「ふるさとづくり'93」掲載
<集団の部>ふるさとづくり大賞

文化の薫るゆたかな故郷づくり
鹿児島県・大隈半島カルチャーロビー
 鹿児島県の大隅半島は、ほぼ東京都と同じ面積ですが、人口はわずかに280,000人。過疎の深刻な純農村地帯です。しかも、農作物などの輸入自由化という時代の高波によって、ここは激しく揺さぶられています。
 また大隅半島の人口や諸機能が一極集中する《リトル東京》の鹿屋市は、中央資本進出による消費経済の拠点が形成され、一見、街は栄えているようでありながら、同市および周辺農村部の商店街の崩壊など、地域基盤を揺るがす問題が派生しています。
 こうした中で、農村に伝承されてさた文化もまた衰退し、また新たな地域文化を生み育てる活力も、中央従属化か強まることによって失われています。
 しかし、大隅半島は、全国屈指の食糧生産地帯であり、豊かな自然や独特の景勝地などを保持しています。この価値を見直し、それを素材に新しい時代の価値を創造するならば、都会とはまた異なる魅力あふれる生活空間をつくれるのではないでしょうか。
 私たちはそんな趣旨のもとに、1985年9月、大隅半島カルチャーロビーを発足させました。会員数は当初10名で、現在60名あまりです(会場の都合でこれが限度)。
 会員は大隅半島各地の高校生から80代のお年寄りまで、年齢も職業もさまざま。ロビーがなかったら出会うはずもない人々の、多彩で豊かな出会いの場となっています。
 この出会いを大切にして、私たちはいろいろな地域起こしの文化運動を進めております。
 また、この文化運動を長期的に支える拠点と資金を確保する手段として、会員有志でフェスティバロ社を設立、共同経営しています。
 では、次にその文化運動の内容を紹介しましょう。


7年間、毎月開かれて来た市民大学

 私たちは毎月1回の定例会を、この7年間にわたり、1度も欠かすことなく開いてきました。
 定例会は、フェスティバロ社のレストランが会場で、3つの趣旨で毎月企画されます。
 @『食文化を作る会』……大隅半島の農産物を生かした特別料理を試食し、意見を述べ合います。これは地元農産物の新用途開発と付加価値の創造を意図するもので、実質的に《さつまいものフルコース》などが生まれ、TVや新聞などで再三全国に紹介されました。
 A『手づくり市民大学』……故郷の価値を見直すために、各界の第一線で活躍する幅ひろい人々を講師に迎えて、1時間ほどの講座を開きます。さらに東京の音楽家や劇団員、あるいは海外の自然保護運動家なども講師に迎え、視野を広める講座も随時ひらかれています。
 B『情報交換会』……会員は各界で活躍しています。新旧会員同士の自己紹介、近況報告などを重視し、お互いの情報を交換、ネットワークづくりの場を設けます。


故郷の価値を再発見する運動

 私たちは故郷をいま一度、いろんな角度から見つめ直し、その価値を再発見し、新しい時代にふさわしい独特の価値あるものを作り出したい、と希望しています。
 そして各種の活動を企画実施しています。
 @ガイドブック『大隅半島』の出版……私たちは2年間にわたり、故郷を自分の足で歩きまわり、自分の目で自然、歴史、民俗、産業、観光、文化などを再点検して、ガイドブック『大隅半島』を制作しました。
 この本は出版と同時に大きな反響を呼び、2週間で初版の5,000部を完売するという地元の大ベストセラーになりました。
 現在、この本は学校などで教材として活用されているほか、大隅半島を考える際の基礎データとして、各方面で活用されています。また、再版を望む声も多く、3年後に5,000部を刷り増し、半数を官公庁などに寄贈しました。
 Aアウト・ドアの活動……毎月1回の定例会のほかに、史跡巡り、探鳥会、登山、薬草狩りなどの活動も行っています。


