動で、業界や行政との対話によって解決することをねらいとしていた。その主旨にそって、当校は秋田市内の主婦を対象に公募し、100名のメンバーでスタートすることになった。


活動の内容と経過

(1)発足当初の活動
 消費生活の向上とともに、商品が多種多様に出回り、着色剤や添加物が問題になった。そこで、当校の活動テーマとして、次のようなことが取り上げられた。
 @アイスクリーム、牛乳、乳飲料の保存期間
 Aハム、ソーセージの厚生省表示
 B消費者の賢い買い方
などについて、業者や保健所、製造業者等を加えた対話集会を開催し、うまく解決していった。ご存じのように、当時の生活学校運動は、多くのマスコミも取り上げ、全面的なバックアップのおかげて、活発に経過したのである。
 さらに、主婦の余暇時間の活用として、内職講習会を開催してパートセンター設立にこぎつけるなど順調に椎移していった。

(2)ゴミの分別収集からデポジット実施
 消費生活のますますの向上と、多様な商品の氾濫は、多量のゴミを排出するようになりゴミ処理問題が、最大の課題となってきた。
 @ゴミ分別とリサイクル
 秋田市では、家庭ゴミの処理手数料か無料化になり全市の家庭が収集の対象となった。
 昭和46年、ポリエチレン容器から「ポリ袋」になり、可燃物と不燃物の分別収集が本格的に取り組まれるようになった。
 昭和49年のオイルショック後、全県のテーマとして資源の再利用システム作りが始まり、古紙、空きビンなどのリサイクル作りに取り組んだ。この年にはトレイパックの追放運動も始まり、不用品交換会も始めた。この不用品交換会は、平成元年度まで16年間で49回実施し、のべ出品点数60,362点、売上点数35,323点で、売上総額805万円になる。不用品交換会の常設を16年間継続と息の長い運動を続け、市民にすっかり定着した。
 昭和50年より当校では、家庭から発生する回収ビンについて取り上げ、学習が始まった。
 昭和51年より、分別回収が集団で行なわれるようになった。
 昭和52年より古紙と空きビンの回収を始め市内、土崎、保戸野、中通、楢山、手形、泉の6地区11カ所で、年4回約3年間実施。協力してくれるビン商を発見し、さらに市の協力により、空ビンセンターに土地を提供し開所した。
 秋田市でも資源の集団回収を本格的に働きかけた。「物を大切にする運動」の中央ブロックの研究集会を開きサントリーオールドとリザーブをカレットとしてトン当り3千円で回収することに成功した。
 A空き缶の散乱
 生活学校全県のテーマとして「リサイクリングシステムの確立のために」をかかげてよびかけて来たが、資源の回収が単発化していて、事業化がうまくされていかなかった。当時の状況は、定期的に回収すること、活動として習慣化される仕組−つまりシステム化されて地域に根づくことが困難であった。行政と業者の理解を得ていく必要があった。当時、市町村では集回回収の窓口すらはっきりしないところが多く、集団回収はするがシステム化されていない現状であった。
 空きカンが大変目立ち、全県のテーマもの15%はカンであった。当校では、せめて家庭から出るカンだけでも町内からの回収が出来ないものかと話し合った。
 散乱カンのため環境が汚染されたり、空きカン、ワンウエイビン等の非回収容器が増加し、また自動販売機の激増で、使い捨て文明の「社会的な浪費のしくみ」がどんどん進行されるようになったことから、私たちはデポジットについて、法律面、全国のとりくみ、行政の対応等について空きカン問題の学習を始めた。
 一方当校では、空きカンの散乱状態を調査し、市の清掃センターと話し合った。当時駅前80メートルに156個、市場前50メートルに127個、寺内地区150メートルに361個、秋田大学グランド脇150メートルに100個という結果だった。この話し合いで待望のリサイクルセンターを設置することができ、56年5月からスタート、空きガン、空きビン回収の再資源化システムが完成した。
 ようやく空きカン、空きビンの全市における分別収集が軌道に乗った。これで、秋田市の燃えるゴミ、燃えないゴミ、資源ゴミ、その他粗大ゴミ年2回の回収が決まり現在にいたった。
 市ではさらにゴミの減量化か進み、家庭ゴミは昭和53年度を100とすれば昭和56年では人口が11,128人増加しながらゴミの量は92と減少した。とくに燃えないゴミに於いては、昭和53年度を100とすると昭和56年では71と減っておりゴミの減量の効果が現われている。
 一方県の行政では、対話集会の結果、空きカン問題等懇談会(行政、消費者、ボランティア廃品回収業者等17団体)を設立、対策がねられた。
 57年、県内6ヵ所でカンの散乱状況を調査した。
 秋田市生活学校連絡会が県の環境衛生課、市の環境保全部と一体になり大森山で5月1日から10月末まで調査を実施した。その内容は各月の1週間、ここの売店で販売したマーク入りカンをそのまま拾わないでもらい、その散乱状況を調べるもの。その結果、多い時で58%、平均で40%が売店から売られたものであった。私たちは、この結果からミニデポヘの確立に自信を深めたわけである。
 58年、この結果から年の暮れに「県民のつどい」を秋田市でミニデポ実施の対話集会として計画し、生活学校が中核となり調査と研修を重ねた結果、大筋でミニデポジットに賛成的な集会の成功を見てデポジットの実験がきまった。
 秋田市の行政では、6月から不燃ゴミは月2回から1回に、資源ゴミは月1回から2回にし、ゴミの減量と再資源化につとめた。この結果58年度になり不燃ゴミが3,912トンとなり、54年度の8,012トンの半減まで成果をあげた。
 59年、「秋田市でデポジットを進める会」を組織し、八橋公園と千秋公園でミニデポジットの実験が始まった。
 6月から私たちの真剣な手渡しの回収作業と毎週のシール貼り作業がくり返された。この運動の中で市の観光協会や環境保全部、マスコミの応援は本当に励みになった。実績として、販売本数123,213本のうち91.2%の回収がなされ、協力した人員は353人となった。
 60年、実験2年目に入り秋田市の環境保全部の全面的な応援を得て秋田市長に陳情した結果、回収機「デポジット君」を2台購入することができ、「すすめる会」でも「くうかん鳥」を1台購入し、回収作業は大変助かった。この年の実績は販売本数116,887本、92.7%の回収率で、協力人員185人たった。
 2年間の実験は全国で唯一の住民主導型として中央からも高く評価されるようになった。
 B牛乳パックの回収運動
 平成2年から3年度に牛乳の紙パック回収運動を実施、わが校は県内トップを切って牛乳パック回収を実施したことが県内の各種団体グループに波及、拡大した大きな波紋を与えている。


将来展望および課題

 生活学校開設後、住み良い町づくりのために、身近な生活課題を取り上げ、運動を展開して大きな成果をあげている。特に、食品問題や物を大切にする運動については活動の概要をのべてきたが、特にリサイクル文化都市をめざして昭和40年から26年間一貫して、リサイクルのシステムづくりのため頑張ったつもりである。
 今後の課題として、牛乳パックの回収については、秋田市の資源ゴミ回収品目として回収されるよう、そして、全県的に、回収のシステム化ができるように運動の進展をはかりたいと思っている。また業界も一歩ずつでも、前進していただけることを念願し、全県の仲間、全国の仲間とともに手をつないで頑張っていきたいと思う。息の長い地道な活動を通して、社会のしくみを変えて来たことについて、自信を持ち、激動する社会の課題に向って前進したいと一同心を新たにして頑張りたい。