文化創造の広場を作る運動

 大隅半島のことを、文化不毛の地、と言う人がいます。確かにそう言っても過言ではない側面もあります。それ故に、若い人たちは都会に流出する現実もあります。しかし、地元に残って頑張っている人もいるのです。そういう人がばらばらに孤立しているために、地域に一つの潮流が形成されるに至っていません。そこで私たちはここの才能を引き出し、花開かせる運動を共同で進めています。
 @霧島が丘文化祭……毎年初秋に、海を見下ろす景勝の地・鹿屋市の霧島が丘キャンプ場で、独自の文化祭を開いています。
 ロビーの多彩なメンバーにより、バレエ、琴、バンド、ジャズダンス、島唄などの発表会のほか、野点もあり、さらに絵画や陶芸の展示、蝶と花のパビリオンを特設するなど、アットホームな文化祭として名物になりつつあります。
 A小説『青空のハーモニー』の出版……地方出版は不可能という定説に挑戦し、地元の作家、カメラマン、デザイナーなどのほか、市民およそ100人が結集した出版イベントを、霧島が丘で開催。この本は鹿児島市の書店で見事ベスト5にランクされました。


市民ぐるみの芸術鑑賞活動

 大隅半島には映画館が一つもありません。また中央の芸術団体を招聘する組織もありません。ただし、立派な文化会館などは各地に整っています。
 そこで私たちは東京の劇団を招き、ミュージカルや「ハムレット」などの舞台鑑賞会を開きました。この公演を成立方せるのに、1000枚以上のチケットを売る観客誘致運動を展開し、いずれも成功させました。
 とくに映画「風が吹くとき」ては2,500人を動員し、地元の文化イベントの新記録を作り、市民より《カルチャー・ダイナマイト》の異名をもらいました。


東京カルチャーロビーも発足

 私たちは大隅半島で中央の芸術文化を受け入れるだけにとどまらず、地元で創作したものを東京に持っていく運動もしようということになりました。
 そしてその東京側の受け皿として、1989年9月に、『東京カルチャーロビー』がスタートしました。
 東京カルチャーロビーは鹿児島出身者を主体としながらも、東京の幅ひろい若者たちも参画し、独自の活動もしていますが、大隅半島カルチャーロビーと連動して、次のような活動を行いました。
 @さつまいも新食文化フェスタ……新宿において大隅半島カルチャーロビーの『食文化を作る会』で生まれた“さつまいもデザート”などを紹介。また、郷土の30社の協力で、さつまいも加工品を集めて試食会を開きました。
 A大隅半島の紹介ビデオを見る会……大隅半島カルチャーロビーが、地元の自然、産業、文化などを紹介するビデオを制作。新宿で“見る会”を開催しました。150人ほどの会場は超満員。文化交流のための活発な意見交換もなされました。


村起こし女性バンド『RURI』の活躍

 大隅半島と東京とが連携して、独自の文化運動を組み立てる試みとして、1990年9月に、若い女性6人のバンド『RURI』が大隅半島カルチャーロビー内に結成されました。6ヵ月にわたるRURIの活動は次の通りです。
 @農漁村を回り歌を作る……大隅半島の想いを東京に伝えるために、農漁村を回り、いろんな人に出会い、その暮らしや考えを学び、独自の歌を作詞作曲しました。
 A農漁村でコンサート活動を展開……オリジナルの歌をもって、農漁村を巡演。過疎に悩む村人たちを慰め励ましました。
 この噂が広まり、各地の村起こし集団から引っ張りだこに……。マスコミの取材も相次ぎ、全国の電波にも乗りました。
 B地方都市で本格コンサートを開催……県都の鹿児島市で公演。立ち見もでるほど会場はぎっしり。音楽関係者などに批評してもらい、舞台のレベルアップをはかりました。
 次いで地元の鹿屋市文化会館で公演。市民ぐるみの取り組みに発展、1500席が埋まり、東京公演の資金を確保できました。
 C東京・新宿で公演……東京カルチャーロビーが受け皿となり、新宿で公演。ライブハウスは超満員。郷土で頑張れば東京で公演できるということで、多くの若者に夢と希望を与える結果となりました。
 D故郷パーティの開催……この公演後、新宿のレストランを借り切り、故郷の農作物、特産品を紹介するパーティを開き、150人と意見交換をしました。


芸術村づくりをめざして

 私たちの運動の本格的な拠点として、また東京と還流する拠点として、地元に『芸術村』を作ろうと、各地を視察調査しつつ、市民や行政にもアピールし、青写真作りを進めています。